昭和二十七年八月一五日 『御教え集』十二号 (3)

七月七日

御教え 美術館について、いままで話しなかったが、これを霊的に言うと、いまの偉い人たちは宗教というものに触れるのを嫌う人が多いのです。とにかく触れようとしないのです。ところが美術館ができたので、それはもう見たいでしょうから、どうしても来ないわけにいかないというので、だんだん来ることになります。そうすると、ここの霊界は非常に光が強くなってますから、ここの土を踏んだだけでよほど浄まるわけです。そうすると今後信仰の話……メシヤ教の話を聞かされても、いままで嫌っていた人たちが、よほどそういう点が薄くなるわけです。でそれに美術館は非常な評判なのです。ですから見たいという人はたくさんできつつあるのです。で、いったん見た人は忘れられないです。忘れられないとすると、始終想い出したりすると霊が……やっぱり霊線によってこっちに来るのです。ですから知らず知らず浄められてくるのです。で、信仰なんかは特にそうですが、やっぱり偉い人が解らなければいけないのです。まず……善男善女と言えば良いですが、言い方によっては愚夫愚婦と呼ぶ。そういう人たちが数多く解っても、それは解らないよりか良いが効果が薄い。どうしても社会の指導階級……そういう人たちが解らなければ本当に社会全般を救うという力が薄い。ですからどうしても指導階級……そういう人たちが解らなければ本当の救いはできないのです。それには、そういう人たちを解らせる一つの手段として、神様は美術館を造られたのです。だからここの土を踏む……ここの霊界に接近するということとしては、美術館が一番効果があるわけです。そういう意味において非常に必要なものです。で、神様はそういう計画ですからトントン拍子に早くうまく行ったのです。これは、こんなに早くこれだけのものができるということは、世界に例がないのです。支那陶器だけでも、あるいは世界一かもしれないです。そんなに蒐まったということは、とても人間業ではないです。この点において神様は非常な活躍をされたわけです。で、見た印象というものが、その人の霊に非常に影響するのです。で、美術館にある品物を私は一々見たり楽しんだりしますが、私の霊気が入るのです。御守りみたいなものです。それを見て想い出したりした人は、やっぱり霊気によって浄まってきます。だから目に見えないところのものによって、非常な力があるわけです。

 それから近ごろ事故が非常に多いです。交通事故は無論のことですが、鉱山なんかも多いです。よく落盤するとか……この間なんかは地下水が急に出てきて……岩手県の松尾鉱山です。あれはそうとう……十何人か死んだそうです。それだとか、いろんな事故がある。それから殺傷沙汰です。つまらないことで人を殺したりという、そういうことが非常に多いです。これはどういう原因かというと、われわれのほうでは霊的に見るから良く分かるのですが、世の中では知らないから、注意を与えているだけ……警戒を与えているだけという有様です。それについて、その原因を書いてみたのです。

(御論文「事故の原因」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五六四―五六五頁〕

 薬の問題がもう一つあります。

(御論文「救世の警鐘」朗読)〔「著述篇」第一○巻五六一―五六三頁〕
(御論文「薬屋さんには御気の毒」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五六六―五六七頁〕

 ところがあっちのほうでは結核の新薬とかなんとか言って、薬の新しいのをドンドン作っているのですから、よくも達になっているのです。今度のヒドラジドの薬なんかも、どうも効果が怪しいようで、いろんな説が出てます。これはどういうわけかというと、アメリカには非常に効くのです。ですからあの通り日本にも来て、そう思ってやったのですが、どうも日本ではアメリカで効いたように効かない。これは原因があるのです。日本のほうが霊界の浄化が強くなっている。というのは、光の元がこっちですから、日本の霊界は光が強くなっているから……どうせ効く薬というやつは浄化停止ですから、そこで浄化停止がアメリカのようにできない。アメリカのほうは固まるほうの力が多いですから、アメリカで効いたのが、日本ではそう効かないという理屈になります。ですから、そんなことをなんだかんだと言っているうちに、だんだん効かなくなって、またあれが駄目になるのは知れきっているのです。アメリカのほうだってやっぱり浄化が強くなりますから、時の問題です。結局しまいには、薬のほうを非常に強くしなければならない。つまり毒分を強くするのです。そうして、浄化を極力停止させる。ヒドラジドなんかそれです。この間なんかも、あれを使って三人死にました。今度は、浄化停止の逆作用が非常に強くなって、浄化停止……そんなことは間に合わなくて、死ぬほうが早くなる。それでだんだん医学と薬に疑問を起してくるという時代が来ます。そうなったらいよいよこっちの舞台になりますが、それまでにいくらかまだ暇がありますが、そういうことを知ってみると、いろんなことが良く分かります。それからさっきの事故の原因や、じきに人を殺したりするのも薬毒が頭に上るのだから、簡単に分かるのです。

 それからいま『私物語』というのを書いているのですが、これはできるだけ興味のある話の中に教えも含んでいるのです。一駒だけできたのを読ませます。

(御論文『私物語』「無信仰時代」朗読)〔「著述篇」第一〇巻九九―一〇四頁〕

 よく来る人が、ここの美術館は非常に評判になっていると言うのです。昨日の『読売』に谷川徹三さんの「一日一題」ですか、そういう記事がありましたが、あれは非常に良く書いてある。さすがに哲学者だけあって、言うことが非常に公平で、非常に信用のできる見方です。たいへんな広告になると思います。ふつうの広告より効果があります。広告のほうは手前ミソですから、見る人がそういう頭で見るから、どうも刺激がないが、ああいう人が書くのは非常に信用があるから、非常に良いことだと思う。『芸術新潮』という本は非常に信用があるそうです……近ごろの雑誌ですが、その「新潮社」の依頼で、ちょうどいま徳川夢声さんが来て、これから午後美術館を見て、今夜中に記事を出すのだそうです。あの人の活動ぶりもたいしたものです。いまこう言ってきたのです。あなたは文化デパートだと言ったら、上手い表現だと言ってました。しゃべる、書く……ずいぶん単行本も発行してます。よく送ってきます。そしてラジオも新聞も雑誌……なんだかんだと、あのくらい仕事をする人はないです。夢声さんは私に向かって、ある程度は先生に共通していると言ってましたから、私もいろんなこと……いろんな仕事をしますが、私は宗教的デパート的ですと言っておきました。あの人は社会的にやっている。そのいろんなことをドンドン片づけていくところに共通している所もあるにはあります。そんなわけで、『新潮』なんかに出る記事も、そうとう効果があると思います。この間来たフランス人レイモン・カルティエという人で、フランスの雑誌の『パリ・マッチ』……これもなかなか有力な雑誌です。これにも出るはずですから、外国にもそうとう知れると思います。今月の末にはウォーナ一博士も来ることになってます。あの人もああいう方面では、アメリカとしての権威です。外国に知れるのは大いに良いのです。日本に来た外人で箱根に来ない人はないし、箱根に来て美術館を知っている以上は、見ない人はないのです。その点から言っても、非常に良いです。で、いろいろ……文化人とか、あるいは文部省、法務庁、文化財保護委員会、博物館……ああいう方面の人たちも非常に賛意を表しているのです。とにかく国家的に見てもっとも不足しているものを、私のほうで造ったのですから、双手を上げて賛成しているのです。ですから私は表彰しても良いと言っているのです。実際国家として表彰しても良いくらいなのです。で、時期も非常に良いです。時期といい、場所といい、やり方といい、実にうまくやられるのです。それは神様がやられるのです。私はそういう心で思っても、スラスラできるものではないから、さすがに神様は上手くされると、こう思っているのです。そんなようなわけですから、メシヤ教というものの信用も大いに高まると思うのです。で、一番おもしろいのは、どうせ新宗教がそんな生意気に美術館をこしらえたところで、たいしたものではない。どうせ古臭い宗教的なものでも出すのだくらいにしか思っていなかったのですが、実際に見るとびっくりしたのです。ぜんぜん宗教の臭いはないし、美術館として本当に世間にないようなものを造ったのですから、ただ本当に驚く他ないという状態です。で、美術館についてパンフレットを作って、来た人にやろうと思って書き始めたのです。これはあんまり専門的ではおもしろくないので、ふつう……批判的なような具合に書いたのです。だいたいこれで解るだろうと思います。これは一部ですが、これからだんだん書くわけです。

(御論文「東洋美術雑観(1)」朗読)〔「著述篇」第一〇巻二七―三〇頁〕

「『御教え集』十二号 昭和二十七年八月一五日」