七月六日
御教え 美術館について、霊的の意味があるのでそれをお話します。
神様の話を聞いて解らないのは、やっぱり副守護神が邪魔しているのです。だから本当に解らない人は少ないのです。解っていて分からない人が多いのです。立派にお蔭を見せられながら、なんだか信仰に入る気持ちがしないという人がよくありますが、それはそういった副守護神が邪魔しているのです。それでそういうときには……新聞になんか出て、悪い理屈を作る。譬えてみれば九つの良いことがあっても、一つのなにかそんな……人から悪口を聞かされるとか新聞とか雑誌に出ているとか、それをみて九つのほうを抹殺してしまうのです。その一つを抹殺してしまうというのは副守護神が囁くのです。で、現に目に見えて、信ずる気になれないというのがよくあります。そういうわけだから副守護神の力が弱れば良いのです。力を弱らせれば良い。それにはここ……聖地の土を踏めば良い。ここに来れば良い。ところが偉い入とかインテリのカチカチはてんで寄りつきもしないです。ところが美術館ができると、これはそういう連中が美術を好きですから、どうしても来なければならない。ここに来れば、霊界が光ってますから、そこで副守護神が弱るのです。だからここに来さえすれば良い。観に来れば結構なのです。だから、無論信者さんは奨めるでしょうが、そういう霊的の意味もあるということを心得ていれば、なおさら言葉にも力があるわけです。
それからもう一つはいまの人は非常に頭が悪いのです。上っ側は良いのですが、芯が悪い。この間も言った通り「上面利巧の芯馬鹿」ですから非常に頭が悪い。それは頭に曇りがあるからです。ここに来ればそういう頭の曇りもよほど減ります。それからこういうこともある。家に帰ったり、他に行ったりしたとき、どうかすると箱根を想い出すのです。美術館は良かったな……と想い出すと、霊はこっちに来るのです。そうすると霊線は伝わりますから、そこでやっぱり浄められる……こういうことになる。だから信者さんなんかでも……信者さんは一番私を想うのですが、そうするとそれだけ浄まる。向上して行くのです。そんなわけで、いまの人の頭の悪さについて書いてみたのです。いま非常に交通事故があるのです。近ごろは鉱山の事故があります。あれはやっばり頭の悪いせいです。それを書いたのです。
(御論文「事故の原因」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五六四―五六五頁〕
もう一つ薬毒のことを書いてあるのです。
(御論文「救世の警鐘」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五六一―五六三頁〕
今度、「農業特集号」……といったところで、以前のような編集の仕方ではないのです。半特集号といったところのものを出すようにしました。これは、その後に来た報告を土台にして作ったのです。最近来た中に……佐渡の島で県の農会で、質の一等賞もらっていろんな褒美をもらっているのです。量も一等なのです。これもすばらしい成績です。それを一番先に出しました。それから昨日来た報告では、蚕も今度一等賞もらったとかいう礼状が来ましたが、それも桑を無肥料でやるとそういうふうになるのです。これは輸出品ですから、無肥料で養蚕すればいままでの品質よりずっと良くなりますから、この国家の利益はたいへんなものです。それから近ごろは硫安が非常に売れなくなった。ですから滞貨が非常にあるのです。製造もだいぶ減らす話です。なんでも、売高が去年より四割くらい減ったということですから、よほど減ってます。原因はどこにあるかというと、農林大臣の広川さん……あの人が去年あたりから硫安はあんまり使うなと言っているのです。去年の「特集号」もあの人に送りましたし、今年の「特集号」も送りました。それを見てだいぶ感じたとみえます。だからこれだけでも「特集号」はたいへんな効果があったということになります。これはたいへん良いことですから、ますます馬力をかけてやらなければならないと思うのです。今年あたりは肥毒がよほど減ってますから、この秋の成蹟はよほど良いだろうと思います。そうしたらまた「特集号」を出してドンドンやります。一万何千か、ほうぼうに配ったのですが、中には変わった所があって十四、五枚返してきたのがあります。なにも、返さなくても……鼻紙にしても取っておいても良いじゃないですか……。つまり返すという気持ちがおかしいのです。癪に障るのでしょう。肥料の取り引きでもやっている所かもしれないが、そうすれば商売にも関係しますから……あれは一つの反感でしょう。そんな具合で、なんだかんだとだんだん解ってくるに違いないと思うから、大いに張り合いがあるわけです。
こういうものをちょっと書いてみたのです。
(御論文「薬屋さんには御気の毒」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五六六―五六七頁〕
これはちょっとおもしろいものです。
(御論文「アレヨアレヨ」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五七〇―五七一頁〕
いま『私物語』という本を書いているのですが、まだ無信仰時代のことでおもしろいことがいくらかありますから、それを書いてみたのです。
(御論文『私物語』「無信仰時代」朗読)〔「著述篇」第一〇巻九九―一〇四頁〕
美術館はだいぶ評判が良いそうです。昨日もアメリカ人かなにか来て、非常に褒めて行ったそうです。品物を一つ一つ説明すると、なかなかおもしろいのですが、美術館のだいたいの説明書というような物を作ろうと思って書き始めたのです。いずれ絵葉書とそれに説明書をつけて、見物に来た人にやろうかと思っているのです。だんだん美術についての鑑識を養う意味から、特に信者さんなんか必要ですから、とにかく世界的に美術というものに関心を持たれてきているから……いまにお茶とか花とかそういうものがさかんになって、美術も非常にさかんになる時代が来ますから、その場合にそういった知識が豊富にあると、その先覚者というわけですから、特に信者さんなんかは良く覚えるようにすると良い。これは少し専門的ですからおもしろくないが、これを知って見ると、また見るのによけい力が入ります。
(御論文「東洋美術雑観(1)」朗読)〔「著述篇」第一〇巻二七―三〇頁〕
あんまり専門的になってますが、ここにある支那陶器だけではやっぱり日本で一番です。ただ、これだけ蒐まってますが、去年の五月までは支那陶器というのはまだ知らなかったのです。もっと精しく書いたら書けますが……。その代わり去年からは支那陶器のある所にはどこにでも行きました。東京にも行きました。一品でもある所には行きました。それから支那陶器に関した本も集めました。ふつうなら一〇年二〇年はかかるでしょう。それを私は一年ですから馬鹿に早いのです。これは、将来外人を誘致するには非常に力があります。英、米に行きますと支那陶器というのはほとんど美術の代表みたいになっている。だから今度もロサンゼルスで支那陶器の展覧会をやりましたが……二、三日前にその図録が来ましたが、ずいぶん数があります。日本で一五点出しましたが、十五点が断然良いのです。品数としては二、三百ありましたが、十五点を向こうの新聞、雑誌に書いたそうですが、記事の三分の二は日本に関するものだそうです。それで、世界一というのがあるのです。そんなようなわけで、なにしろ英、米で蒐めたのは明治以来です。ところが明の時代のを蒐めたのが多いのです。日本は天平時代から来ているのです。唐時代のものがその時代から入ってきているのです。それから藤原時代。足利時代が一番多く入ってます。そんなわけで伝世といってきれいなのです。ところが英、米に行っているのは土中物といって土に埋まっていた物ですから、艶がなくて色もずっと変わっているのです。だから日本の支那陶器は断然良いです。今度の十五点で支那陶器は日本というくらいの評判が出てきたそうです。そんなような具合で日本にはなかなか良い物があるのです。それはまだまだずいぶんあります。そのうちのごく良い物を私が選んだわけです。しかし支那陶器なんてぜんぜん知ちなかったのですから、知らない最初は見当つけるのに骨を折りました。しかしやっぱり霊感でいきます……見ていると自然に感じます。それで、割合に外れないのです。だからみんな驚いてました。どうしてこんなのが手に入ったか、とね。いろんな原因がありますが、やっぱり神様がやっているということが良く分かるのです。やっぱり霊界で、先祖が持っていたようなのが、大いに手柄をして救ってもらいたいというのでやったものに違いない。そんなわけですから特に必要な物はちゃんと蒐まる。それから種類は実に良く蒐まる。支那陶器は、見ただけでも種類は実によけいある。それで、みんな一流、二流の物です。
(図録をお示しになられ)これが白鶴美術館にある世界一なのです。これを私が欲しいと思ってずいぶん交渉したがぜんぜん駄目です。このくらいの大きさの壷で、良い物です。これが世界一なのです。ですからこの本のトップに出してあるのです。これは代表的な物です。美術館に牡丹のがありますが、あれと同じ質なのです。牡丹もなかなか良い物ですが、あれくらいの物は外国にも日本にもあります。これは一つなのです。この一五点ですが、いま博物館で展覧会をしてます。一〇日までありますから行ってみると良いです。いまのアンダーソンという四〇〇〇年前にできたのがこれです。これと同じ物が一つあるでしょう。これは外国にありますが、日本にはほとんどないです。こういう具合にたくさんありますが、この中で良い物というと日本の物です。だから日本はたいしたものです。