昭和二十七年七月十五日 『御教え集』十一号(9)

六月二六日

御教え 昨夜の映画で、博物館のがあったんですが、これは理研の文化映画なんです。博物館のはほとんど仏像です。それから、あとは奈良が主で京都あたりのお寺、桂の離宮とか……古美術的なものです。そういう映画で、これは珍しいです。いままでそういった映画はないですからね。それだけ世の中が美術ということに関心を持ってきたわけなんです。フランスあたりと油絵の交換とか、そういうことが新聞に出てますが、そんなような具合で、なんとなく美術というものが人の注目を引くようになってきました。で、理研の映画をやっている人の話では、博物館を写して……フランスにあるカンヌという所で、毎年文化コンクールがあるんだそうですが……写しかけたが、あとたいしたものがないので、それでしかたなしに、奈良やあっちのほうのものを写してまとめたわけだと言うんです。

 ところがここの美術館は……ここの庭もいろいろ取り込めてでしょうが、大丈夫、コンクールに出す映画が撮れるというので……二〇日くらいかかるそうですが、この九月に撮って文化コンクールに出す話になっているんです。そういうわけであってみると、まあ博物館以上ということは、たしかなんです。そうすると日本では、博物館がそういった美術に対しては一番としてあるんですが、それ以上とすれば、日本一はもう間違いない話です。

 そういう美術館を造ったというのは、計画をそう思いついたのは二、三年前からなんです。そうすると驚くほど早いんです。早いというのは、これは私から言っては、はなはだ変ですが、つまり頭の良い悪いなんです。私は、自分ではそう頭が良いとは思わないです。忘れることもあるし、いろいろまごつくこともあるしね。しかし一般の人から較べるとすばらしく良いんです。そうするとふつうの人がすばらしく頭が悪いというわけです。そういうことが言える。いろいろ考えてくると結局頭の問題です。だいたい人間の幸不幸はこれは頭です。不仕合せになるのは頭が悪いんです。一番頭が悪いのは悪人ですよ。これは、悪いことで成功すると思う……悪いことで幸福になると思う、その錯覚ですね。悪いことをすると駄目になる、ということに気がつかない頭の悪さです。ですから私は、悪いことをする人間は非常に頭が悪いと思う。それで人間が偉い偉くないとか、あるいは名前がある人とか、名前が出ている人とか出ていない人とかいうことは、あまり関係ないです。つまり幸福ですね。なにも、名前を得たら幸福というわけじゃないです。そこで同じ頭が悪くても、悪さにもいろいろ差別があります。非常に悪いのと、それほどでもない……いま、出世している人とか著名な人は悪いなりにも、少ないです。良いとは言えないが。

 それについて気がついたのは、最近マッカーサーが非常に評判が良いというんです。どこに評判の良い元があるかというと、今度国連軍のほうで、鴨緑江を渡った所を爆撃しましたが、あれなんです。あれはマッカーサーが主張した案なんです。それを、いけないと言って、マッカーサーを抑えつけたんです。しかしその戦法を今度実行したんです。そうするとやっぱりマッカーサーは偉かった。一年前にちゃんとその案を主張したということにおいて、マッカーサーの人気が非常に良くなっている。あるいは、いまのところはタフトを後援してますが、マッカーサーが、大統領に出るような匂いもしているそうです。そうすると私があの当時からマッカーサーを褒めてました……あの政策は非常に良いと言ってましたが、やはりそうなるわけです。トルーマンという人も偉い人ですが、その点において非常に頭が悪いです。せっかく、共産軍をあそこまで追いつめておきながら、マッカーサーが大胆に満州を爆撃するというのを止めたんですから、蛇の生殺しにしたんです。だからいまもって停戦会談なんか、グズグズしてます。あれなんかも、いずれいまに協議がまとまる、とかなんとか唱える偉い人がアメリカにありましたが、ところが私は先からあれは駄目だと言っている。つまりソ連の消耗戦術です。止めてしまえば、アメリカは引き上げますから、アメリカの消耗は駄目なんです。ところが闘えば勝ち目はないから、闘わないようにして、アメリカの軍隊をどこまでもあそこに止めて戦力を消耗するというので、グズグズしているんです。それに気がつきそうなものですが、気がつかないで……妥協ができると思っているんですが……いまようやく気がつきかけてきたんです。そのくらい頭が悪い。すべてがそうです。

 これはアメリカに限らず日本でも、その頭の悪さは同じことですが……いまでもしきりに解散論を唱えてますが、あれは承知してやっているのかもしれませんが……改進党でも社会党でも、どうも頭が悪いんです。とにかく内閣が失敗するとか政治が悪いとか言って、とうてい維持できない。国民の世論が轟々として、収拾がつかないという、そういう声になったときに解散論を唱えると、ワッと言って、そうなりますが、いまのように無事に行って……それに吉田はなかなかうまくやるんですから、とにかく吉田以外に政治を担当するという人はないですから、後釜の目当てのつかないうちに解散しても国民はついて行かないですからね。一人よがりで笛吹いているようなもので、国民はソッポ向いてます。それから共産党がしきりに工場を焼き打ちしたり巡査をなにしてますが、あんなことをしても逆効果です。そうすると、だんだん警察予備隊を増やしていくし、政府のほうも厳重にしてきますから、だんだん共産党は手も足も出ないようになる。彼らはなるほど地下に潜って姿を晦ますのは上手いですよ……いまもって徳田以下潜ってますが、あれは実に頭が良いです。ところが肝腎なことは、暴動を起して社会を困らせてしまおうという目的です。ところがそれに踊っているのは日傭人夫や学生の若い者です。これは要するに小児病の具体化です。どうも頭が悪い。仮に、やるとすれば油断させて……おとなしくしていて一挙にやると、」それは効果があるでしょう。しかし、それをやられても困ります。そんなようでああして騒いで、自分だけやっているのは効果はないです。あそこに非常に頭の悪さがあるんです。それから共産党が騒いでますが、もっと野蛮蒙昧な国……それからもう一つは、非常に政治が悪くて、貧乏やいろんなことのために国民が食うや食わずにいるという状態とすれば、共産主義はそうとうそれに興味を持たれるんです。ところが日本はいまそれほどの困窮にはなっていないし、それからまたこういうことが良い、こういう思想が良いか悪いかという、そういう判断力からいっても、とにかく日本人はそうとう進んでますから、いくら共産主義で踊らせようとしても、それに引っかからないです。で、とにかく文化の発達した国……ヨーロッパでも日本でも共産党が非常に社会から嫌われている。だんだん議員なんかの数が減っていく。ひとしきりイタリアなんか共産党がはばったが、年々共産党の議員が減っていく。そうしてくると成功の見込みは少なくなるんです。というのは、文化の発達した国民は判断力がありますから、なかなか丸呑みにしないで批判しますから、批判してみると、どうも共産党がおもしろくない。これで幸福な社会になろうとは思えない。そこでだんだん人気がなくなってくる。だから、それにうまく成功したのは中共です。支那です。ところが中国はまだ教育の程度が低いし、それだけの隙がありますから、そこでまあ成功したんです。そのやり方を日本に持ってきても、それは成功しないですよ。それもスターリンあたりはだいぶ感づいてきたんで、近来非常に日本に対する優遇政策を取ってきたんです。いっぽうで社会を混乱させようとしているが、いっぽうでは政府や有識階級には妥協政策をやってます。そういう政策を見つめてみると、やっぱり頭が悪いです。だから日本ではまず共産主義は成功しないということは言えるんです。

 この間アメリカのブレーデンという宗教の研究調査に来た人ですが、強羅ホテルで一時間ばかり会談したときに、共産主義についてどう思うかと質問されたが、近き将来亡びるから私は問題にしないと言ったらびっくりしてました。おそらくそのように言う人はないでしょう。なぜ亡びるかというから、それは根本が悪だから……自己の団体、階級の利益を計って人類全般の幸福を計らない。そうすれば悪だから亡びるよりしょうがないから、私のほうは別に問題にしない。そういうわけで、成功するか成功しないかは、思想なり問題なりの根本がはっきり解れば、なんでもない話です。そういうわけですから、ものを批判したり見る場合に、本当に人類のためになると、あるいは世界全体が幸福になるという、そういったものは必ず成功する。そうでないのは、一時的に良くても失敗する、というように判断すれば決して間違いない。ところがそういう簡単な理屈がなかなか解らないんです。というのは、頭が悪いその原因は、いつも言う通り、やたらに薬毒を身体に入れて始終心配ばかりするから、頭に毒素が上って、それで頭が悪いんです。だから教育や学問で一生懸命頭を良くしようとする。頭を良くしようとするからして、それだけは良くなるが、そのために頭を使って薬を入れるから、その薬毒が頭に来て悪くなる。というわけですから、いまの人間は理屈はうまいことを言うが、その理屈は浅いんです。外部から注ぎ込むやり方ですから、だから上っ面は非常に発達するが、内部のほうは毒を頭に注ぎ込んでますから悪い、こういう状態です。だから、「上面利巧の芯馬鹿」……こういう人間がたくさんできている。

 三〇日と一日に美術愛好家、それからそういう方面で著名な人を招ぶことになってます。まあ外国人もそうとう……新聞記者やなにか来ます。で、しゃべったことを翻訳するよりか、原稿を書いてもらって翻訳したほうがずっと正確で楽だというので、書いてもらいたいというから書いたので、それを読ませます。

(御論文「美術館建設の意義」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五五三―五五六頁〕

 これは薬毒についてですが、信者でもよほど古い人は徹底しているが、新しい人はなかなか薬毒に気がつかない人がずいぶんあるんです。とにかく薬毒に気がついて徹底するのが一番肝腎なんです。薬毒の恐ろしさを書いてみたんです。

(御論文「薬毒の恐怖」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六二五―六二六頁〕

 この間ラジオかでちょっと聞きましたが、いま病気の数は千百幾つというんです。だから、昔は四百四病と言ったが、ずっと増えたわけです。三倍になった。で、そういうふうに病気の種類が増えるということは、ちょっと考えるとおかしいんです。ところが病気の原因が薬ということが分かれば、なんでもなく分かります。つまり薬の種類が増えたから、病気の数が増えたんです。とにかくそういうような具合で、なんの病気でもまず薬を考えてみる。そうすると分かります。よく信者の人なんかで、どうも治らない、しつこい、憑霊現象ではないか、なんの霊でしょう。と、よく聞くことがあるが、それよりか薬毒のほうがずっと多いんです。それからもう一つは、憑霊といっても、そういう霊は悪霊ですが、悪霊が憑くのは頭が曇っている。曇っているというのは薬毒です。薬毒で曇ると、そこに霊が憑くんです。ですから憑霊をどうしようこうしよう、解決しようということは気にはしなくて良いんです。それより薬毒を取っちゃおうと考える。それが根本です。精神病というと霊に違いないが、因は薬毒です。精神病は不眠になる。不眠が因ということは延髄に固まりがある。延髄に固まりがあるということは薬毒です。だから、精神病でもなんでも、そういった心の病気も全部薬毒です。そこで人間不幸の原因も薬毒なんです。だから薬を身体に入れなかったらその人は仕合せです。いろんな災難なんかはないんです。霊が曇っているから、曇り相応の浄化が来るんです。災難というのは浄化です。そうすると薬毒で血が濁っているから霊が曇るんです。だからこの根本は薬をなくすることです。そうすると地上天国ができるんです。だから浄霊というのは曇りを取ることですよ。薬で逆に曇らせたのを浄霊で取るんです。ですから浄霊すると血を吐いたり、鼻血を出したり、下からくだったりしますが、それはそういうわけです。

 これはやっぱりそれに関係した、伝染病のことです。

 (御論文「伝染病恐るるに足らず」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五五七―五五九頁〕

「『御教え集』十一号 昭和二十七年七月十五日」 昭和27年07月15日