昭和二十七年七月十五日 『御教え集』十一号(7)

六月一七日

 ちょうど、今日が祝典の三日目で、お天気都合も割合、入梅中としては上等のほうで結構と思います。

 美術館もあの通りすっかりできまして……あとでゆっくり見てもらおうと思いますが、期日に間に合わせようと思って急いだにしては、割合にそう破綻がなく整頓したということは、まあ結局神様がおやりになっているんです。

 昨日の、『サン写真新聞』……あれはだいぶ良く出てました。これはたいてい見られたでしょうが、あれがたいへんな宣伝になると思ってます。割合にあの新聞は多く出るんです。去年あたり聞いたところによると、五〇万と言ってましたから、今年はもっと増えてますね。あれは、写真をあんなに出すんですから、すばらしい宣伝効果と思います。あれを見ると、みんな見たくてしょうがないと思います。ウズウズしているのがどのくらいあるか分からない。あとで行ってみれば分かります。私は毎日行って一生懸命見てますが、自分で言ってはおかしいが、品物もこれだけに多方面にわたって、遺憾なく蒐まったと思って驚いているくらいです。それで、これは更めて言うほどのこともないんですが、美という……最高の美をみると非常に魂が向上するんです。つまりレベルが高くなるんです。そうするといろいろなことが分かるんです。いろんなことが分からないということは、魂が低いからです。ですから、いろんな……メシヤ教の悪口を言ったりする人がありますが、それはメシヤ教がここ(上位)だと、ここ(下位)にいるんですから見えないから、そこでいろんなことを言うんです。まあ、屋根の上を下から見るようなもので、「なにもないじゃないか。立派な瓦があるなんて、それは嘘だ」と。ですからそういう人をいくぶんでも高くすると、横からでもちよつと見えますから……それには美術館というのは必要なんです。これは一番良く表われているのは宮本武蔵の達磨の絵ですが、これは出してありますから見れば分かりますが、実に上手いんです。専門家なんかが……二、三の批判を聞きましたが、支那の宋時代の絵に負けないと言うんです。というのは、武蔵が剣道によって、要するに霊的に向上しているから、自然にああいう上手い絵ができるんです。やすから美なら美というものに対し霊的に向上すると、美術ばかりでなく、あらゆるものに、まあ鑑識ですね。分かるんです。で、ああいったもので一番おもしろいのは、ごく良いものを見るんです。良いものを見ると、今度は他のものがみんな悪く見えるんです。それが肝腎なんです。いま、日本にマチスだとかピカソだとかルオーだとかブラックだとか……フランスの名画ですが、ああいうのをみんな非常に感心していろいろ褒めているが、あれはしかし腹の中じゃ感心してないんです。解りゃしないんだから、みんなが良いと……世界的に評判だから、たぶん良いんだろう。良いに違いないと、首をひねったりして……良いと思うんです。要するに自己錯覚です。もういっそう言うと自己欺瞞です。それをみんなしているんです。というのは、私もそうでした。私が見て、どこが良いかとその点を発見するんですが、ずいぶん骨を折るんです。しかし美がないんです。これは、私が良いものを見ている頭のためかもしれないですが、そういうようで審美眼が低いと、つまり批判力がないから、人が良いと言えば、なんでも良いと思っているから、たくさん良いものを見せて頭の教養をする。そうすると、いろいろな世界的な美術品が来ますから、そういうのを見る場合にその批評眼が高いです。そこで、ふつう……一般人でなく、美術家です。そういう人たちもそれを見るから、作品でもなんでも、よほど良い影響を受けるだろうと思います。そんな点において、それだけの価値が充分あるということを、美術館で私が認められるんです。ですから、あなた方は勿論のこと、そういう方面に関心を持っている人は、ずいぶん驚くだろうと思ってます。でまだ説明書が間に合わないので、中の傑出したものを一応説明しておいたほうが、あれを見た場合によほど違いますから、時間のあるだけは舌の案内ですかね……それをしようと思ってます。

 二階と下に合計六室ありますから……一、二、三、四、五、六と、こういうふうに別けてあるんです。入って左の広い所を一部として、入って右のほうが二部、その後ろが三部。二階の……これは梯子段が入口とは逆になってますから、上がって右のほうの広い所が四部です用それから、その左が五部、その後ろが六部となってます。

 第一部は、屏風と日本の陶器と画帖、巻物です。画帖にも、初代の広重とかいろいろおもしろいものがあるんですが、ところが今度あそこに並べようと思って出してみると、昔の画帖というのは間抜けなもので、くっついている。ですから広げて並べられない。今度直そうと思ってますが……それで止したんです。間に合わせのものだけ出しておきました。栖鳳の十二カ月。それから雅邦の近江八景。みんな短冊です。それから現代大家の詩歌ですが、それだけはちゃんと広がるので出しておきました。これだけでもそうとう見る価値があります。屏風は、一番の呼び物とも言うべきものは、光琳の極彩色の水鳥の屏風といって、有名なものです。これは光琳の図録には必ず出てます。岩に鴛鴦やなにか、そういった岩に水鳥がたくさんある。これは光琳中の、やっぱり指を屈すべき品物です……作品です。その隣にやはり光琳の、これは一双の白地に金泥でカスミになって、そこに秋草が画いてある。これは本当の光琳なんです。本当の光琳というのはおかしいですが……この贋物がよくあるんです。そう言っては悪いが根津美術館にあるのは、あれの贋物のようです。まるっきり違います。どうして美術館にああいった贋物があるか……それが贋物が下手なんです。それから去年の琳派展に出ていたのが、これと同じものがあるんです。私はこれは変だなと思ったが、これは弟子が画いたんです。弟子の名前が入ってます。やっぱり下手です。この美術館のは本物ですから、実に良く画いてあります。その反対のほうに……光琳やなにかのごくコッテリした隣ですから、ごくあっさりした、足利末期の画家で海北友松という……その時代には長谷川等伯、狩野山雪……これが三名人です。友松の山水ですが、これは非常にあっさりしている。これは一種独特の味わいがある。これは国宝になってます。これは墨絵として、東山水墨画のうちに入りますが、水墨画として傑出したものです。なにしろ屏風は、六曲なんか長いですから、数は並べられないです。その隣は徳川初期時代の京都の町の風俗です。これは極彩色です。ずいぶん緻密に画いてあります。それは、たいしたものじゃないが、ちょっと楽しめるものです。それから、やはり現代のも必要ですから、京都の今尾景年の孔雀といろいろな花を画いた屏風ですが、元の……亡くなった山下亀三郎さんが、これ以上ないという屏風を作るつもりで……屏風なんかのできが良くできているんです。金なんかも、金泊よりももっと金がかかっている。金泥とか砂子とかいっぱいして、金具なんかすばらしいものがついている。それにていねいに、うんと力を入れさせたんです。ですから非常な力作です。これは現代の絵としても見るべき価値があります。これは先に汪精衛が日本に来た時分に必ずその屏風を立てるようにしていた。汪精衛が気に入ったんでしょうね。そういう話でした。あとは日本の陶器です。いろいろありますが、そのうちで特に推奨したいのは、真ん中の仁清の……昨日の『サン新聞』にも出てましたが、唐子人形が二人花車を引いているところで、置物で珍しいんです。仁清というのは、たいてい壷とか茶碗とか香炉とか、そういうものですが、そういった置物は見たことがないです。おそらく仁清としてはそれ一つだろうと思ってます。その隣に同じような模様の大小になって……金銀になってますが、それが二つ組んであるんです。これは仁清の重茶碗といって有名なもので、仁清の茶碗のうちではこれが日本で一番良いとしてある。ところが模様たるや実に新しい。三〇〇年以上前にできたようには思えない。現代の陶工がやってもこれより新しくはできないと思うくらい図案が新しいんです。ほとんど直線的です。あの時代にああいったような図案をこしらえたということは、不思議に思うくらいです。色や焼き具合も実に完壁です。これだけでも、これを見たい人がどのくらいあるか分からないです。というのは、先に益田孝という人が非常に愛用していたので、それが終戦直後でしたか私の手に入ったんです。すると評判のものだけに、そういった識者やいろいろな方面では、あの茶碗はどうしたんだというので、みんな探したんです。で、分からなかったんです。先は秘密にしてくれというので、四年間秘密にしていたんです。で、去年から出したんです。そのくらい世間では大騒ぎをやっていた品物です。そういうわけです。その隣の反対のほうに水指で、雲に菊の模様ですが、これは金を非常によけい使ってあるんです。これは仁清としての特色を遺憾なく発揮しているんです。これはその品といい柔らかさといい、実に仁清ならではできないほどの味わいがあります。次は二部ですが、これは現代の美術家の作品です。絵は雅邦、栖鳳、大観、春草、玉堂と五人の作品です。現代画といいますと、古径だとか靫彦、青郷……ああいう人のも並べなければならないが、なにしろ狭いので、いまのでいっぱいですから、こういう人たちはいずれ熱海にできたときに、そういうものを並べるつもりです。その絵のうちで、特に私として感銘に絶えないのは、栖鳳の竹に雀です。これは、立派とかそういう力作とかいうのでなく、その効果ですね。製作効果……それはすばらしいものです。それを私が最初見たとき驚いたんです。とにかく、竹の葉を画くのにあんまり筆を使わないで、実にあっさり……あんまり輪廓や線を入れないで、それで竹というものの気持ちを実に良く表わしている。それから色の濃淡といい、なんとも言えないです。あれは実に、日本画としての神技というくらいのものだろうと思います。やはりそれらを見ても、明治以来の名人としてはやはり栖鳳です。その他に栖鳳の鯛もありますが、これも良くできてますが、まあ竹にはちょっと較べられない。それから雅邦の豊干禅師という、虎を連れている坊さんがありますが、これは非常に迫力があるんです。これは雅邦としての一代の傑作です。雅邦は、この豊干禅師と御物の観世音があります。それが一番力作……名作だということになってます。それを見ても、御物に匹敵するくらいのものですから、名作に違いないです。あと大観、春草、玉堂……これはふつうのものです。工芸品としては蒔絵ですが、蒔絵はいつも言う白山松哉という古今の名人です。昔から松哉くらい上手い人はないんです。松哉のものを二つ出しました。まだあるんですが、やっぱり狭いですからね。一つは沈箱という沈香という香を入れるものです。沈箱といって、あそこに行けば分かります。妙な形をした、蓋した、箱のようなものですが。これなんか実に良くできている。ふつうの上手な漆芸家でもまねはできないですね。もう一つは香台といって、香炉をのせて香を薫く台ですが、これは陛下のお使いになっているもので、陛下が出御するとき、その台で香を薫くんです。そこにおいでになるときに、香の匂いがただよっているというものです。これも松哉がやったんです。香台の裏まで蒔絵がしてあって、これは珍しいものです。松哉というのは、大きなのはやったことがないんです。小さいものばかりです。そのくらい大きいのはちょっと、松哉のうちでも逸品だろうと思います。その次の人は川之辺一朝という人で、これも有名なものです。この人の作品はあんまりないんです。みんな宮内省に収めたんです。この人の文台の硯を出しておきました。海辺の図です。これを見て、少しの欠点もない。人間業と思えない緻密なものです。行ってみれば分かります。その次の名人としては赤塚自得です。菊の御紋なんかついてますが、ダリヤの絵です。文台と硯箱です。その次は植松包美の料紙文庫と硯箱が出てます。これはまた変わった、言うに言われない上品なものです。それから、その次では硯箱が三つありますが、これは昔の模造したものですが、模造の名人としては小川松民です。これは、模造としてはいままでで一番上手い人です。ですから模造でも堂々として、松民模したと書いてあります。贋物という意味ではないです。それと、京都の迎田秋悦という人で、これはもう亡くなりましたが、やはり名人で、この人のも出てます。松民のは左手の硯箱ですが、これは鎌倉時代の頼朝の奥方の政子が愛用していた硯箱で、俗に政子の硯箱というんです。本物は鎌倉の八幡様にあるんです。たまに宝物展がありますが、そのときに一番のものとして出しますが、それを模したものです。真ん中は有名な光悦の舟橋の硯箱の写しです。それは迎田秋悦の作です。あとは彫刻の佐藤玄々という人の彫刻で大黒様に鷹に観音様……これは絢爛たるものです。それから入口の側に猫がありますが、猫が馬鹿に良くできている。まるで本当の猫がいるように思われるんです。一昨日アメリカの宗教調査に来たプレーデンという人に、この猫と鷹と同じ彫刻家だと言ったらびっくりしてました。まるで遣います。二室はそんなものです。三室はお茶のものです。お茶のものもいろいろあるんですが、どうもお茶のほうはゴテゴテ飾っちゃいけないというので、茶道具屋に任せてやりましたが、この中で見るべきものとしては、一休の肖像画ですが、これは一休が生きているときに、当時の名人が良く画いてあります。この画家に画かしたんです。ですから想像画じゃない。だからして一休の通りに違いないです。まったく一休という人はこういう人かと思われるように画いてあります。もう一つおもしろいのは大きな掛物で、大きな字で「帰雲」と書いてあるのがありますが、それは支那の無準という人が書いたので、これは日本にも来たことがあるんです。鎌倉初期時分に来たんです。やはり、この人のは非常に珍重されていて引っ張りだこです。値段も高いです。この掛物は昔……徳川初期に尾張の陶器師で古田織部という人がある。この人は元武士上がりだそうです。織部焼の元祖です。で、お茶の会をしたときに……大名の細川三斎という人があったですが、幽斎の子か孫でしょう。その殿様が見て、気に入ってぜひ譲ってくれと言った。これは自分が愛玩しているので許してもらいたいと言うと、じゃ一字千金というから二字で二〇〇〇両で譲れと言ったところが、それでもどうも駄目です。すると嫌でも俺は気に入ったんだから持って行くと言って、殿様は持って行った。それが、その時分には天下御免だった。大名は自分の気に入ったものは……掠奪じゃないが、自由に持って行っても差し支えない。中にはそれをかえって名誉としたくらいです。そこで、その殿様も持って帰って、二〇〇〇両で承知しなかったから三〇〇〇両やったら良いだろうと、家来に三〇〇〇両持たしてやった。そのくらい掛物が気に入ったわけです。ですからなるほどそう思われるくらい良いです。私も非常に気に入って、そうとう高かったが手に入れたんです。その隣に大徳寺の開祖の大燈国師という坊さんですが、大燈の書と言って、日本では一番とされている。やはり非常に良く書いてあります。その反対のほうには支那の虚堂という有名な坊さんの、自画讃といって観音さんを画いて、讃がしてありますが、これも非常におもしろいものです、あとは茶碗も数点あります。茶碗の中に、一つアヤメという楽茶碗がありますが、これは楽の元祖の長次郎という名人の焼いたもののうちで、先日……お茶の宗匠の官休庵という人が、この間お茶会があるので貸しましたが、非常に褒めて、まず長次郎のうちではこれが一等だろうと評をしてましたが、それによってみても、非常に良いものです、ああいう人が言うんですから、お世辞でもなんでもない。もう一つそれに匹敵するのに早船というのがあります、私も写真で見ましたが、非常に良いものです。しかし割れているんです。作は同じくらいだが、私のほうは毀がないから上だということになります。他にも良いのがあります。その中に伊羅保というザラザラした黄色いのがあります。伊羅保では日本で一番です。それから青磁のお茶碗がありますが、青磁としては日本では一番だと言われています。それから、支那の天目、玳玻盞というのがあります。中に黄色味をもって、中に黒く鳳凰が出てます。玳玻盞もいろいろありますが、これが一等だそうです。そんなことで、きりがないからそのくらいにしておきます。あとは利休の作った竹の花生ですが、これは太閤殿下が、北条征伐のときに征伐して、こっちに来るときに利休がお供をして、伊豆の韮山に良い竹があるというので、切って作ったと出てます。それから花生のうちで徳利があります。白い徳利があります。これは支那の定窯という陶器……磁器です。定窯でそういう作は珍しいので、二つとないんです。これは外国にもないかもしれない。二階に上がって第四室は絵ですが、掛物がずっとあります。この掛物は一つ一つただの鼠じゃないです。まあ、曲物ずくめです。その中で主なるむのは、光琳の達磨ですが、これは実にすばらしいものです。光琳の柔らかい筆で、そこにもっていって犯すべからざる力なんです。それから宮本武蔵の達磨も、さっき話したように出てますから見れば分かります。あと光琳のもう一幅は秋草です。芙蓉に芒が画いてある。これがまた実にすばらしい。この筆の使い方というのは、いまの画家が見たら拝むだろうと思う。とにかくいまの日本画を画く人は筆を使えないんです。それはかわいそうなものです。それでしかたがなく塗るんです。ですから私は塗抹絵と言ってます。画くんじゃない、塗るんです。それだけ筆を使えないんです。そういう現代画家に見せたいと思ってます。見に来るでしょうがね。一筆でスーツと画くんです。それは塗ったよりかずっと効果的です。それから宗達の鷺と鶏と犬ですが、この犬なんかも……去年の琳派展に黒犬が出てたいへん評判になった。その黒犬よりもずっと良くできていると思う。

 浮世絵ですが、真ん中にある大きいのは、浮世絵としては日本一なんです。これは掛物で、湯女といって、昔の湯屋に……まあパンパンみたいなものですが、有楽町のガード下にいるようなあんなのではない。もっと高等なんです。それが散歩しているところで、実に良いです。桃山時代の絵です。日本にその湯女と、彦根屏風がありますが、屏風のほうは疎開するについて、剥がして……まだできないでしょう。こっちは掛物ですから、これは日本一と言って差し支えない。その隣が土佐光起の高尾の絵ですが、これも実に良く画いてあります。あとは蒔絵ですが、これも一つ一つみんな謂があるようなものばかりですが、それをいま話すると時間がかかってなんですから、それは見てもらうとして、ただそのうちに一つすばらしい手箱があるんですが、それはあそこに説明書がついてますから、それを読んでもらう。あとは印籠があります。これは珍しいものです。印籠一つ一つが最高のものです。いまそれが一つでもたいへんなものです。それが一二並んでます。それで蒔絵が画いてあって、それに印寵箪笥があります。私は一つ一つ蒐めたんですが、不思議に一致した。これは神様のお働きがあるんです。そこにある巻物ですが、巻物は二、三ありますが、住吉具慶という、昔の大和絵の名人です。その人の「源氏物語」ですが、歌と絵と交互になってますが、その時代の気分が実に良く表われている。それを見るとなんとも言えない気品に打たれます。宗達の巻物、光琳の団扇……それも珍しいです。光悦の書ですが、一つは漢字です。光悦は仮名書きの名人ですからね。支那の詩かなにかです。あとは光悦の画帖です。これは色紙を何枚も貼ってあるんですが、これは近衛家の先祖が、じかに光悦に画かしたんだそうです。ですから光悦の色紙でも最高のものです。いくらもありますが、このくらいのものはめったにないです。次は第五室です。これは支那のものです。これはまず道具屋やそういったものの専門の者でも驚いてました。掛物で、宋時代のものですが……元もあります。宋元時代のものです。そのうちの一番のものは、牧蹊の画いた双幅で、鶺鴒と翡翠です……小鳥のね。これは実に良いです。なんでも、関雪の弟子のなんとかいう人……鉄香ですね。その人が二日続けてきたんです。それだけを見にね。いつまででも見ているんだそうです。それは実に良いんです。あとはその隣に梁楷という人の寒山拾得があります。その隣の三尊の弥陀ですが、これは国宝です。有名なものです。まだいろいろあります。徽宗皇帝のもあります。徽宗皇帝の本物というのは非常に少ないんです。めったにないんですが、これは本物です。それから馬遠だとか因陀羅、銭舜拳、高然暉、李安忠の鶉……これは鶉の名人です。支那のものは妙なもので、一つのもので名人がある。それだけ画いている。ですから日観の葡萄といって、葡萄ばかり画いている人、また檀芝瑞の竹といって、竹ばかり画いている人もある。そんなようで宋元画はたいへんなものです。それから陶器類も、いま鎌倉の美術館で支那陶器の展覧会をやってますが、この間も各国大使を招んで、たいへんな名器を蒐めたということになってますが、商売人がここの美術館を見て、てんで鎌倉の美術館とは違うと言ってましたから、すばらしいものには違いないです。第六室はふつうですが、この中でぜひ知ってもらわなければならないのは、例の天平因果経です。これは、説明が昨日出てましたから、それを見たら分かります。ただ、一二〇〇年くらい前で絵具なんかちっとも浅せてないです。これは不思議なんです。そういった絵巻物の中では日本一です。たくさん因果経はありますが、これは最高のものです。知らない人はないくらいです。アメリカでも珍重しているんです。それで、アメリカ人が欲しがってたいへんです。一五行いっているんですが、一五行もここにある因果経の次の因果経です。これは非常に欲しがって、いくら高くても買うそうです。これを知っている人は決して売らないです。これは国宝以上のものです。なぜ国宝にならないかというと、切ってあるからです。まとまっていないからです。切ってあるのは国宝にならない。それから推古仏で、一番古い……一三〇〇年くらい前です。肘をついている観音さんで、金銅仏ですが、これは日本で四九体できた。で、四八体だけ法隆寺から献上した。ですから四八体仏といって、御物になっている。そのうち一体だけ、よけいできたのが、ある所に非常に大事に隠されていた。それがうまい具合に私の手に入った。ですから民間にあるのでは、これが最高です。それから旗があります。これも奈良朝ですから一〇〇〇年以上前です。持統天皇の……その時分の錦の御旗です。ですから、もうボロボロになってますが、肝腎な所だけは残ってます。これは歴史的におもしろいです。あそこに出てます。それから、仏画の中でちょっとおもしろいのは、不動さんの絵があったのを、宗達が矜羯羅童子と制多迦童子を画いたんです。衿羯羅童子と制多迦童子は、かなり大きく画いてありますが、それは宗達の仏画です。それは珍しいんです。良く画いてあります。あとの仏画は、たいしたことはないです。

御伺い 作者が入っておりませんが。

 ああいう仏画は作者というのがないんです。たいてい坊さんが画いたものです。一つ、鎌倉時代の阿弥陀さんの立ったのが出てますが、それは切金細工です。金を細かく切って置くんです。それを実に……よくも根良く身体全体に置いてあります。袖の裏まで置いてあります。ですから切金細工としてはおそらく日本にないです。切金細工の代表物です。だいたいそんなものです。細かく話したらきりがないが、「百聞一見に如かず」です。

御伺い 湯女というのは作者はだれでございましょうか。

 浮世絵の、古い時代は作者を入れないものです。ですから、桃山時代の浮世絵の作者の銘はないんです。

御伺い 又兵衛じゃないかと言っておりますが。

 又兵衛は似たところがありますが、又兵衛とは違います。ああいう強い筆は使わないです。又兵衛のがありますが、又兵衛を出すだけの余地がないんです。むしろ、又兵衛はあれからヒントを得てやったんです。又兵衛よりあのほうが古いです。

 浄霊はこういうときはしないつもりですが、どうも非常に希望があるというので、断りきれないのでやります。

「『御教え集』十一号,昭和二十七年七月十五日 」 昭和27年07月15日