六月一六日
見らるる通り地上天国の、だいたい箱根の模型はできたわけなんです。特にあの通り美術館も思い通りできたので、私は非常に満足しているわけです。だいたいメシヤ教というものは、地上天国を造るという意味で、最初の……つまり地上天国の模型を造るんです。で、世界の経綸は、すなわち神様の御経綸というものはおもしろいもので、ちょうど果物の種のようなものでして、まあ梅なり桃なりが、実そのものは世界なんですが、種がつまり中心になるわけです。中心ということは、いまはっきり言うことはできませんが、種の中心にまた種の元があるんです。そういう具合でして、そうして世界をいろいろするには、一番小さい種が変わるんです。そうすると、ちょうど他に石をほおり込んだようなもので波紋を起します。そういうようなもので、世界を天国にするには、ごく中心の中心の小さい……そこをいろいろに変えるんです。いろいろ変えるというのは、天国を造るんです。で、天国を造るその本尊様がつまり私なんです。ですから私というものは、世界のごく中心なんです。その中心というものはポチ(ヽ)なんです。で、丸(○)にチョン(ヽ)ですね。これが宇宙の形なんです。丸(○)が宇宙でして、チョン(ヽ)が肝腎なのであります。それが私の救いの仕事になるわけなんです。それは非常に神秘ですから、精しく話するとおもしろいんですが、まだ時期がそこまで行っていませんから、時期を待っているのです。なかなか、神様のことは深いんです。そこで地上天国を造るということは、それがちょうど石を投げて波紋を起すように、だんだん広がって行って世界が天国になるということになるんです。ですから、小さくても……単にこれだけのものでいても、これが非常に大きな意味になるんです。ですから六月一五日……これが過ぎると同時に変わるんです。箱根は、いつも言う通り霊界になるんです。熱海は現界になる。ですからこれが過ぎると、今度は熱海の地上天国のほうが非常に捗ってまいります。それで熱海の地上天国ができると今度は世界的に変わります。それは目に見えるような変わり方になります。いまのところは霊のほうですから、はっきり……著しくは見えないが、なんとなく変わつていきますよ。それはたしかです。
昨夜、今度アメリカから来た宗教研究家というか、宗教調査と言いますか、これは新聞にも出てましたが、ブレーデンという人ですが、日本における神仏両方……既成宗教を一週間ばかり前に簡単に調べたそうです。新興宗教も調べて、昨日はメシヤ教を調べた。そのときのいろんな質問応答がありましたが、アメリカは……これはこの間話しましたが、緯の棒の中心であり、日本は経の棒の中心である。それを結ばなければならない。それを結んで初めて真の文明が生まれるという話をしたんで、非常に喜ばれていたようです。だからしてあなたがここにお見えになったということは、つまりそのきっかけだというようなお話をしたんです。ですからそういう意味において、昨日は六月一五日ですから、一五日にアメリカの人が宗教的の意味で私とそういう話をしたことは、やはりいま言う緯と経が結ぶごく最初の……まあ、画き始めになるという意味なんです。この間京都に行ったときにも、名古屋で講和記念日に中教会で私は話をしましたが、そのときに今日は経緯の結びの日だ。講和記念日というのは、そういう大きな意味が含まれている。それは名古屋という土地が、関東と大阪、京都……関西の間です。その中間が名古屋です。ですから中京というのは、ちょうど十字の結び目になるんだから、今日の日ここに立ち寄った。その話もしましたし、講和記念日とそういう関連があるという話をしました。それがだんだん現われるというのは昨夜がそうです。現われのごく初めです。そういうような具合で、地上天国はだんだん時期が進むに従って具体的になっていくんです。それは世界の動きを良く注目すると分かります。なかなか興味もあるんですよ。
しかし良いほうの話ばかりして嬉しがっても、なかなかそこまで行っていませんから……まだ油断はできないです。というのは要するに浄化です。人間の身体の病気ばかりでなく、世界の浄化があります。いまわれわれのほうは天国建設のほうの仕事をやってますが、世界的には大破壊の仕事をやっているんです。これは毎日の新聞に出ている通り、いかに破壊すべきや、という大仕掛けな計画をしている面もあるんです。で、破壊と創造です。これを世界でみると、創造されつつ破壊されていくんです。ちょうど花と同じで、花の髄が出かかって同時に花弁が散っていくんです。ですから花が散るほうが破壊で、髄ができるほうが創造のほうです。そうして髄がだんだん大きくなっていく。やっぱり散花結実です。そういう頭をもって、これからのいろんな出来事を注目すると、だいたい分かります。
美術館も、これからみなさん見られますが、案内書が間に合わないので、私がざっとした案内書の代わりをしますから良く聞いてもらいたい。
中は六部に別けたんです。入口から入って左のほうの広い所を二部、右のほうの最初入った所を二部、次に入る所が三部です。二階に上がって、右の広い所が四部、それから左のほうに最初入った小さい所が五部、その後ろが六部……と、こういう具合に別けましたから、そういう順序でお話をします。これはというものだけの説明をします。
最初入った一部は屏風と陶器です。屏風は光琳のものが二つあります。これが見物です。光琳の二曲が一つと、つまり一本です。それからもう一つは一双です。二曲が二つになっている。一つのほうは極彩色の水浜の図ですが、岩に水鳥がたくさんいるんです。これは光琳の図録には出てますが、非常な傑作なんです。いまパリに行っている佐野繁次郎氏は、光琳ではこれが一番だと言って、自分でも写したりして非常に褒めてます。その隣の白地に金泥のカスミに秋草を画いてますが、これは淡彩です。去年の博物館の琳派展覧会のときに同じような屏風がありましたが、あれは弟子が画いたものです。ちょっと見ると同じようなものですが、よく見るとずっとできが悪いです。それから根津美術館にもそれと同じものがありますが、それは偽物のようです。悪いけれども、それを言わなくちゃ、こっちの本物が分からない。こっちが本物です。それは実に良いです。その反対の隣のほうが、足利末期の名人ですが、海北友松という画家です。これはごく簡単な墨絵ですが、おもしろいもので有名です。国宝になっているんです。もう一つ、右手のほうには現代……明治以後の画家です。そのうちの代表と言っても良いくらいですが、京都の今尾景年の孔雀を画いた金屏風ですが、これは先の山下亀三郎さんが、これ以上ないという屏風を作って、景年にうんと最高の物を画いてくれと言って……非常な力作です。実に……現代画でも、見て値打ちがあります。これは汪精衛が日本に来たときにあの屏風を必ず立てたそうです。御自慢だったんです。あとは陶器ですが、そのうちで見るべきものは、真ん中に仁清のものがあります。これは日本の陶工で第一番のものなんです。むしろ、日本陶器の真髄は仁清にありと言っても良いです。というのは日本の他の陶器は、なんでも結局支那の写しです。支那をお手本にしている。柿右衛門でも、支那の明時代の赤絵物を模したものです。少しは日本的なものがありますが、だいたい支那の赤絵の模倣と思っていれば良いです。それから、乾山はそれほど支那の模倣はしてませんが、やはり支那の一部を模倣したのと、オランダの模倣をした。そこに兄の光琳から大いに学んで作ったんです。とにかく乾山は各国の良いところを……朝鮮の風も取り入れてあります。そうして琳派の特色を発揮したというものなんです。ところが仁清に至っては、ぜんぜん外国のものは少しも取り入れてない。独自のものを作っている。そこにすばらしい価値があるんです。そこで私は昔から仁清は好きで、最初から仁清だけを蒐める方針で……だから仁清が一番蒐まっているでしょう。仁清のうちのもっとも傑作を三点部屋の真ん中に飾りました。その真ん中の一つは支那の唐子人形です。それが二人花車を引いている。花の籠の意味を陶器で表わしている。それで二人で引いているんです。置物です。仁清のものは名作と言えば壷ですが、そういった置物はないですよ。おそらく、それ一つじゃないかと思います。その意味において珍器です。珍物なんです。それから左手のほうにある水指ですが、これは雲に菊畑が画いてあるんですが、金を多く使って、その具合が非常に仁清の特色を発揮しているんです。仁清の優美な、なんとも言えない美しさが良く表われているんです。右手のほうには茶碗が二つあります。茶の湯の茶碗です。これは重茶碗といって有名なものです。仁清の茶碗のうちでは、これが一番としてある。その意匠たるや非常に新しい……現代の図案の感覚です。それとちっとも違いないです。いまの人が作ったような意匠です。三〇〇年前にあれを作ったという仁清の頭というものは、実にたいしたものです。まだその他のも私は持ってますが、今度出るのはこれだけです。これが大いに注目する価値があると思います。その隣に乾山の鉢が二つ出てます。これも乾山のうちの名作ですから良く見てもらいたい。あとは鍋島、九谷です。その皿が多くありますが、これは世間にあありますから、そう自慢するほどのことはない。世間のは、とにかくたいていは毀があります。今度出ているのは毀がない物ばかりですから、その点は誇っても良いと思います。それから壁際に画帖があります。これは現代の物で、取り立てて言うほどではないです。
次の二部は現代の美術品を飾ったんです。そこで掛物は雅邦、栖鳳、大観、玉堂、春草と、この五人のものを出しました。現代としては古径だとか靫彦、青邨、龍子……そこいらを出したいんですが、どうもまだもう一息というところがあるのと、それからその人たちの傑作が手に入りませんし、場所もないし……いずれ熱海にでもできたときに飾るようになりますが、今回はいまの五人のものを並べたんですが、そのうちですばらしいものとしては、栖鳳の竹と雀です。これは私は頭が下がります。この技術に至っては古人に遜色はないです。鯛もなかなか良くできてますが、鯛のほうは.かなり写生味が多いために、もう一息という感じがします。竹に至っては絶品です。ほとんど神技に近い……神技と言っても良い。見れば分かります。それを見ると息が止まりそうですよ。それから、工芸品としては蒔絵の白山松哉という人の、あれが昔から一番の名人ですが、この人のが二点出しています。一つは沈箱といって香を入れる箱です。あそこに行けば分かります。もう一つは香台といって香を薫く台です。これは、陛下が出御なされるときに香を薫くんです。香を薫いて良い香がしている所に出御するという香台です。これは、すばらしいものです。なにしろ香台の裏まで蒔絵の立派なものがついてます。明治以来の名人のはみんな出てます。松哉の次のは、ふつうの人は知りませんが川之辺一朝という……松哉と並び称されている人です。これは海浜の図ですから見れば分かります。その次が赤塚自得というなかなか有名な人ですが、ダリヤの料紙文庫の硯があります。その次が蜀江の嫌味のない奥床しいものです。金一色で画いてあります。これも文庫硯です。それから硯が三つありますが、これは模したものです。模したといっても、贋物を作るという意味じゃない。模したものも非常に名人がある。小川松民で、鎌倉時代の有名な政子の硯箱の写しですが、もう一つは光悦の舟橋の硯箱の写しです。これは大正ごろの名人の迎田秋悦作です。それから彫刻の佐藤玄々という人は昔からの……古今を通じての名人です。入って左手に猫がありますが、この猫たるや実にすばらしいものです。本当の猫を見るような感じです。それから中のほうに入ると、鷹と観音さんと大黒さんと三つありますが、これもたいしたものです。あとは波山の陶器ですね。楊成の堆朱と、そんなところです。次の三部はお茶に関係したものです。その中でおもしろいのは、支那の無準という坊さん……有名な坊さんですが、この人ので大きな字で「帰雲」と書いた掛物があります。これは説明すると、おもしろい由来があるんです。昔、無論徳川初期あたりですが、尾張の陶器の名人で古田織部という、これは織部焼の元祖です。この人は茶器を焼くのが上手いので、各大名から贔屓にされていた。そんなこんなでお茶の会を始終開くんです。あるときその会に、その時分細川の……最初は幽斎ですが、その次の人か、とにかく細川の殿様が茶会に行って、「帰雲」がお気に入った。ぜび譲れと言った。それは譲ることはできないと言うと、一字千金というから二字で二〇〇〇両で売れと言った。駄目だと言っても、俺は気に入ったからもらって行く、と言って持って行った。その当時はそれは差し支えないことになっていた。掠奪御免です。むしろ殿様に持って行かれるように出したくらいです。それも持って行かれるのを誇りと思ったんです。自分も好きなので売らなかったんですが、どうも殿様が持って行くのではしかたがない。で、二〇〇〇両でまからなかったから三〇〇〇両なら承知できるだろうと、使いの者に三〇〇〇両届けさせたという謂があるんです。ですからいかに気に入ったかということが分かるんです。私も、そういうことを知らないときに、一目見るなり非常に気に入ったんです。それで後で分かって……そういう記録があります。やっぱり良いものは同じことだと思いました。その隣に大燈国師……京都の大徳寺の開祖です。この人の字があります。日本での書では大燈の字が一番良いとしてある。これも名品ですよ。ああいった墨蹟物は細かい字よりも大きな字が良いんです。大きさがちょうど良いんです。で、書くのもおもしろ味があるんです……決まらないでね。去年京都に行ったときに看読真詮榜〔看経傍〕という、あれは後醍醐天皇の罪を仏様に許してもらうという……それで悲愴味がある。去年のときにも私は良く見ましたが、非常に固いなんとも言えない悲愴……そういった気分を受ける。感じを受けるんです。ところがいま美術館に出したのは、そうではない非常に明るい楽しいような気分が良く出ているんです。非常に字がおもしろいんです。これも見るべき価値がある。それから一休の像を画いたのを出してありますが、これは一休が生きているときにそれを写生したのです。ですから、想像画じゃないから、なるほど一休という人はこういう人だなということが分かります。見れば分かります。なるほど一休らしい感じがします。私は会ったことはないが……。あとはたいした物はありません。竹の花生があるんですが、これは利休が小田原に大閤殿下のお供をしてきたとき、伊豆の韮山の竹が良いというので、自分で切ってこしらえた花生です。それも出てます。それから白い花瓶がありますが、これはたいしたものです。支那の定窯といって……定窯というのは、たいてい皿が多いんです。あの花瓶は世界的のものかもしれないです。実に良いです。茶碗がありますが、楽茶碗でアヤメというのがあります。これはこの間京都の官休庵先生……お茶のほうの一人者です。官休庵先生に貸したんですが、非常に面目をほどこしたというんで、非常に厚い礼状をよこしたんですが、それは長次郎の作品のうちで、アヤメと早舟という有名なものがあり、この二つが一番良いとされています。早舟は私も欲しいと思うが、なかなか手に入らないし、早舟は割れているんです。アヤメは割れていないから、長次郎のうちでは一番良いと思います。実に良いです。だれも褒めない者はないです。それが出てます。楽茶碗です。それからもう一つ鳳凰を画いた鼈甲になってますが、支那の茶碗で玳玻盞というんですが、玳玻盞もいろいろありますが、このくらいできの良い、鮮やかにできたのは、これが一番だろうという評判です。これは鴻池家から出たんですが、見るべき価値があります。それから青磁の茶碗があります。金で縁をとった……これは藤田家から出たので、青磁の茶碗としては、日本で一番だと言われています。非常に良いお茶碗です。その他にも名品ばかりですが、一々説明してもきりがないからそのくらいにしておきます。今度は二階に上がって、四部は掛物と蒔絵が主ですが、それから巻物も……たいしたなにはないが、中に「源氏物語」がありますが、そういった大和絵の大家で住吉具慶という人の画いたもので、良くその時代の気分が出ているんです。上品でなんとも言えない。歌と絵と交互になっているんですが、私が見ても……たまらないです。それから宗達の巻物と光琳の団扇です。あとは光悦の書いた楷書です。楷書というのは珍しいんです。もう一つは仮名書の画帖ですが、光悦のうちでも絶品なんです。このくらい良い画帖はないです。その画帖は近衛家の祖先が、光悦にじかに頼んで画いてもらったものだそうです。ですからふつう見るよりか良いです。見物です。掛物での一番は光琳の達磨ですが、私は光琳の「伊勢物語」の双幅があるんですが、元の持ち主から出してくれるなというので、その代わり達磨を出しました。これも有名なもので、実に柔らかい内に凛としたところがあるんです。実になんとも言えないものです。もう一つ光琳の秋草の芙蓉を画いた……この掛物の上手さというのは、どうしてこんな筆を使うかと思う。いまの画家もいずれ見るでしょうが、頭が変わらないかと思うくらいです。いまの絵は塗抹絵といって塗抹するんです。その秋草の絵は一気にバッバッと画いてある。あの技術というのは、いまの画家ではとうてい逆立ちしても画けないでしょう。それから、あと宗達の物が三幅あります。宗達の鷺の……葉ですが、葦の葉みたいなものですが、それが一気にスーッと画いたものは、出力はすばらしいものです。それから宗達の犬がありますが、宗達の犬の中でもこれが一番だとの評です。私は特に出したというのは、去年博物館の琳派展で、宗達の墨絵の「たらしこみ」というのは、画家のほうでは、垂涎措く能わざるものがあった。黒犬があったが、安田さんの持っているものです。ところがそれよりか私の所の犬はずっと良いです。あっちは黒犬ですが、こっちはプチなんです。白と黒になっている。それでずっとていねいに画いてあって、それはなんとも言えないですね。非常にかわいらしい。これは見れば分かりますが、これでも画家は驚くだろうと思います。あとは鶏です。もう一つありますが、これは「たらしこみ」をもっとも良く表わしている。あとは乾山の雪松……これは非常に迫力のある、つまりボリューム……それがあるものです。それからもう一つは宮本武蔵の達磨の絵ですね。これを見ては実に驚きます。支那の宋元時代の名画と匹敵するくらいの上手さがあるんです。これは話より見るに如かずですから、説明しません。その隣に浮世絵を四、五点出しています。真ん中の大きいのは湯女といって、昔の湯屋で傭ってある商売女です。これがまた非常に良いんです。それが日本の浮世絵の掛物では一番とされているんです。もう一つ彦根屏風というのがありますが……屏風であって、戦災で屏風から離してまた仕立てたもので、それに屏風というのは掛物より一つ落ちますから、いまの湯女は浮世絵でも一番です。これは博物館でも非常に欲しがってましたが、どういうわけか私のほうの手に入ったんです。いつか博物館の人が来て非常に口惜しがっていた。その隣に土佐光起の高尾がちょっと横に肘をついて寝そべったところですが、これがたまらなく良いんです。その片っ方のほうが宮川長春の双幅ですが、若衆と娘でしょう、その双幅ですが、これがまた実に良いんです。それから蒔絵はいろいろありますが、特に真ん中にある一つの手箱ですが、説明書がついてますからそれを見れば分かります。もう一つは印籠箪笥と印籠掛です。それから印籠です。印寵はまたすばらしいものです。一つだって容易に手に入らないものを一二掛けてあります。これはその道の人が見たら、びっくりするだろうと思います。まだあります。硯箱でも、有名な硯箱がちょいちょいあります。これは現品を見てもらうんです。時間がないから、はしょって言います。次が支那陶器、支那の絵ですが、この絵たるやすばらしいものなんです。なにがすばらしいといって、容易に手に入らないものです。なかなか昔から、支那の宋元時代の絵はみんな大事にして大名の宝物みたいになっている。ですからそのうちの良い絵になると、箱に鍵がかかっている。ですから絵を鍵で開けたりするんです。なぜそうするかというと、絵が一つなくなると、それこそ首なんです。命懸けなんです。そのくらい大事にした。その時分参勤交代で江戸に行くときは、立派な荷物の籠を作って、交代で担いで行ったんだそうです。そのくらい大事にした。昔はそういった掛物や茶の湯の茶碗は人間の生命よりも大事にしたものです。一々説明するとたいへんですから、見てもらいたい。陶器も一品物は特別に飾ってあります。この中で一番値打ちのあるものは青磁の香炉ですが、これは世界にないです。私はずいぶんイギリス、アメリカ、日本もそうですが、調べてみたがないです。そのくらい良いものはないです。色といい形といい細工といい、いくら見ても欠点がないんです。一番良い所に出てます。あと絶品もありますが、時間がないから説明しません。その隣の六部ですが、ここの名品はなんといっても因果経です。天平因果経といって天平の初期にできた。この間の奈良の博物館にも因果経があったが……天平でも末期にできた。この因果経ができて、その後にできたんですからずっと落ちるんです。美術学校の所蔵になってます。私の所に出ているのは……日本にいろんな巻物がありますが、その最高のものが因果経なんです。そのうちの……三種か四種かありますが、そのうち一番良いのが天平因果経です。それは実に良いんです。美術学校のものは、そのうち一五行がアメリカに行ったんですが、とても珍重して、もっと欲しいというのがどのくらいあるか分からない。ぜひ見ずんばあるものかです。これだけ見に来るのもずいぶんあります。一行か二行で掛物になっているのがあります。最初は二三〇行あったのがバラバラになって、私の所と久邇宮さんの所と元の大臣の金光庸夫氏の所で、後は分散しているんです。それで一行で売りものになってます。三行くらいになると取り合いです。そんなようなわけで、非常に珍重されているものなんです。それから今度は仏が四体あります。黒いのが三つと、金色したのが一つあります。金色したのは民間にあるのでは最高のものです。推古時代にみんなで四九体できたので、そのうち四八体は法隆寺の橘寺にあったんです。橘姫というのが……法隆寺に御厨子がありますが、それが皇室に献上したんです。四八体の御物では最後のものでしょう。そのうちの一体残っていたのが手に入ったんです。これは神様がしたんですね。推古仏ですから一番最初のものです。二二〇〇年前ですね。黒いのは白鳳で、これはあります。もう一つは三尺くらいの大きな布が壁にありますが、それは持統天皇……奈良朝時代ですから千二、三百年経ってます。その時分の錦の御旗です。これは古くなってボロボロになってますが、まだ見るだけのものは残ってますから、珍しいので見る価値があります。あとは仏画で、三幅対で……真ん中は不動明王。両側に矜羯羅童子、制多迦童子がある。宗達が画いたので、良く宗達の味が出てます。端のほうにある曼陀羅ですが、私のほうにいくつもあるし世間にもいくらでもあります。しかし曼陀羅というものは汚いのが多いですが、これは珍しく馬鹿にきれいなんです。足利時代の作なんです。ですから美術的に見て価値があると思って出したんです。あとは他にもあるような仏画ですから説明の要はないんです。ただ一つ、仏像で鎌倉時代の立った阿弥陀さんです。それがありますが、それは木彫です。これは切金といって、金を細かく切って置いたもので、鎌倉時代にはやったものなんです。切金細工の代表ともいうべきもので、それもやっばり見る価値があります。それで終わりにしておきます。細かく言ったらきりがないから話はそれだけにしておきます。
本当は浄霊はしないつもりだったんだが、希望の方がたくさんあるというので、どうも頼まれると断れないという性分でね。