昭和二十七年七月十五日 『御教え集』十一号(5)

神仙郷完成兼美術館開館記念祝賀式典御教え

六月一五日

 神様の御守護やみなさんのお骨折りで、ようやく神仙郷もだいたい完成しました。特に美術館も一通りできあがったので非常に喜んでいるしだいなんです。それについて、いよいよ地上天国の一歩に入ったわけです。これがだんだん広がっていって、そうしてついに世界的の地上天国と、こういうわけなんです。これほど結構なことはないんです。いまは小さい……模型的なものですが、とにかく美術館は、そうとう世界的の反響を受けるだろうと、こう思っております。というのは、いつも言う通り、世界に誇っても良いほどのものだと思うんです。こういう美術館がわずか数年……というよりも、建築のほうは一年かからないで八ヵ月余りでできたんですから、こういうスピード的の建築は例がないと思うんです。これからみなさん見られるでしょうが、そんな短期間にできたものとはとうてい思えないと思います。これを世界的にみると、世界は大破壊の一歩手前に来ている状態なので、いつ大破壊が始まるか分からない形勢なんです。ところが私のほうは建設に一生懸命にかかっているんです。これを対照してみると、やはり破壊と建設です。地獄と天国というわけです。そして、いままでの宗教は立派な人間を作る……お釈迦さんが言った覚者です。つまり覚りを得ると、そういった……解りやすく言えば立派な人間です。ある程度の資格を得た者です。魂の資格を得た者……それを覚者というんですが、それになろうとか、ならせようとかいうことは、昔から人間はやっていたんですが、いままでのは苦しみです。難行苦行……ひどいのになると断食したり山に籠もったりしますが、その目的というのは、やはり覚者たらんとすることです。ところがメシヤ教がやるやり方は新しい、反対の……楽しみながら覚者たり得るんです。良い気持ちで魂を向上するというやり方なんです。これはいままでとは反対で、いままでにはなかったんです。というのは、メシヤ教は天国を造るというんですから、あくまでも天国的のやり方なんです。たいへんな異いさがあるんです。いままでとは逆です。それを認識しなければならない。そのうちの一つとしてのこの美術館です。美術を楽しみながら魂を向上させるというわけです。

 一々説明すると良く解っておもしろ味もあるんですが、なかなか……これだけの人数の人を、そういうわけにいきませんから、あらまし前もって簡単なお話をしておきます。だいたい中の品物は、室が六つありますから、それを六部に別けて……いまお話しょうと思いますが……入って左の広い所は一部として、これは日本の美術品の近代のものです。だいたい徳川期からこっちの陶器類、なかんずく日本の陶器類と屏風です。これは見れば分かりますが、陶器のうちで日本のものとしては、なんといっでも仁清という人の品物なんです。私はいろいろ研究しましたが、支那陶器というものは世界的のもので、とうてい日本は及ばないとしてありますが、ただ仁清だけは支那に負けないです。ある点は支那以上です。それから、他の柿右衛門とか……いろんな名人がありましたが、それは支那のまねです。明時代の赤絵と言いまして、非常に絢爛たるもので、そのまねです。ところが仁清に至っては絶対にまねがない。日本の独特のものを出している。私は仁清のものを古くから蒐めてあるので、私の所が日本では一番蒐まっているでしょう。ふつうの人が気がつかないときから蒐めました。それを真ん中に置いてありますから見てもらいたいと思う。真ん中に置物で花模様がついているので、これは珍しいと思う。ふつう仁清というと、壷とか茶碗とか香炉とかですが、ああいう置物的のものは非常に珍しいとしてある。うまく私の手に入ったんです。それから次は水指です。それと茶の湯の茶碗です。茶の湯の茶碗は、重茶碗といって非常に有名なものです。その道の人は、だれも知らない人のないくらい有名なんです。それは、茶碗が大小二つ並んでますが、その模様たるや実に新しい。いまの人が作ったようです。三〇〇年以上前の人が焼いたとは、とても思えないです。その図案の新しさというものは驚くべきものです。あとで見れば分かります。その隣に乾山の鉢が二つあります。これも名人ですが、仁清の次くらいでしょう。それからあとは九谷が多いです。九谷、鍋島、伊万里……だいたいそういうものが占めてます。あとは屏風です。屏風のうちに光琳の屏風が二つありますが、一つは二曲です。もう一つは二曲一双です。二曲のは、これは極彩色の岩に水鳥ですが、これもなかなか良いんです。光琳の二曲の屏風では、例の風神雷神と紅梅白梅といまの水鳥の屏風ですが、これは三つとも同レベルのものです。ですから、これはめったにいままで人の目に触れなかったものです。その隣の二曲の秋草……これは一双ですが、これは白地に金泥を薄く塗って秋草を画いたもので、これもなかなか有名なものですが、これの贋物がたくさんあるんです。私も二、三見ましたが、贋物と弟子の画いたものです。去年博物館で琳派展をやったとき、それと同じ屏風がありましたが、それは弟子が画いたものです。それはずっと下手です。

 それから海北友松……足利時代の人ので、やっぱり有名な人です。この人の山水ですが、ごくあっさり画いたものです。これは国宝になっているものです。それと現代のを入れようと思って、今尾景年という人ので一双です。山下亀三郎氏が非常にああいうものが好きな人ですが、その当時の人で、景年は花鳥が一番上手い人です。その人に画いてもらおうと思って、屏風も非常に金をかけて、これ以上ないというものを作って、一世一代のものを画いてもらったそうです。孔雀の絵です。現代のとしてはそうとう価値のあるものです。だいたい一部はそのくらいで、二部というのは入って右に行った手前の部屋ですが、その後ろが三部になってます。二部のほうは現代です。だいたい生きている人ですが、亡くなっても近ごろ亡くなった人です。現代美術の代表と思って見て良いです。絵は、雅邦、栖鳳、大観、玉堂、春草と、その五人のです。もっと新しい古径とか靫彦、青邨、龍子……そういう人たちのも並べたかったが、なにしろ会場が狭いので、とうてい並べられない。それにそういう人の力作がなかなか手に入らないし、いずれ熱海にできたら並べようと思う。いまはその五人の大家の傑作を並べました。特に栖鳳の竹と鯛ですが、これはすばらしいものです。鯛は有名なものですが、竹はあまり知れてない。その竹たるや、その絵の上手いというのは驚くくらいです。これはどんな人が見ても息が止まるだろうと思います。まあ危ない話です。それからあとは彫刻です。蒔絵は明治以後の名人をだいたい蒐めてあるんです。明治以後の名人は、いつも言う白山松哉です。松哉の沈箱というのがありますが、なにしろ説明書をつけるのが間に合わないのでちょっと具合が悪いんですが、この次くらいまでにはちゃんと完備しておきますが、そこで主なるものをちょっとお話しておかないと解り悪いですから……やっぱり、解らないとちょっと感じが出ないです。で、松哉の沈箱で、香を入れる箱です。これはすばらしいものです。その次の名人は川之辺一朝という人です。文台の硯が出てます。実に上手いものです。海浜の景色ですが、これは良く見たら人間業でないようにきれいにできてます。その次が赤塚自得という人です。この人のはダリヤの料紙文庫と硯箱が出てます。その次が植松包美という人です。これは蜀江模様の料紙文庫と硯箱です。あと、これは模造物ですが、模造物の名人であり、また蒔絵もそうとう有名な人ですが、京都の迎田秋悦という人です。硯箱で出てます。それは鎌倉時代の青貝の菊で金ベタと言い、金のベタになっている。そういう硯箱です。それと明治時代の人で小川松民……それと同じものが出てます。蒔絵はだいたいそんなもので、それから彫刻です。彫刻はいつも言う佐藤玄々という人の彫刻です。それの大黒さんです。大黒さんは昔からこれと同じものはないですよ。それから、鷹と観音様と猫ですね。それだけ出てます。これもちょっと息が止まりそうになると思います。よほどそのつもりでね。それからその後ろの三部が茶器類を並べてありますが、これはお茶を習った人ならすぐ解りますが、その中で掛物の一休です。お茶のほうの掛物は書が多いです。支那の書か、あるいは日本の書……というとまず大徳寺派です。大徳寺の坊さんです。その坊さんの中の一番有名なのは一休ですからね。一休禅師の肖像画があります。それは想像画じゃないんで、一休さんの生きているときに、藤原なんとかいう人が……その当時の偉い画家が肖像画にそっくりに画いたんです。ですから一休師の生き写しと思って良い。それから沢庵の字とか一休の画いた自画讃です。それから大きい掛物が二つあります。その一つが「帰雲」です。それは支那の宋の時代の無準という人です。これはその道の人はみんな知ってます。その当時の有名な人で書が上手いんです。いまそれは一番高いくらいです。その無準の人の「帰雲」と書いた……昔尾張に古田織部という織部焼の人がありますが、いまで言う陶芸家です。その人がときどき大名を招いてお茶の会をした。その当時の有名な陶芸家は、大名の贔屓になって始終茶器を作ってますから、そこで茶会をやるんです。ある一日茶会を開いたとき「帰雲」を出したんです。そのとき細川三斎という、細川家の祖先です。その大名が来て、その殿様が非常に気に入ったんです。織部に、これを俺に売ってくれと言うと、それは売ることはできません。私も非常に愛してますからと言った。どうだ、一字千金というから二字で二〇〇〇金ではと言った。ところがその当時の大名というのは、特権として、気に入ったものをみんな持ってきてかまわないことになっている。じや俺は持って行くぞ、と持って帰って、あいつは二〇〇〇金でも売らないと言っていたから三〇〇〇金持って行けと、家来に三〇〇〇金持って行かしたというのが記録にあるんです。それを書いて出そうと思ったが、間に合わなかったので出さなかったんです。そんなわけでそれも有名なものです。実に良いです。むしろ、上手いというよりか、味のある字です。見ていてなんとなく見飽きないという、そういう字です。その隣にある大きい幅ですが、これは大徳寺の開山とは違うが、開祖です。第一世です。大燈といって、お茶のほうではみんな知ってます。いつか……大徳寺に去年行ったとき、あそこに看読真詮榜〔看経榜〕という長い巻物がありましたが、私がじっと見てましたが、それと同じものです。大燈のがありますが、字の大きさが実にちょうど良いです。御気嫌の良いときに書いたとみえて良く書けているんです。なかなか字も上手いし、私はよく見ないが文句も良いんだそうです。これも、見ていてそうとう楽しめるものです。その隣に観音様と、上に自画讃がありますが、小さい掛物で、これは支那の虚堂……読むのは「キドウ」と読んでますが、この人の観音様の絵に自画讃です。これもなかなか良いです。他の茶碗類は、少しお茶をやった人でないと解らないですが、茶碗の種類はまず名品とか名物です……そういったものが並んでます。それが三部で、次は二階に上がって、右に広間がありますが、そこはほとんど蒔絵です。蒔絵と画帖物です。画帖物はたいしたものはありませんが、それでもそのうちの「源氏物語」がありますが、これは住吉具慶という大和絵では有名なものです。歌と絵……極彩色で画いてありますが、なかなか品が良いです。いま『源氏物語』がはやってますが、その時分の風習をよく表わしてます。それから断然光悦の書です。これは漢字と仮名と両方出してあります。これも光悦のそういうものとしては最高のものです。それから絵も掛物はできるだけ種類を多くしてあります。その中の一番は光琳の達磨です。私の持っているので、光琳の伊勢物語が二幅対で良いんですが、これは元の持ち主のほうで出してくれるなとお頼みがあったので、止して達磨を出したんです。達磨も有名なもので、非常に柔らかいうちに凛としているんです。これは光琳独特のものです。それからあと光琳の秋草です。芙蓉が中心になってますが、良く画いてます。この筆なんてものは、いまの画家が逆立ちしてもまねはできません。それから宗達の鷺と鶏です。それから犬です。この犬は特に私は出したんですが、それは去年琳派展があったときに宗達のそういった絵の中に、安田さんが持っている黒い犬があるんですが、そのとき非常に評判になった。もっともその中で一番良かったです。ところが今度ここに出ている犬はその黒犬よりずっと良いです。ていねいに良く画いてあります。黒犬を見た人は感心しますよ。それからこの間も言いましたが、宮本武蔵の達磨も出てます。この、上手いというか、これは説明よりか見たほうが良いです。そういった絵の心得のある人ならびっくりします。あとまだ他の物もありますが、それは見てもらえば分かりますから別に説明の必要はないです。もっと見せる品物や変わったものがあるんですが、なにしろ大きさが……それほど余地がないからやむを得ず、いずれ陳列替えしたときに出します。その隣が浮世絵です。浮世絵のうちで真ん中に出ているのは湯女というんです。昔……桃山時代ですが、湯女というのがさかんだったんです。その時分の夜の女というものでしょう。そういうのが散歩しているところを画いてあるんですが、これは有名なもので、浮世絵では日本一といって良いです。これは博物館で非常に欲しがっていたのを、私のほうに手に入ったんです。これはこの間、『国際写真画報』にも出てました。これも見れば良く分かります。その隣にある光起という人が画いた高尾ですね。昔の遊女です。これが実に良くできている。これも傑作です。それからあと二、三ありますが、だいたいそんなものです。五部は支那の美術品です。これはそうとう誇るに足るものです。支那の絵なんていうのは、だいたい宋元を主にしてありますが、その時分の名人の傑作です。特にそのうちの名人としては、牧谿という人の鶺鴒と、もう一つの鳥は川蝉(翡翠)です。その墨絵ですが、これも見れば分かりますが、実に上手く画いてあります。ちょっと日本人にもああいった絵はないでしょう。支那でも牧谿と言えば最高の画家ですからね。その隣に梁楷の寒山拾得があります。この人もたいしたものです。牧谿の兄弟くらいです。その隣が三尊の弥陀です。これも有名なもので国宝です。それから、その反対のほうの隣に……どうも支那人の名前というのは覚え悪いんですよ。とにかく牛を画いた絵ですが、上手く画いてあります。これも有名なものです。それから馬遠という人の画いた松の下の公子です。松の下の偉い人です。これは国宝ですが、それもなかなかたいしたものです。あと徽宗皇帝のものです。まだ五、六点ありますが、一々は時間がないから省きますが、そんなようなところが掛物です。これもそういった宋元のものをたいてい二、三部くらいですが、あれだけの点数を一度に見せるということは、ちょっと不可能ですよ。それでやっぱり宋元物にも贋物がずいぶんいろいろあります。私のほうはそういうものはないんですから、それだけ値打ちはあるわけです。それから支那の陶器類ですが、これは世界に誇っても良いと思います。そのうちの良いものは、白羽二重にのってますから分かります。一番良い場所にある青磁の香炉ですが、袴腰といって、三枚の香炉ですがこれは世界一です。ずいぶん外国も調べましたが、それだけのものはないです。青磁としては世界一と言って良いです。色といい、形といい一分の申し分ないです。完璧です。その隣にある瓢箪型の徳利で、赤絵といってきれいなものです。そういった赤絵のものでは、やはり世界に誇るべきものですね。その前にある皿ですが、宋均窯といって大きい、これは世界一です。もっと小さいのはアメリカにもイギリスにもありますが、この大きさのはないです。その前に徳利で、郊壇窯という青磁の徳利がありますが、これも世界一でしょう。そういったものが他のものよりも非常に形が良いんです。その隣にある亀甲ですが、高麗青磁といって朝鮮の青磁で、これも世界一……とは言えないが、世界的のものです。日本では一番でしょう。朝鮮にはそれに負けないくらいのものがあります。これは本元だからしかたがないです。京城の李王家の博物館のです。あとの青磁のものは、そう別に自慢する物はないです。これはよそにもあります。しかしあまり屑はないです。みんなそうとうの……中以上のものです。ところがほうぼうにある支那陶器展覧会というのは、そうとうに屑が混っているんです。いま鎌倉でやっている支那陶器の展覧会ですが、自慢してますが……良い物もありますが、屑もあもんです。それはひどい物がある。私のはそういうのはないです。その次の部屋は仏教に関するものです。仏画が並んでますが、仏画は別に自慢する物はないです。ふつう世間にあるものですが、ただ私はいやに仏臭くない、美術的の物を蒐めたつもりですから、その点は違うと思います。、ほうぼうでいう仏画は、お寺の本尊のようなものがありますが、それではおもしろくないから……宗教的に見るのではなく、美術的に蒐めたつもりです。その部屋で一番誇るのは因果経です。天平因果経といって千二、三百年くらい前に画いた絵が、いまでも色が、青でも赤でもいま画いたようです。これは実に不思議とされているんですが、因果経では日本一なんです。その次のは二ヵ所あるんです。久邇宮さんの所に一つと、先の大臣をした金光庸夫という人が一つ持っている。あれも売っても良いというが、高いですからこっちは金が追いつかない。いまのがあれば良いですから……。とにかく他にないんです。それと、世間にあるのはたいてい三行か五行くらいで、たいへんな宝物にしているんですから、その点においてもみんなびっくりしてます。あとはたいしたものはないです。お経で……嵯峨天皇のお経で国宝になってます。弘法大師が印をつけたものです。これも世間にありますが、みんな切って掛物にしてます。行の多いのではこっちが一番です。その次のお経は光明皇后の書いたのがあります。これも名前が有名なのと、私は好きですから出したんです。もう一つはやはり奈良朝時代の、その時分の錦の御旗です。持統天皇という天皇が行列のときに持っていたんでしょうが……旗ですが、それがボロボロになっているが、保存されているんです。模様の肝腎な所だけは残ってますから、それを出してあります。その時代に、なるほど、これほどの繊維業が発達していたかということの参考です。それからもう一つは銅の仏です。金銅仏で、その中に金の残っている仏が一体あります。これは御物ではそれと同じようなものがありますが、民間ではこれが一番です。これ一つしかないです。ですから見るべき価値は大いにあります。あと黒いのが三つありますが、それはほうぼう……でもないが、そういうものがある所にはありますから、たいして自慢はできないんです。いま言ったような……まだもう少し出すものがあるが、間に合わなかったから、あとは仏器類……これは別に取り立てて言うものはありません。ただ一つ鎌倉時代の木彫の仏ですが、掛物の前に出してあります。その時代に切金細工といって、金を細かく切って置くんですが……いまでもあります。これは鎌倉時代にできて非常にさかんだった。その切金細工のうちで、いま美術館に出ているくらい巧みに、念を入れたものはいままでないです。私は初めて見ましたがね。これはおそらく鎌倉仏としては一等だと思います。これはいまやる人は京都に一人あるだけだそうです。それはやはり名人だそうです。さっき話した玄々という人の彫刻は、切金模様がたくさん入れてあるんです。その点から言っても、大黒さんはよほど値打ちはあります。いまの話はだいたいですが、それを頭に入れて見ればよほど感じが違いますからお話したわけです。そんなようなわけで本当にゆっくり見たら半日でも見きれません。なにしろこれだけ……二〇〇〇人の人ですから、ゆっくり見ていられないから今日は瞥見程度にして、お参詣に来られるたびに、ちょいちょい見たほうが楽しみも深いし、ゆっくり見られるわけですね。あとは実物を見て……まあ、美術館案内です。

 今日は浄霊しないつもりですが、どうもみなさんのお頼みが非常にあるので民主的にして。

「『御教え集』一一号、昭和二七年七月一五」 昭和27年07月15日