六月七日
御教え 落成式が近づいたので、だいぶ少ないようですが……昨日も少なかったので話をしたんで、非常にみんな喜んでましたから、今日も話をしようと思います。
これは肝腎なことですが、よく私の書いた文章だとか、私の言ったこともありますが、明主様のおっしゃることでも、やはり裏表があるから、そういうのも考えなければいけない、というようなことをときどき聞くんです。そういう人があったら、それは邪神が憑いていると思えばいいんです。私の言うことは、決して裏表がないんだからね。言ったまま、字に書いたまま、そのまま受け取れば良いんです。そういう裏表を書くようでは、どこまで信じて良いか分からなくなります。それはどういうわけかというと、終戦前は危ないですから、あの当時の官憲は偉い人が出るということを非常に怖がった。それですから、大本教でもひとのみちでも、やられましたけれども、その根本は生きた人間を拝むんです。生きた人間を拝むと天皇陛下より上ということになるんですね。そこで、ひとのみちなんかは、御木徳一という教祖の像をニッケルで作って……お宮の真ん中が天照大神で、向かって右が代々の天皇、左が祖先と、こういうふうな像を作って、天照大神の前に御木徳一氏の像を置いて、それを拝ませた。で、他のことはみんな官憲が作ったものでしょうね。根本はそれなんですよ。つまり不敬ですね。天照大神の前に自分の像を置いて拝ませるということは、ちょうど天皇と同じような意味になりますからね。またどうしてそんなことをしたものか、ちょっと気が知れないと思ったんですがね。しかしやはり信仰的に……神懸り的にそういうふうに信じたんでしょうね。それが元だったんです。大本教なんか、出口王仁三郎先生ですね。あの人が不敬も不敬、たいへんな不敬だったですね。十六の菊の御紋をつけた羽織を着て、服装なんか宮様でも着るような服装をして、言うことも、ワシが日本の本当の天皇の系統だと言う。というのは、あの人は有栖川の宮さんの落とし子だそうです。これは本当でしょう。有栖川の宮さんが京都に滞在なされたことがある。そのときに近侍として出た若い娘にお手がついたとの話です。そのとき生まれたのが出口王仁三郎先生だと言うのです。だからお母さんが有栖川の宮さんの胤をいただいたわけですね。それは、お母さんが危篤のときに出口先生が行って、いままで隠していたが、お前は本当はこういう事情のもとに生まれたのだ、という話をされた由です。その直後に私は見舞いに行って帰ってきて出口先生に直接聞いたんです。それからガラッと変わったんです。俺はそうしてみると本当の日本の天皇の系統だ、という気持ちになった。それで明治四〇年ごろに「南北朝正統論」というのがやかましく言われましたが、学者の説で南朝が正統だということになったんです。で、その当時の天皇の系統……終戦時の天皇の系統は北朝ですから、北朝は本当ではない。俺は南朝の正統だから、俺こそ日本の天皇になるべきものだ、という考えになっちゃったんでしょう。それから外出する……旅行なんかするにも、儀杖兵的に……駅なんかに着くと、あの時分青年隊というのがありましたが、それは全部軍人のような服装をして、出口王仁三郎先生はちゃんとサーベルかなにか持って……剣を持って……それは抜くと旗なんですが、剣の形にね。それでプラットホームに行くとみんな敬礼している。それで陛下のときのようにしている。外に出るとオートバイが二台先頭に立ってズーッと行くんです。それで後からお供の車が二、三台行く。これは私が大本教を脱退した一つの理由だったんです。危ない、これはやられると思ってね。そのとき諌言した人もそうとうあるんですがね。注意したんですが、その注意がおかしいんです。出口王仁三郎先生は聖師様とそのとき言っていたが、「聖師様はそういう思し召しはないんだが、側の者がそういうことをするのは怪しからん」というのと「聖師様がそうするのだ」というのと両方ありましたが、なにしろ危ないので、それが脱退した一つの理由です。それで官憲のほうは怪しからんと根こそぎ弾圧したんです。あとで行ってみると、よくも壊したものですがね。月宮殿というのがありましたが、みんな壊れて……戦災の跡みたいです。みんなダイナマイトで壊したんですから、見る影もないです。そんなような具合で、その当時の官憲は偉い人というのを非常に嫌った。だから私が病気を治したりすると、ありがたがって敬ったりしますが、それが危ないんです。だからできるだけそういうことのないように、小さく小さくやっていたんです。それでも大宮警察署に引っ張られて、そこで拷問にあって……これは肉体的拷問です。頭の毛を引っ張られたり、剣術の竹刀を持って二人の奴が、腰骨をくだくとまで言ってやられたり、それでぜんぜんありもしないことを書いて、判を捺せというんですからね。今度の静岡の取り調べもずいぶんひどかったが、それほどではなかったですね。ずいぶんひどかったが、いま言ったそういう恐ろしいことはなかったですね。それを警視庁にやると、岡田という奴は怪しからん、とブラックリストに載せられる。それで至る所警察の奴が放たれて……監視つきですね。ずいぶんあの当時は嫌な感じだったです。熱海に来たときは……東山荘に来たときですね。熱海の警察署から二人来て、塀の穴からのぞいて、今日は男が何人、女が何人、いつごろ帰ったと記録していたんですからね。だからときどき変な男が家のまわりを見にきたりするんで、だから気持ちが悪くてね。それで、天国会の中島さんがやっているとき警察が来て、病気が治るということは、つまり観音様で治るのではない。陛下の御稜威で治るんだ。陛下の御稜威で治るというのを言うのなら良いが、観音さんで治ると言ってはいかんと、そういうことがありましたね。そんなこんなだから、やり悪かったんですよ。その当時中田重治という人がやっていた、ホーリネスというキリスト教会があるんですが、そこなんか幹部の者が六人牢屋に入れられて、非常な拷問や虐待を受けて二人牢で死んだです。まあ殺されたようなものですね。中田重治という人も病気になって死にましたがね。なにが原因かというと、再臨派といって、キリストの再臨を信じた。キリストは黄金の国に再臨するといって……黄金の国とは日本で、日本に再臨しなければならないというので、再臨派はそうとういたですね。先に大阪の人で、位置は大阪に違いないが……大阪に再臨しているに違いないと、そうして探した人がありますがね。そんなわけでホーリネス教会の一人で、いったいキリストが再臨したら、天皇とキリストと較べてどっちが偉いんだ。こういうことを言ったんですがね。それは日本では天皇陛下は偉い方に違いないが、世界的に言えば、やはりキリストのほうが全人類を救われるんだから、まずキリストのほうが上とみなければならない。その一言でやられたんです。ただその時分に日本の軍部……日本の天皇陛下は世界を統一する……八紘一宇ですね。そこで天皇より偉いということになれば、それはたいへんなんです。それだけでとうとうつぶされましたがね。近ごろいくらか小さく始めているようですが、まあ気の毒なものですよ。中田重治という人はなかなか立派な人で、言うことは正しかったですね。むしろキリスト教のほうではホーリネスを注目していたですがね。ホーリネス教会という名前で、どこかにできたということを聞きましたがね。
御伺い 明主様申し上げます。関西のほうで再臨教会というので、さかんにいたしております。
そうでしょうね。やっぱりあれは、キリスト教も本当に研究すればそこにいくんですからね。そんなようなわけで……話が馬鹿に横道にいったんですが……本筋が分からなくなっちゃったが、そういうわけですから、そうそう裏表の話でした。そういうわけだから、はっきり言えなかったですね。ですから私の本なんかでも、最初の『明日の医術』なんかは、ずいぶんぼかして書いてありますから、たしかに裏表があったんです。日本でも最初……昔、仏教の最初の時代ですが、あの時代にはずいぶん神道やなにかも力があって、本当のことが言えないために大いに……裏表どころではない、裏ばかりの説き方をしていた。その時分の……真言密教ですね。あれがそうなんです。密教というのは、本当の奥義はお釈迦さんは七王の上にあるとしてある。七つの王様の上にあるというんですね。ですからその時分の天皇に対して、非常に不敬になるんです。天皇より上なんですからね。大本教にそういう研究家がいて、釈迦は七王の上にあるんだと言って、警察に呼び出されて、ずいぶんやられたようです。そうしてその弁明に非常に苦しんだようですが、これは宗教の……霊界のことだからというので、うまくごまかしたようですがね。そんなわけで、言葉や筆で知らせることができなかった。ですから覚りでいくんですからね。本当のことを言わないで、本当に近いようなことを言って覚らせるんです。教えをして、味わいですね。あれをさせるときには、試験のときには大僧正の前に行って、大僧正から「お前解ったか」というと、「解りました」。それで良いんですからね。それでちゃんと霊的に通じているわけですね。霊的に解ったんです、ですからあの時分は暗号といって符牒を作ったんですよ。ちょうどいまの共産主義のようなものでね。昨日かの新聞に出てましたが、共産党の暗号は野球に準らえてね。そういうことは日本の密教が初めですよ。その言葉をなにかでちょっと見ましたがね。共産党よりか上手くできてましたよ……もっと深かったですね。共産党のは、じきに分かりますからね。そんなようなわけで、だから仏教でも嘘は許されていたんです。ですから「嘘も方便」と言いますがね。ですから嘘は……結構じゃないが、それほどの罪にならないです。罪になるのは偽りです。嘘と偽りは違うんですよ。嘘というのは、先が信ずるも信じないも勝手です。鼻の先であしらう……嘘言ってやがらあ、とね。偽りというのは嘘の具体的効果ですね。人に嘘を言うのはそれほどでもない。場合によっては嘘を言っても良いんです。ですから嘘というのは空虚なものですね。ですから口偏に虚と書きますね。偽りというのは中に実体が入っているんですね。
それからもう一つは、理外の理ということをよく言いますが、理外の理ということは、あれも本当じゃないんですよ。理外に理はあるものじゃないです。理外にもし理があるとすれば、その理は非理ですね。というのは理外の理の、最初の理と後の理が違うんです。いま理外の理という最初の理は理じゃないんです。後の理が本当なんです。理というのは道理であり真理です。真理というのは理外の「理」の理ではないんです。ですから理外の「理」というのは真理じゃない。偽理ですね。後の理のほうが本当に効果的、実質的ですね。そうしてみると、いままでの理屈とか道理とかいうのは、それは嘘だった。贋物だった。ですから、私の言うことは真理なんですが、真理でない偽理のほうが一般的になっているために、真理がおかしく取れることがありますね。だからよくありますが、最初メシヤ教の説を聞くとあまりに突飛なんで、正面に信じられないような奇想天外なのでびっくりする、とよく書いてありますがね。それは本当いうと、私などが世間で言うような理屈を聞くと、奇想天外と思うんです。ぜんぜんなっていないので、あんなことをしたら、とんでもないことになる。譬えてみれば、結核新薬のヒドラジドなんかたいしたものと思って、世界中で大騒ぎしているんですが……それについて一つ書いたんですがね。
(御論文「結核半減記念祝いに就て」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五二九―五三一頁〕
それから、今日はすべてが間違いきっているわけですね。それを治すのがわれわれの仕事なんだから、たいへんな仕事には違いないですね。
それからまた話が違うけれども、大本教のお筆先にうまいことが書いてあるんですよ。「人間が見て解る様なちょろこい仕組ではない。神の奥には奥があり、その又奥に奥がある仕組である」ということがある。それから「神界が解らないと思う人は解りたるのであるぞよ」こういうのがあるんですね。それはどういうわけかというと、人間的の考えで判断するのは、これが一番怖いんですね。とにかく人類を救う……新しい文明世界を造るというくらいの非常に大きな深い仕組みなんですね。だからして人間的の判断なんかでとうてい解るものではないです。そうかといって、それをはっきり言うことができないですね。やはり時代に……時期によりますからね。私は先から少しずつだんだん近い所を説くようにしてますが、まだまだその深さというのはどこまでもありますからね。時期の進むに従って、説いていくわけですね。だから人間は、奥の奥……深い所、神秘な所を分かりたいのはだれでもそうですが、それを分かろうと思うだけならいいが、ただ上っ面の所で……自分の小智小才をもって善悪を判断するというのが一番具合が悪いんですよ。それがまた、分かるようならやはり神様と同じなんだから、分からないのがあたりまえで、ただ素直に時期を待つという態度でいるのが一番良いんですね。
それからもう一つは、人からいろんなことを聞きますが、それを正面に信ずるということが、これがまた危ないですね。だからいろんなことを聞いても、なるほど良い、しかしこれは神様の御趣旨に合っているかどうかということをまず考えてみて、どうも神様の御趣旨に合わない点もあるようだという場合には、御神書を見るんです……読むんです。そうするとたいていなことはどこかにありますから、それで判断をするということにしなければならない。そういうことで間違えることがよくありますからね。最近こういうことがあったですね。ある信者で、メシヤ教は天国を造るんで、家庭も天国にしなければならない。そうするとお金は、つまり余ってからあげる。あげても経済的に差し障りがないだけの金をあげる。そうすれば金の苦しみがないから、それが本当のやり方だ。苦しんで金をあげるということは、やはり一つの苦しみを作るのだから、それは神様の御趣旨に合わない。昔からいう「信心は徳の余り」というわけですね。それを聞いて、ある信者は感心したんですよ。それがだんだん広がって……苦しんで金をあげるから、だから家庭が天国にならないんだということにまでなった。そうするとまたいっぽう神様はいま非常にお金が御入用だ。人間は少しは苦労をしても神様のほうにあげなければならない。という両方の説が対立した。しかしどうも後の説が負けるんですよ。最初のほうが勝っていくんですね。どうもゴタゴタしているので、私が呼んでよく話してやった。私の話はこういうわけです。最初の、家庭が困らないようにするということも合っている。たしかにそれに違いない。それから、神様はお金はたくさん必要だから……はやく地上天国を造って救わなければならないので、どんなことをしても金をあげなければならない……どんなに苦しんでもあげなければならない、ということも合っている。両方とも合っているんだ。ただ大乗と小乗だ。最初のほうは小乗的考え方ですね。後のほうは大乗的考え方ですね。じゃ、後のほうは金をあげて苦しむかというと、決して苦しまない。金をあげてそんな苦しむような神様だったら拝むのを止めたらいい。だから試しにあげてご覧なさい。苦しむようにあげてご覧なさい。一〇倍になって返ってきます。苦しむどころじゃない。たいへんな金にだぶついてくる。そう言ってやったので、両方とも……小乗的のほうはよく解って、ついこの間、謝りに来ましたがね。そういうことがあるんですよ。ですからそういうことも心得ておかなければならないということを、いま話したんですがね。
それから五、六日前に宮本武蔵の絵を買いましたがね。それはなぜ買ったというと、道具屋に行ったところが脇に掛けてあったんです。見ると実に良く書いてあるんです。これはだれだというと、宮本武蔵というんです。絵の中に「二天」と書いてあるんですがね。達磨さんの絵ですがね。宋時代の絵に負けないですね。私はぜひ欲しいからと買ってきましたがね。おそらく、いまの古径、靫彦なんか足元につかないです。技術なんかですね。今度美術館に出しますから、見れば分かります。そこで考えさせられるのは、ふだんこのほう(剣術)は始終やってましたが、筆のほうはそれほど、そう研究したわけじゃないからね。それはどういうわけかというと、一芸に達した人は他のほうもそうなる。譬えてみれば、いろんななにがあるとしますが、一つ飛び抜けて上のほうに行きますと、他わものもそれについていくんです。結局は同じなんですからね。だから、武道の奥義に達すれば、絵のほうもそこに行っちゃうんです……少し経てばね。結局それによって魂を向上させれば良いわけですね。これが一番はっきりしているのは、私ですが、私はなにも植木屋の手伝いしたわけでもないし、大工の……庭でも、今度の建築でも全部私がやったんですが、一つそこにいくと、なんでもそこのレベルにいきますからね。今度美術館をやりましたが、最高のレベルだと思います。いまあれだけの設計をするのは、おそらくないです。これが私が宗教の教祖でなければ、なぐられちゃいますよ……馬鹿にしているとね。まあ、実際を見れば分かりますからね。これはホラじゃないんですよ。そういうようなもので、その道理を押し進めていくと美術品ですね。あの良いものを見るんですね。名人の傑作品を見ると魂がそれにいきますから、目が高くなるんですね。目が高くなると、他のものにまでいきますから、批評眼が高くなるんですね。
芸術品ばかりでなく、あらゆるものの批評眼が高くなるから、その人の智慧証寛が高くなるんです。智慧証覚というのは批評眼です。ものを見てそれが善いとか悪いとかね。本当だとか嘘だとか、その判別は批評眼によるんですからね。ですから人間は物を見た批評眼が一番大切ですね。だからああいった美術品の好きな……いまの美術館はそういった価値はありますね。
この間私は上野に行って「国際美術展」の各国のを見ましたが、実にお話にならない。あれを良いとか悪いとか批評して新聞や雑誌に出てますが、あれは批評できないですね。もし批評するとすれば零というんです。ひどいものです。ちょうど薬で病気を作っているのと同じです。それから、糞をかけて米を穫れないようにしているのとね。美術のほうもそうなっているんですね。そこにいくと古美術の秀れた高さというものは、たいしたものです。現代人がつまらないものをたいそうに思うのは、批評眼がないからです。批評眼がないということは、良いものを見ないからですね。その点においても私は美術館はたいへんな役目をすると思ってます。古い良いものを見ると、その人の頭がよほど違ってきます。一番分かりやすいのは、ああいうものが好きな芸術家はみんな上になるんですからね。一番好きなのは吉川英治ですが、三〇年くらい前から好きで持ってます。いまもって好きで買ってますがね。それから大仏次郎、川端康成……とても好きなんです。それからあれはいつか来て見せてやりましたがね……高見順ですね。このごろだいぶ出世してきました。川端康成の弟子ですがね。だいぶ注目されてきました。油絵のほうでは梅原龍三郎です。また馬鹿に好きなんです。ですからあの人の油絵は一番良いです。今度の美術館にもあの人の油絵の良いほうのを一つか二つ出します。私は他の油絵を美術館には出す気にはならないですね。出す価値がないです。梅原龍三郎は他の者が持っていないものを持っているんです。ですから二、三日前に芸術家の会議で行きましたがね。やっぱりあの人の骨董好きですね。それが影響しているわけですね。それから吉川英治なんか宮本武蔵なんて傑作を作りましたが、あの中に光悦も入ってますが、それから沢庵和尚ですね。あの文芸作品で、ああいう方面に関心を持ったということは、やはりそれだけ違っていたわけですね。なかなか、話のほうはきりがないから、このくらいにしておきます。