昭和二十七年七月十五日 『御教え集』十一号(2)

六月五日

御教え 美術館も見らるる通り足場が取れまして……まだ外のほうはいろんな構えや、自動車の通るような橋を作りますが、建物だけは外観がだいたいできたわけです。だれでもそう思うんですが非常に早いんです。スピードですね。おそらくこんなに早いのはないだろうと思うんです。これは、商売人でここで仕事をしている人はほとんど全部信者になっている。それからまた奉仕隊が一生懸命にやるというようなわけで、要するにふつうの建物と異って、つまり信者さんが本当の誠と熱でやるんですから、早いのがあたりまえなんです。そうして、早ければできがぞんざいかというと、これはまたあべこべで実に良くできている。ていねいにできている。見れば分かりますがね。内部でも、世間にある美術館とはよほど異うわけですね。どことなく品が入ってますからね。つまり味わいがあるんですね。建築なんていうのは……良いとか悪いとかいうのは、ていねいにやって気を入れたものは味があるんです。つまり見ていて飽きないんですね。これでみると一番よく分かるんですね。理屈でなく感じですね。ですから私は美術館の中を見ると、味があるんです。なにも飾らないうちから、あそこにいると、いつまでもいたい気がする。それでつい時間がかかる。そういう点なんか実におもしろい。

 一〇日あたり前から品物を飾る予定ですがね。これは、飾り方も、ただ雑然と決まりきったことでなく、中の品物から並べ方からよほど意味があるんです。掛物にしろ……この掛物、この絵の隣はこの絵と、調和がなくてはならない。だから並べ方もでたらめでは、やはりおもしろくない。それに絵なんていうのは非常に粗い細かい、色がいろいろありますからね。それから墨絵……そういう点なんかが一つの芸術なんですよ。ところが世間のは、そんなことはぜんぜん無関心……でもないでしょうが、備われた人がお役でやるようなわけですから、陳列の仕方なんかもずいぶん変なのがたくさんあるんです。それについて私のやり方ですね。早くできるということをちょっと書いてみたんですが、これは大いに参考になると思いますから、いま読ませます。

(御論文「私の考え方」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五四〇―五四二頁〕

 これはなにごとでもそうですが、浄霊なんかの場合も、つまり三〇分なら三〇分、一時間なら一時間やる場合にも、続けてやらないで、いったん気を入れて、そうしてやると効果があるんです。それで急所を見つけようと思って、一生懸命やるが急所が見つからない。それでいったん気を抜くと、すぐ見つかる場合がある。それも、そういった転換のためですから、転換するということが非常に良いんです。で、やってみてスラスラと行くことは良いんですが、ちょっと行き詰まったり、ちょっと考えに余ったり、解らなくなったときは、ぜんぜんそれから離れて他のことをやる。そうすると先のことがかえって解るものです。ですから私は一つ事を長くやらないようにする。たいていなことは最近一時間以上やることはめったにない。御守りとか書を書く場合、たいてい一時間ですね。それから先はやっばり能率が上がらなくて、上手いものができない。それからいろんな指図ですね。たいてい一時間から三〇分です。それでどんどん変えていくんです。そうするとその一つ一つが割合うまくできるんです。こういうことはつまらないことのようで、非常に仕事の上に影響があるんですね。それからなにか考える場合に、一つ事を考えていると結局解らなくなっちゃう。だからあんまり考えることはいけないですね。なんでも、少し考えてみて、こうと思う考えが湧かなければ止しちゃって、他のことを考えて他のことをするんです。そうして良い考えは刹那にフッと浮かぶものです。考え抜いて浮かぶものじゃないんですよ。ですから、よく相談なんかそうですよ。何時間会議をしたとか……よく聞きますが、そんなことで決して良い実は出るものじゃないんです。ですからいつか私は、信者の幹部の人で、会議をするのに三時間とか四時間したというから、駄目だ。せいぜい三〇分か一時間で、それで案が出なければ止したらいいと言ったんです。良い案というのは、一つしかないんです。三つも四つもないんです。一つしかないんです。ゴタゴタやっているのは、その一つが見つからないからやっているんです。よく議会とか代議士会とか、一つ事をゴタゴタやってますが、その一つの良いことが発見できないからやっているんですが、発見できないということは、頭が悪いからですね。頭が悪いということは、頭が曇っている。曇っているということは、いまの人は薬を服んでいますから、そこで良い考えが出ないんです。よくいろんな議論をしているのがありますが、一番おもしろいのはラジオの政界座談会がありますが……政界のいろんな偉い人が集まってやれますが、一つ事をいろいろ議論してますが、どっちも理屈があるんですが、自分の理屈が良いと思って言っているんです。その理屈を較べてみるんです。最後において較べてみると、どっちかが良いんです。それで分かります。みんないろいろ言いますよ。それで較べてどっちが良いかということが分からないんです。で、自分はこれが良いと思って、口角沫を飛ばして……いまに喧嘩が起るか、というようなことがありますね。ラジオでは見られないが、テレビジョンになったらよく分かりますがね。いまはラジオだけだからなんだが、まるで口論ですね。議論でなくて口論ですね。ああいうところを見ても、いまのああいう人たちの頭脳というものは、はなはだどうも褒められないですね。そんなようなわけだから、無駄な時間と無駄な労力を費やして……だいたい議会でも年中延期延期ですが、延期など……つまらない、くだらないものをして延期をしてますがね。よくそんな暇が……代議士なんていうのは、暇人のそうとうな方ですね。だからああいう人たちがゴタゴタしているのは……一種の、悪く言えばお道楽でしょうね。一つの……議論をして、理屈を言っている。あれがおもしろいんでしょうね。国民はいい面の皮だ。そんなような具合ですからね。いまの人に一番の肝腎なのは、頭をもう少し良くしたいですね。そういう点からいうと、明治初年の政治家のほうが、頭が良かったかもしれないですね。頭が良かったということは、あの時代の人のほうが誠が多かったですね。やっぱり誠から出る論は良いですよ。不純な論だから変なんですね。一番おもしろいのは、共産党のほうから出る意見ですね。そういうことはどうも変なんですよ。たいへん理屈に合いそうでいて合っていないですね。だからラジオの時局座談会とか討論会ですね。あれをみても、共産党系の人は辻褄が合わないんです。で、自分はやっばり良いと思うんでしょうが……一生懸命にやってますが、どうも聞いていても馬鹿馬鹿しいですね。やっぱりそれは誠から出ていないせいでしょうね。本当に国を想い、社会を想い、人民の幸福を想って言う言葉は、必ず人を動かす良いものが迸るですね。

 話は横道にいきましたが、結局人間は頭の働きですね。よく智慧と言いますが、智慧というのは、それから出るんですからね。だから宗教においても、智慧ということに非常に重きを置かなければならないんですが、その点において仏教でお釈迦さんが説いたのは、智慧ということに非常に重きを置いてますが、これは非常に良いですね。智慧証覚というと……お釈迦さんは覚者と言いますがね。覚りを得た人を覚者と言いますが、これはやはり覚者になると良い智慧が出るんですね。それから偉い坊さんなんかは大智と言いますが、大きな智慧ですね。そういうような智慧ということは、頭が良くなければならない。頭を良くするには、いま言う精神を転換させるんですね。そうすると頭は非常に良くなる。それをいま言ったわけです。

 それからこの間、結核半減のお祝いをしましたが、あれをちょっと書いてみた。

(御論文「結核半減記念祝いに就て」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五二九―五三一頁〕

 これについて『結核信仰療法』はできて、いま印刷のほうにまわってますからね。これは日本にも世界にも、医学に関係した方面にできるだけ配るつもりですがね。そうしたら少しは目が覚めかかるであろうと思ってます。ずいぶん徹底して書いてますからね。まず医学が病気を作っている根本から精しく書いてありますからね。ずいぶん驚くだろうと思います。しかしそれを反対するとか、突っ込むということは、おそらくできないですね。それをできないように実例をあげて徹底して書いてありますからね。まあ、黙っていることもできないですね。日本人も、驚くお医者きんがあり、外国の医学界もどうしても黙っていられないですね。こっちは別に騒がすつもりじゃないが、どうしても、この病気というものに対する本当のことを解らせなければならないですね。それで人類から病気をなくするということが、地上天国でも五六七の世でも根本ですから、それにはどうしても世界人類を徹底して解らせなければならないですね。その第一弾ですからね。まあ、ただじゃすまないと思いますね。そうしたら、なんと言ってきますか……なんとか言ってくるだろうと思いますがね。そうしたらまたその次の手を打つつもりです。それで少なくとも日本はお膝元ですからこれは手っ取り早いから、先で聞きに来るか、なんとかせざるを得ないだろうと思うんです。なにしろいまそういった世界の状態をみると黙っていられないですよ。今度できたヒドラジドにしろ、あれなんかたいへんな品物のように大騒ぎをやっている。各国の政府が関心を持って、その国のお医者に試験させようとしてますが、なんでもかんでも薬に頼る。薬と、あるいは手術とか、そういうことの、ちょっとでも新しいものができると、すぐに飛びついて研究するということが、ほとんど薬迷信に捉われきっているんですから、これをぶち壊さなければしょうがないですからね。といっても、このままで行けば、これでごまかして行けますが、いずれ浄化がだんだん強くなりますから、それはいろんな病気が急激に増える時代が来ますから、そうなってからあわてると犠牲者がたいへんですから、そうならないうちに警告を与えておく必要があるんです。今年は赤痢なんかが非常に増える傾向にあって、何十年ぶりと言ってますが、いまにこんなものじゃないですね。何十年ぶりじゃなくて、レコードを破ったり、それこそいままでの何倍どころではない、何十倍という時期が来るんです。ですからそのときになって、初めてメシヤ教が言ったことは本当だ。これだということが解りますから、そうすれば信者に一遍に束になってきますよ。ですからいまのところは、その準備をしているんですね。そういう時代になると、治したりわけを教えてやる人が非常に必要ですから、そういう人をいま神様が作っているんですね。ですからいま信者になっている人は、そういう人なんですね。そういう人にしろ、やはりいろいろ……医学では、博士もあるし学士もあるし町医者もあるし……まあ、なるべく博士になるように一生懸命にね。

 それからいま評判の「国際美術展」というのを上野でやってますが、あれは世界中の画家が協同的にみんな出したんですから、非常に値打ちはあります。それで日本、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ブラジル、ベルギーと、だいたいそんなところですね。ドイツはないようでしたね。それで各国の油絵の中から選んだ。相変わらずまだ変な病気は治らない。やっぱりああしてみると、薬で病気を作ったり、それから肥料で減産にしたりしているのと……そういった間違った頭が、美術のほうもよく似ているんですね。ちょうど油絵なんか、不思議な絵ばかりですよ。その中で評判になっているのは、フランスのルオーとブラックですね。マチス、ピカソは非常に新しがってやってますが、この二人はそう新しがらない。どっちかというと……旧派じゃないが、落ちついたほうの作品なんです。しかしそれを良く見ると……それは本当の審美眼から言うと問題にならないですよ。ルオーなんかも非常に大騒ぎをやってますが、美術のうちにまだ入ってないですね。まだ工芸品ですね。まだ、あの人たちは美術ということを知らないんです。日本でもそういう画家は非常に多いですがね。それで世界中のを比較してみると、やはり日本が一番です。これはそういう評判もあるようですが、たしかに油絵は……日本はお弟子のようですが、外国のよりか良いですね。それで日本の油絵は、とにかく活気があるんです。まだ若々しいですね。ところがフランス、英国あたりのは、もう時代から過ぎた……あるいは、もうくたびれている、というような具合で、ほとんど活気がないですね。沈滞しているような具合ですね。フランスなんか、人は非常に褒めてますが、全体からみて絵が非常に弱いんです。迫力がないんです。それともう一つは、フランスでいうとボリユームですね。ボリュームが非常にない。その点において日本は一番ですね。ですから日本人というものは、とにかく美術においては、世界に卓越している人種と言ってもいいですね。

 それから、私はそれについて、この間宮本武蔵の絵を買ったんですがね。達磨の絵ですが、実に上手いんです。私は驚いたですね。支那の宋時代の有名な牧谿だとか梁楷ですね。ああいう人たちと遜色ないです。今度美術館に出しますがね。字も上手いです。字は一休によく似た字ですが、一休より上手いかもしれない。沢庵なんか問題にならないです。沢庵に始終教えてもらってましたがね。武蔵の字は沢庵よりずっと上手いです。そうすると武芸者ですね。武芸の達人になると、レベルが同じになるんですね。一つの名人になると、他のこともやはりそれにつれていくものなんですね。これは、よくそういうことをみますがね。私の所にありますが、支那の宋時代の坊さんで、有名な虚堂という人のがある。観音さんの絵を私は持ってますが、これは実に上手いです。これは字より上手いくらいです。あまり習ったとは思えないですね。やはり字が上手い……上手いということは、それだけ行が積んで魂が偉くなっているから、そういう人のは、字を書いても絵を画いても同じにいくんですね。いつも言う通り、東洋美術としては、支那の宋元の時代ですね。宋元を過ぎて明になると、実に下手ですね。実に不思議ですね。ところが、宋時代に偉い画家が出ましたが、全部坊さんです。だから牧谿和尚とか梁楷禅師とか……そんなような坊さんなんです。最近手に入れたものですが、五代という……宋よりもちょっと前です。隋、唐、五代から宋になるが、その時代の徐煕という人は実に上手い。私は驚いたですね。今度美術館に出しますが、これをいまの画家が見たら、とうてい目がくらみますね。いま、くだらない西洋の絵だとか、日本画なんかも迷って油絵なんかのまねをしてますが、これは良いものを見ないからでしょうね。昔の名人のをね。だからどうしても良いものを見せなければならない。今度柔術館もそういった支那の名人、日本の名人……そういうのをやって、見せようと思ってます。これで大いに刺激されるだろうと思います。そういった美術家ばかりでなく一般の鑑識眼は高くなると思います。結局そういった良いものを見なければならないので、そうすると、他の良い悪いが解るんです。ところがくだらないものばかり見てますから、頭が下になっている。私は始終良いものばかり見てますから、いま言う「国際美術展」に行っても、楽しんだり鑑賞しょうという心が起らないですね。腹が立ったり情けなくなったりね。美術を楽しみに行くのではなくて、美術を憤慨しに行くんですね。馬鹿馬鹿しくなるが実際はそうですね。だからそういう人たちに良いものを見せたら、そうとう刺激して、頭が変わるだろうと思います。

 日本でも今度文化事業のために行く梅原龍三郎という人ですね。油絵の……。あの人はいま日本で一番の名人でしょうが、あの人は非常に書画骨董が好きですね。私より好きかもしれないですね。買ったといってから、それから絵を画く。それだけのものを稼ぐ。実にすごいですね。それでやりますから、梅原龍三郎のは実に良い。今度出しますがね。どこか違うんです。非常にボリュームがあるんですね。ですから見応えがあるんですね。他の現代の油絵とは違うんです。やはりそれは見る人があるんで、あの人の絵が一番高いです。高くて、画くとすぐ売れちゃうんです。もう二人安井曾太郎という人がいますが、あの人の絵は私はどうもね。だからそういった点においても、ああいった古い美術品を好きな人はどこか違うんですね。宮本武蔵みたいにね。それから、小説家がそうですよ。吉川英治がそうですがね。あの人は古くからそうです。三〇年前からですが、稼いだ金で全部買っちゃう。だからいまも良いものを持ってます。だからあの人の作品も大いにそれが影響していると思うんです。今度の、宮本武蔵の書いたものは、吉川英治と徳川夢声は非常に欲しがるだろうと思いますがね。宮本武蔵は「二天」と書いてある。それから国宝が一つある。それは有名な……鶏の蹴り合いの絵ですが、なにしろ国宝になるんですから、いかに良いか分かる。それに、実に数が少ないんです。私も先から欲しいと思っていましたが、今度のは非常な傑作で喜んでます。そんなわけで、作家で好きなのは川端康成、大仏次郎。女では吉尾信子。ああいうのが好きな人は、あのほうでも偉くなるんですね。
だから人間は、ああいう古い美術で頭を養うというのは、他のことに良い影響がある。そのほうの親玉は秀吉ですね。若い時分から好きで、戦の最中で集めてきたということは、実に驚くべきことなんですね。ですから信仰上から言っても、ああいうものを見るということは、要するに魂を向上させるんですね。魂の位を上げるということになるから、やはり美術館というものは、宗教上から言っても必要なんですね。

「『御教え集』一一号、昭和二七年七月一五日」 昭和27年07月15日