昭和二十七年七月十五日 『御教え集』十一号(10)

六月二七日

御教え 美術館は見らるる通りだんだん整ってきつつありますけれども、だいぶ上層方面に評判になったような話をよく聞くんです。神様は一番……インテリから上層階級の人たちを救うには、ふつうではなかなか接近してこないんです。それには美術館なんていうのは、もっとも良いんです。これ以上そういう人たちを寄せる方法はないでしょう。で、そういう人たちがこの土を踏めば、それで霊的に結ばれちゃうんですから、まず嫌でも救われる動機ができるわけです。ですから美術館というものは、その一つのお仕組みです。なかなか宗教的に話を聞いても、馬鹿にして……なんだ新しい宗教なんていうのは、どうせインチキ的なもので、うまくこしらえてある。うっかりそんなことにひっかかって迷信の禽になってはたいへんだという、そういう観念が非常に強いですから、そういう人たちを救うには、尋常一様では駄目なんです。また美術館なんていうと、そういう人たちが非常に憧れを持っていますから、一言もしゃべらなくて良いです。ただここに見に来るだけで霊的にそこに縁が結ばれる。で、いずれ時が来ればこっちの話が耳に入るようになります。要するに、霊的に邪魔していたようなものが弱りますからね。ですからなかなか神様はうまくやられると思って感心しているんです。

 三〇日は新聞記者だとか文士だとか芸能人だとか、そういう人たちを招待することになってます。で一日は著名人です。偉方を招ぶことになっている。三〇日は、外国の記者とかまた美術の愛好家というような人たちが来るような話なんです。新聞方面の外人は、しやべったのを翻訳するより、あらかじめ原稿を書いてもらいたい……それを翻訳したほうが非常に早くて楽だ、というような意向なんで、原稿を書いたんです。それをいま読ませます。談話体になってます。

(御論文「美術館建設の意義」朗読)〔「著述農」第一〇巻五五三―五五六頁〕

 それで私の思うことは、ふつう美術館と言いますと、いままで世間にある多くの美術館……その頭で考えるのとは大いに違う。なるほど建築、設備、並べてある品物というのは、いままでにないというところを認識させたいのでありますが、無論分かるに違いないですから、分かるにつれて非常な反響を呼ぶだろうと思います。しかも、いずれは映画で外国にも知らせますから、世界的に評判になるだろうと思ってます。そうして信仰のほうから言うと、メシヤ教というものの存在……というと消極的ですが、新しい変わった宗教だ、とにかく芸術をこれほど尊重すると、そんな点において世界中一度に分かるわけです。これも神様のお仕組みなんですから、これからそういったような意味において、世界的発展の時期がだんだん近づきつつあると思うんです。振り返ってみると、驚くべきことは、宗教になってから……宗教法人になってから、この八月で満五年になるんです。そうすると最初始めたころは、信者の数は数百人で、無論金の力もほとんどないくらいです。それがわずか五年間にこれだけの仕事ができたということは、そのスピードはいままでに例がないです。なにしろ早いです。これは私も驚いているんです。私は早くしようと思うつもりはない。ただ神様の思し召しのままに急らず騒がず順々に進んでいるんですが、結果を見ていくと実に早い。これはみんな知っているでしょうが、去年のいまごろはまだあそこの所をホジクッたり石を割ったりしていたんです。美術館の計画を起したのは一〇月です。それがいまあんな具合にできたんです。ふつうでしたらこれは何年もかかるでしょう。世間にあるいままでの美術館というのは一生涯かかったんです。私がいつも言う白鶴美術館なんかは八〇年かかったんです。三〇代からああいうものを買い蒐めて、それも支那のものに限っているんです。日本のものはぜんぜんないくらいなものです。支那の陶器と銅器ですが、それを買い蒐めるのに五〇年かかった。それで美術館は、そうですね、まだ二〇年にはならないです。数年前です。で、九〇越して……九十いくつで死んだのです。ですから一生涯かかったわけです。ところがこっちは、本当に言えば二、三年くらいのものです。二、三年前から私は、美術館をいずれは造らなければならないと思っていた。それが支那美術ばかりでなく日本美術を主にしてやったんですから、そういうのと較べてみれば実に人間業ではないです。とにかく神様が腕を振るわれたんですからしてあたりまえでしょうが、とにかく驚くより他にないです。

 これがもし世界的になるとしたら、いっそう驚くわけです。無論世界的になりましょう。ここに並んでいる五つの支那美術だけでも、大英博物館の支那陶器に遜色ないつもりです。これは私が言うのでなく、あっちを見てきた人の話です。英国の支那陶器というものは、博物館のホップレスという人の品物です。それからデイビッドと、この二つが支那陶器としては世界的になっているんです。その美術品に、ここにある支那陶器は負けていないです。負けているのもあるが、勝っているのもあるんです。だいたいから見て私のほうが勝っているでしょう。一番勝っている強味は、英、米でも……どちらも支那から買っているんです。私は日本で買っているでしょう。ところが日本のは伝世といって、古い時代から伝わってきているんです。藤原時代から来ているんです。そのまま伝わってます。支那のは土中物といって土に埋めたものです。土に埋めたものは光沢がなくなって、色やなにかも変化してぜんぜん駄目です。そういうものが一〇万円とすると、伝世物は五〇万か一〇〇万か……何十倍というものです。その強味がたいへんなものです。それから、宋元の絵……ここに並べてある……これは英、米にないです。、これだけは支那にもないです。焼けたりしてます。日本だけしかない。ところが絵に限って、昔から大名が非常に大切たしたんです。ですから、あの中に、白地のに鳥が止まっているのは、銭舜挙という人のですが、あれは秀吉が大切にしていた。それほど珍重されたものです。ですからああいったものを見ると、いかに大事にしたかということが分かるんです。そういうために、支那の絵というのは、いま日本だけにしかないんです。とにかく日本は、いつかも言った通り、世界の美術館といっても間違ってはいないです。そんなようなわけで、いまに外国の偉い人やなにかも、必ずここに来るだろうと思ってます。それで神様の経綸は型でやるということを言ってますが、この美術館というものは箱根の山の上……山の上というのが東と西のちょうど間です。これは先にもよく言いましたが、これをいまから言えば、日本は世界中の型になっているんです。これは講和前ですと、そういうようなことを非常にやかましかったが、講和になってみれば差し支えないから言いますが、日本人は世界中の型なんです。これは、一番分かることは、日本人というのは、世界のどこの文化でも咀嚼できるんです。世界に他にこういう国民はないです。日本人は、西洋の文化でも支那の文化でも南洋の文化でも、なんでも呑み込んで、自分のものにできるんです。この点をよくみると、日本人というものは特殊の人種ということが分かるんです。仮に文学や音楽でも、東洋人でありながら支那人には解らないそうです。支那人にはないそうです。特に西洋音楽は解らないそうです。ところが日本人は、西洋音楽でもいまでは西洋人に負けないくらいに偉い音楽家ができているんです。それから絵でもそうです。ピカソやマチスの、いまは……まねですが、とにかく今度なんかも四〇点かいろんな油絵を出品しましたが、そのくらいそういったものが日本人は偉いんです。ですから、私は前にこういうことを言ったことがあるんです。日本は組み立て工場とも言える。つまり、自動車やなにかの……アメリカの大工場のフォードなんかそうですが、各専門専門の会社を下に持っていて、串は車、発動機は発動機……そういったように部分的の会社を持っていて、それが一遍にフォードの本社に集まって組み立てて一つの自動車として完全なものにする。それと同じで、日本は世界中のいろんな文化を取り入れて、それを組み立てて本当に実用になるというようなもめを作る。それが日本の使命だと言ったことがあるが、そういうようなわけで日本人というものは、世界の見本になるべきです。そうすると日本という国が、やはり見本になるんです。そこで神様は日本の中心……中心というのは箱根の山なんです。神山ですね。これが中心です。神山の向こうが西で、こっちが東です。そうなっている。つまり関西、関東になっている。そこでこの美術館というのは天国の型です。天国ということは、つまり芸術です。天国の表徴は芸術なんです。それを造ったということは、これがだんだん広がって世界的になるにつれて、ミロクの世になるんです。つまり丸(○)の丸(○)の中心です。これになる。だからただ単に美術館としてでなく、そういったような非常に深い経綸上のものなんです。だからミロクの世のポチ(ヽ)ができたようなものです。早く良いものができたということは、その意味で神様がだんだんそれをやる。そのために品物なんかでもほとんど神様が寄せたんです。いつでも道具屋が「こういうものなんか売り物に出るものでないが、不思議ですね」と言っている。ですから私は「変ですね」と言って腹の中で笑っている。そんなようなわけですからトントン拍子に行ったんです。で、神様の型ということはおもしろいので、ひとりそういったようなものばかりでなく、人間がそうなっている。米国人の型、英国人の型、支那人の型。中にはアフリカ人の型もあるわけです。そういう人の一人ひとりが信者になって救われると、それが広がって……そういった型になるわけなんです。それがずっと広がって一国になるわけです。で、良くみるとそれがたくさんあります……それは言うわけにはいかない。それも、喜ぶ人ばかりでなくて、中には……君はアフリカ人の型だというと、どうもね。中には共産党の型も、あるいはギャングの型もあるかもしれない。そんなように型でやって行くんです。私がいろいろと世界中のことを知ったということは、型で知らされているんです。これも大本教のお筆先にあります。「大本は世界の型であるから、この中を見て居ったら世界の凡ての事は良く分るぞよ」というお筆先があるが、それはまったく間違っていないです。ですから大本教の中に世界の型がいろいろありました。それをだいたい神様からいろいろ知らされてましたから、そこで世界の将来ということがだいたい分かるんです。そういうこともこれから書き始めてますが、そういった……一つの、神様の経綸上の神秘についてですが、書くことが多いので書くのが間に合わないくらいです。そんなようなわけですから、信仰でも自分一人ではないんです。何方人何十万人の、自分は代表者になっているから、自分をそう軽く見ることはできないです。そうかといって、俺はどこの国の型なんて言うと、うぬぼれが出ますからね。で、地上天国になるのに一番邪魔しているのは、なんだと言うと薬なんです。これをあんまり知らせると、いろんな反対や被害があるからいままであんまり言わなかったが、それもいずれ知らせなければならない。

 これは短いのですが、それをちょっと書いてみた。

(御論文「薬毒の恐怖」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六二五―六二六頁〕

(御論文「薬屋さんには御気の毒」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五六六―五六七頁〕

(御論文「救世の警鐘」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五六一―五六三頁〕

「『御教え集』十一号,昭和二十七年七月十五日 」 昭和27年07月15日