昭和二十七年六月十五日 『御教え集』十号(10)

五月二七日

御教え あの通り、美術館ももうじきできあがるんで、まあ……みんな昼夜兼行でやってます。つまり突貫工事というんですね。それについて、いままでの経路を一通り書いてみたんですが、それを読ませます。

(御論文「美術館出来るまで」朗読)〔「著述篇」第一〇巻五二一―五二六頁〕

 だいたいいまの経路で分かったと思います。おもしろいのは、あの美術館に入る壁の所から、だんだん上がって……あれを作るときには鳥の家があったんですね。ところがあんな幅の広い立派な道を作ったので、家内なんかも驚いて……あの道だけは馬鹿に立派だと言います。私もただなんとなく、ああしたいのでやったのが、いま思ってみると、美術館の入口にピッタリ合っちゃうんです。あれが一尺はずれても具合が悪いんです。だから神様がちゃんと用意されたわけですね。けれども、私は分からなかったんです。ただそういう気持ちがしてやったんです。それからおもしろいのは、竹をあそこに植えましたが、ふつうは田舎にある竹薮みたいに満遍なく生えるものですが、見ると一所にかたまって生えたり、また飛んで生えたり……あれがおもしろいんですよ。満遍なく生えたのでは、百姓屋の竹藪に岩があるというだけで、風情がないです。所々にかたまって生えるという、あれがおもしろいのです。支那の壇芝瑞という人の絵は、竹ばかりある。それで壇芝瑞という人の竹は、ああいう具合に一所に寄って生えているものですね。支那という国は妙な国だなと思っていた。ところがやっぱり支那という国にも、そういう所があるんじゃないかと思っているんです。だからちょうどそこは支那風の感じなんです。これはいま読んだ通りに、終戦後とてもすばらしい物がどんどん出て……私が好きな物はどんどん出て、手に入るんですね。で、しかもその時分に非常に安かったんです。そのとき集まった物は、いまはとても……いくら金を出しても買えないです。売り物がないです。ですからその時分から神様がちゃんと用意されたんですね。で、私は美術館なんて考えは少しもなかったんです。ただ私は好きで欲しいから……買いたいから買うというだけだったんです。そういう具合で、ぜんぜん神様がやられているということが分かるんですがね。そんなわけでいま読んだ通り宗教を弘めるについて、美術を利用したといいますか、それはいままでに聖徳太子以外にないですよ。.外国にも無論なかったですね。ただ日本の……聖徳太子。今度は私がやるというだけですね。この点がいままでの宗教は非常に間違っていたですね。かえって、そういった美術とかそういうものは、一つの贅沢な享楽的な意味で排撃したくらいですね。かえって、汚い家に住んで粗衣粗食でいることが、本当の信仰としての生命であるように、そういうように説いたり実際やったりしたですね。まあ日本なんかでも、開祖なんていうと、乞食坊主同様に、草鞋脚半で足袋をはいてやっていたのが、いかに本当でなかったかということが分かるですね。それはやっばり、いつもの通り、世の中は地獄ですから信仰も地獄だった。今度は昼間の時代になるし、天国的宗教としてはいままでと反対に美しい……美ですね。そんなことは良く分かるんです。

 いままで世界でいろんな大きな仕事をした……偉い人は、大ざっぱにみるとおもしろいんです。それについて、私の仕事をみる人は、よく……ちょうど秀吉と同じようですね。ということをよく言われるんです。いままでおおげさにやった人はなかったですからね。それで私はいつも言うんですよ。なるほど見ただけの目ではそう見えるかもしれないが根本が違う。つまり秀吉はなるほど偉いには偉いが、結局、あの仕事をしたのは、遠慮なく言えば大きな殺人強盗ではなかったか、つまり殺人強盗の親玉ですよ。石川五右衛門が千鳥の香炉を盗ろうとして捕まったときに秀吉が、貴様はずるい奴だ、なんて太い泥棒だ、と言うと、冗談じゃない。俺よりか太閤殿下のほうがずっと大泥棒だ。天下を盗ったじゃないかと言ったそうですが、それは決して間違っていないですね。だからいままでの英雄豪傑というのは、大量殺人……とか、人の物を盗るとか、実際殺人強盗のすこぶる大きいのですよ。だから大きいためにそれを褒められることになっちゃったんですね。また徳川家康も偉いには偉いが、結局秀吉が盗ったそれを、やっぱり自分が盗ったんですから……だから物にしたものを物にしたというわけなんだから、根本を考えてみれば、全般的には表面だけですね。ただ仕事の結果は偉いということは言えるけれども、根本はあんまり褒めるわけにはいかないんです。けれどもそれは、そういう考え方は小乗的見方なんです。大乗的に言えば、やはりその時代にそういうことをしなければいけなかったんですね。やはり神様の御経綸の一つだったんです。ですから、要するに善悪の批判はできないわけなんです。そういった、道義的に正邪善悪を正してみれば、そういう理屈になるわけですね。ですから、これは日本に限らない。外国でもそうですが、偉い事業をした人はとにかく悪でやったですね。悪の手段ですね。で、悪を用いない本当に慈悲や善で救おうとしたのが、みんな宗教家ですが、宗教家は善をすすめ悪をするなというだけの話で、仕事はしなかったですね。つまり物質面のそういうことはやらなかったですね。だから結局いくら人を救おうとしても、そういった英雄や政治のために押えつけられて、結局目的を達することができなかった。それはそうとうの功績もあげましたけれども、本当に救うことはできなかった。ただいままではそういう具合に、事業をする英雄と、そういった形のことをしないで、政治をする。そういうふうに別れ別れになっていたですね。私がこれからだんだんする仕事は両方兼ねでいるんです。いっぽうで救いながら、また仕事も大きな……いままでの英雄やなにかのやる、それ以上の形あるものをしようと思ってます。それも、別に私がやるのではなくて、神様が私を使ってやらせるんですから、自惚れることもできないですよ。明からさまに解剖してみればそんなわけですね。ですから?まり聖徳太子という人は、日本的に規模が小さくそういったことをやられたんですね。であるから、いままでの歴史をみてもこういうふうに思われるんですね。どうしても偉い人とか偉いことをするのは、善では駄目だ。善というやつは、要するに意気地なしだ。だから意気地のない奴が宗教にこもったり、宗教人になったりするということを言われますが、それも間違っちゃいないですね。どうもいままでの宗教家というものは、意気地なしの点が非常にあったですね。だから悪に負けて、どうすることもできなかったということなんです。もう一つはこういう点も大いにあるんですが、それは力ですね。いままでの宗教でいろいろ偉い人がやるのは力がなかった。譬えて言えばキリストにしろ釈迦にしろ病気を治すことは……キリスト自身はちょっとはやりましたが、弟子にやらせるということができなかったばかりでなく、病気というものを知らなかったんですよ。だからお釈迦さんなんかは、ぜんぜんいまのお医者さんと同じで、病気は薬で治せと、『薬草彙本』なんてお経を説いたんです。ですから病気は浄化作用ということは、ぜんぜん知らなかったんです。そうしてみると本当に救いということはできなかった。できなかったから悪人に負けたんですね。というのは、それだけの力を与えられていなかった。結局悪人に頭を下げさせるのは病気です。どんなに力のある悪人でも病気にはかなわないですよ。いくらいばっても病気だけはしようがないですよ。ですから結局病気を治すということは、悪に勝るわけですね。ですから私の仕事で、病気を治すということが根本です。それで、あとの貧乏とか争いとかいうのは、その枝葉というくらいのものです。話はそのくらいで。

 『結核信仰療法』はできあがって、これから印刷にかかるんですが、これはみれば解りますが、私はずいぶん力を注いでやったんです。医学を息の根が止まるほどやっつけたんです。それでいて決してそれを攻撃することも、反対することもできないんですね。なんとなれば一分の隙もないように書きましたから……まあ打ち込む隙がないというわけですね。だからこれを出したら、ずいぶん驚くだろうと思いますね。で、世界中に配りますからね。特に、割合アメリカなんか早くはないかと思っているんですがね。今度の新聞に出ますが、アメリカの病院に入って、浄霊で治したのが、アメリカの院長や担任の医者がみて解らないんですよ。不思議だというんです。ですから、そういう所に本をぜひ見せてやりたいんですよ。やはりその人は結核なんですよ。大学に入っていたので……結核とすると、病院に強制的に入れちゃうんです。それでいろいろ奇蹟がありましたが、それで神様がアメリカの大きな病院の院長と医者を教育する。そういう面なんかも大いに読ませたいと思うんです。

 今度から別のおもしろい本を書き始めたんですがね。それは『私物語』というんです。これをいま読ませますがね。とにかくいままでこういうものを書いた人はないし、これは、おもしろくいろんなことの覚りを得る、という意味ですからね。

(御論文『私物語』「序文」「私の神秘」朗読)〔「著述篇」第一〇巻九四―九七頁〕

『御教え集』一一号、昭和二七年七月一五日

「『御教え集』一〇号、昭和二七年六月一五日」 昭和27年06月15日