昭和二十七年六月一日 垂録10 (22)

〔 質問者 〕法隆寺に参りましたが、中門から左が五重塔、右が金堂になっております。このように一列の線に並ぶのは、外国にもなく、文献にも遺跡にもございません。五重塔は舎利塔で、金堂は本尊で、本尊は観音様でございます。四天王寺式のほうは、お釈迦さんが一番偉いとしてあり、法隆寺式では対等の位置において拝んだ。従って観音様が一番偉いという考え方から、そういう配置をしたと考えましたのでございますが。

【 明主様 】そうじゃない。つまり法隆寺式は門から入って左が五重塔、右が金堂でしょう。ところが観音さんを生んだのがお釈迦さんなんです。お釈迦さんが親なんだからね。それからもう一つは、親子という意味になると、お釈迦さんが上でいいんだ。ところがこういうことなんです。本当からいうと五重塔のほうが霊です。あれは火だからね。火というのは経に高く、横がないんです。金堂のほうは低くて横がある。水になるんです。そこで門から入って右のほうに塔を建て、左のほうに金堂をやるのが本当なんです。ところが仏教というのは逆なんです。体主霊従だからね。そこで夜の場合は反対にする。すなわち、入って左に塔を建て、右に金堂を建てたんです。仏教のほうは逆なんだからね。だって、仏教はこういう卍です。本当のはこういうナチス式のが本当です。それが根本なんです。それが本当なんだが、仏教の時代にはそれではいけないんです。本来観音様はお釈迦さんより位が上なんです。けれども仏の時代にはお釈迦さんが上になる。譬えて言えば、天皇陛下を生んだ人は天皇陛下より上になりそうなものだが、やっぱり天皇陛下のほうが上です。

 

〔 質問者 〕救世観音がございますが、たくさんの観音様の御像は、背面側面に手を入れており、救世観音は正面だけで横、後ろに手を入れておりませんのは、他のは美術の対照でありますが、これは美術の対照ではなく拝む対照と考えましたが。

【 明主様 】それはそういうわけですね。それが本当です。

「『御垂示録』十号,講話篇第六巻p161」 昭和27年06月01日