昭和二十七年五月一日 垂録09 (11)

〔 質問者 〕つむじが二つあるのは霊的関係がございましょうか。

【 明主様 】無論あるでしょうね。よくつむじ曲がりと言ってね。やっぱり、頭の一つの中心になっているんでしょうね。

 

〔 質問者 〕馬や牛は、それによって値段が高くなったりいたします。二つあるのは、人をかまわずに殺すそうでございます。

【 明主様 】不思議ですね。やっぱり二つあるというのは理由があるんでしょうね。いずれ、必要ならば分かるでしょうが、たいして必要がありそうもないから、気にしないでも良いですね。それが別に悪いというわけじゃないんだからね。

 

〔 質問者 〕いままでは障りがありましても、これからはお光をいただき心配はいりませんわけで。

【 明主様 】無論そうです。霊ですからね。

 

〔 質問者 〕だいたい、一番大事な霊主体従ということを考えていない人が多いようでございます。

【 明主様 】そうですね。これを解るということが良いですね。真理だからね。これさえ解って信じられれば、その人は根本が解ったんだからね。ところが、いまの世界は体主霊従だから逆になっているわけですね。

「『御垂示録』九号、講話篇第六巻」 昭和27年05月01日