〔 質問者 〕今日は平河町にお出ましになられました五月一日より、丸一八年と思いますが。
【 明主様 】九年だからね。そうなりますかね。一八年にね。いよいよ敵<かたき>がとることになる。
今度奈良に行って分かったけれども、聖徳太子は観音様ですね。太子はやっぱり私だったんだね。分かったんです。夢殿の扉がちょうど開いて……あれは一年に一遍ということに、たしかなっているそうですが、あのときに観音様の霊が私に……まあ、入ってきたんですね。それで分かったことは、つまりいままで時を待っていたんですね。というのは、奈良という土地は仏教の発祥地であるし、だいたいあそこから仏教というものが始まったんです。だから奈良のお寺のことをいろいろ聞いてみると、つまり何宗とかいうのは、まだできていなかったですね。あのことを、仏教哲学では原始宗<仏>教というんですね。それから、原始宗<仏>教の次にできたのが山岳仏教ですね。これは弘法大師が高野山に行ったり、伝教大師が比叡山に行ったり、山岳仏教ですね。それから宗派仏教になってきたですね。だから奈良時代の宗教は、たいてい観音様が中心ですね。阿弥陀、釈迦……いろいろあります。薬師如来はやっぱり観音様ですからね。ほとんど観音様中心だったですね。つまり聖徳太子は千手観音の小さい型なんだからね。で、私がいまやっているのは、千手観音の働きなんだからね。だから、なんでも無限にいろいろなことをやっているね。そうして、いままで救世<メシヤ>観音が夢殿におられ、しかもだんだん聞いてみると、夢殿というのは聖徳太子が始終あそこで書きものしたり、生活をして、あそこが住居みたいになっている。それが夢殿といって……夢というのがおもしろいと思うんです。つまり、そのときの聖徳太子の夢が、いよいよ実現することになったんだろうね。ふつう、ちょっと夢なんて名前をつけるものではないですがね。なんとか意味のありそうな、正面<まとも>な名前をつけるものですがね。それから救世観音と書いてあるんですね。救世観音というのは救世観音<ぐせかんのん>といって、これは文献にあるんだがね。それを「メシヤ」と読んだのは私なんだから、今度行ったのは非常におもしろいですね。意味がある。ちょうど扉を開ける日にぶつかったということは、もうちゃんと、神様のほうでは決まっている。予定は明くる日だったんですが、早くすんだので、なんでもかんでも法隆寺を見ようということになった。法隆寺をできるだけやって、あとは明日にしましょうと言うが、しかしもし明日になっていれば、救世観音<メシヤかんのん>は見れなかった。やっぱりそういうことになっている。奈良というのは、言霊から言っても、「ナ」というのは地になるんです。「ラ」というのは拡がるということですからね。やっぱり「ゴーラ」と同じですね。「ナラ」というのは、地が拡がるということです。お釈迦さんは土のミロクだからね。地は七だからね。七のミロクになる。だから、今度京都に地上天国を造るというのは、箱根が五で、熱海が六で、京都が七だと、そういったミロクの意味になるんです。
〔 質問者 〕このたびお出ましになられまして、七がつきもので、お召列車も番号を合わせてみますと、七でございました。
【 明主様 】ああそうですか。七で完成するんだから、だいたいミロクの小さな経綸は、あそこができればできるわけですね。
〔 質問者 〕七は完成の意味でございますか。
【 明主様 】完成の意味です。
(次節に続く)