昭和二十七年四月二十日 『御教え集』八号(5)

御伺い Ⅰ・S(昭和二五年一一月入信。三二歳)。一九歳のとき、風邪が因で急に腰が抜け、小児麻痺と言われ、いろいろと医療をいたしました。一三年間完全な躄となっております。御浄霊は一カ月に二、三回くらいいただいております。アパートでございますので、千手観音様を御奉斎させていただくことになっております。一三年間電気、薬剤を少なからず使用いたしております。ときどき御浄化をいただいておりますが、腰はまだ立ちません。御浄霊は後頭部より頸、肩、腰、足の付け根、膝の裏、足の裏など、自分でできる所をいたしております。御浄霊の急所御教示のほどお願い申し上げます。なお右の足首より膝まで副木して、松葉杖を使用して五、六間は歩けます。

御垂示 一九歳のときに小児麻痺ですか。これは、小児麻痺じゃない。娘麻痺です。どうも躄の完全じゃ、あまりね。急所は、膿の固まった所ですから、自分で押してみれば、痛いか熱があるか、どっちかですから判りますよ。それが急所です。それから、あとは自分で頭をやって……それだけですね。

御伺い 本年一八歳の男子。三年前より排便の前に必ず粘液と出血をいたし、種々の服薬、注射をいたし一年ほど南アメーバ赤痢で直腸全部に潰瘍ができていると診断され、本年二月入院手術するところを御浄霊をいただくようになりました。一〇日間余りはお腹にガスも溜まらず、出血、粘液も少なく、食欲も増し少し元気も出てまいりましたが、その後出血、粘液が増し、その他の状態も、御浄霊以前のようになり、二〇日余り続き今日に至っております。なおストレプトマイシン、クロロマイセチン、止血剤および多量の注射、服薬をいたしております。血色は非常に悪く青白くいたしております。御浄霊の急所、アメーバ赤痢、潰瘍の原因につき御教示お顔い申し上げます。

御垂示 粘液と出血……これは非常に結構です。こういうのは喜んでうっちゃらかしておけば、とうに治っちゃったんです。これを、悪いと思って医者にかかる。医者も悪いと思って服薬、注射する。それが悪いですね。腫瘍……これは嘘だ。こういうことは絶対ない。お医者さんは解らないんだからね……病気がね。解らないと言えば、信用にかかわるから、解ったふりをする。これが悪い。もっとも、解らないと言えば、商売に関係するから、やむを得ず嘘を言う。商売の嘘ですね。アメーバ赤痢なんて、うっちゃらかしておけば治る。潰瘍なんて、薬で作るんですから、薬さえ服まなければ治るんです。これもうっちゃらかしておけば良いんです。浄霊の急所は、これ(後頭部)が因ですからね。ここ(後頭部)に固まりがありますから、ここを浄霊すれば良い。これもほったらかしておけば治るんです。こんなのは病気のうちに入らないんです。医者に行って大きくして、新しい病気を作ってもらうんで、実際たいへんな話ですよ。ストレプトマイシン、タロロマイセチン、止血剤……こういうことをやっているから、この薬毒がいずれ、どこかに現われますから、それを前もって覚悟していたがいいですね。微熱とか下痢とか嘔吐とか、そういうことがありますから、そうなったら喜んで良いんですからね。

御伺い O・S(昭和二四年九月入信。一八歳)。七歳ごろより夜尿症となり、「大きくなるに従ってしだいに治る」と言われましたが、あまり医療はいたしておりません。先天的弁膜症で、心臓の発作症状はございませんが、ほとんど医師の手の切れたことはございません。成長するに従ってしだいに悪化し、灸や祈祷をいたしましたが、いっこうに良くならず、お道の話をお聞きし入信させていただきました。二五年四月に「どうやら一人前になるには数年かかり、赤ん坊の霊が憑依している」との御垂示をいただいております。その後私に憑依(両親の従兄の子)し祀ってもらいたいとのことで、私の家に祀ってあります。入信当時はほとんど毎晩尿を漏らしておりましたのが、最近は春秋は一力月のうち十日くらい良く、夏は半々で、冬は七日くらい良く、あとは悪いという状態でございます。御浄霊の急所につき御教えのほどお願い申し上げます。御神体、御屏風観音様は御奉斎させていただいております。

御垂示 医者の手が切れなかったから悪化した。切ってしまえば、とうに良くなっている。急所は前頭部の中ですね。その次は頸のまわり、それから股……鼠蹊部ですね……少し上のほうですね。つまり尿道括約筋ですね。そこに毒があって、押しているんで、短くなっている。そこが急所ですね。その次は腎臓です。そのくらいで良いですね。これは、気長にやればだんだん治りますね。こういうのは、何年もかかるものですね。

御教え 『結核信仰療法』の続きを読ませます。

(御論文「結核付随病」「栄養」朗読)〔「著述篇」第一〇巻七〇―七七頁〕
(御論文「結核新薬を嗤う」朗読)〔「著述篇」第一○巻四四四―四四六頁〕

 この間も話した、興福寺の宝物展ですが、書いてみたら、なかなか日本の彫刻について、知っておく必要があると思いますから、あわせて書いてみたんです。

(御論文「三越の春日興福寺宝物展を観て」朗読)〔「著述篇」第一〇巻四四七―四五〇頁〕

 いまお話したようなわけで、近ごろ私は仏教美術を研究しているんですが、私のいままであまり知らなかった古い時代の仏教彫刻ですね。実にたいした物があるんです。これは、たいていお寺の宝物になっているんで、まあ写真だけは見られますが、実物を見るというのは……京都の博物館に行くと少しはありますが、なにしろお寺の宝物になっているのと、大きいですから場所がないというのと、いままではそういうことができなかったですね。だから、どうしても一堂に並べて見せようというには、よほど大きな場所ですね。場所と言ったところで、野天じゃ駄目ですからね。やはり室内でなければならない。そういう所があって、そうしてまず国宝級の物ですね。そういう物をたくさん並べたら、実にすばらしいものだ。それにはどうしても京都に将来美術館を作って、京都の寺から、みんな出品させて、仏教美術大展覧会ですね。そういうことをやってみたいと思っているんです。そうして世界中に宣伝をして、半年か一年くらいの会期にして、これは外国人ばかりでない、日本人もそうですが、そういう展覧会をやれば、どんなに人が喜ぶか分からないです。この間の三越の展覧会にしろ、そう言っちゃなんだが、しみったれな、あんなやり方でさえ、人が来るんですからね。だからそういったやり方だと、日本中から来ますね。それには、少し大きな彫刻は、四畳半一間くらい、いっぱいになりますからね。だから、よほど大きなのがなければならない。そういう大きな美術館を、いずれ京都に造ろうと思っている。そればかりでない。京都に、やっぱり地上天国的な物を造りたいと思ってます。平らな所ですね。平地で三万坪以上のものですね。そういうものがあったら、知らせてもらいたいと思ってますがね。神様のほうでは、ちゃんと決めてあるんです。それと時期ですね。私がそういう気が起るということは、時期が近寄ってきたと、こう思って良いですね。そんなわけで箱根、熱海、京都とこの三カ所がもっとも適当ですね。で、箱根のほうも美術館はだいたい輪廓と館の中の仕切りができて、あと塗りだけになっている。塗りは、なにしろいままで寒かったですから、三月半ばというから、いまごろから塗りにかかるわけです。塗りは割合早くできると思いますがね。そうしてケースなんかも準備しましたがね。陳列の仕方やなにかも、できるだけ理想的に、いままで他にないような進歩したものを作るつもりでね。いま見本だけこしらえてますけれどもね。で、なにしろこっちの美術館は、あらゆる種類を網羅しますからね。だからよほど広い会場でなければ、思うように並べられない。なにしろいまの予定では、入口を入ると、左のほうが徳川時代の屏風、巻物、陶器類ですね。そういう物です。右のほうが現代美術ですね。右のほうは二部屋になってますが、現代の彫刻、絵画、蒔絵、陶器ですね。そういう物が主になっている。それから二階の上がって右手の……これは一番広い会場ですが、ここは掛物、絵画ですね。昔からのをずっと掛けたいですが、これはいくらも掛からないです。なにしろ種類が……日本としては一番古いのが藤原。鎌倉、足利時代の絵と、桃山、徳川のふつうの絵画……ところが、その他に推古風の物だとか光琳風な物、それから浮世絵。そんなふうな物だが、いくらも掛けることができないですね。それから蒔絵、日本の銅器……そういう物でいっぱいになっちゃうと思います。それから左手のほう、これは二部屋あります。一部屋の広いほうを支那美術。これも並びきれないですね。やはり絵画、陶器、銅器ですね。その隣の少し小さい部屋で、少し古い、天平時代の仏教美術に関する仏画、木彫、乾漆、銅器……鋼の仏体ですね。それから仏器ですね……仏の道具ですね。そういう物です。それから古い巻物、経文だとか並べたいと思うが、なかなかこれも並べきれないですね。だから、いずれは箱根にもう一つ造るつもりで、だいたい予定してますがね。それほど大きくなくても……これは二階がなくて下だけのを、どうしても造らなければならない。そのようなわけで、他の美術館といいますと、たいてい種類が少ないですからね。支那陶器とか油絵とか、そういうような物ですからね。こっちは支那、朝鮮の物もありますしね。日本のもいろいろな物ですからね。少しずつでも、そうとう場所がいるんです。もっとも、箱根のは見本として造ったんですから、しかたがないですが、いずれ熱海はもっと大きな理想的なものをこしらえます。

 そうして箱根も考えてみると、すいぶん評判になるに違いないから、大勢来るに違いない。そういった設備や、いろいろな方法をしなければならない。で、大勢来るときには……そうかと言ってああいうのは、ゾロゾロ入るままにしておいたら、落ちついて見られないですから、人を計らなければならない。ですから二、三百人くらい入るような待合室を作らなければならない。それから信者さんと一般との区別をしなければならない。なかなかいろいろあるんですね。しかし、神様はちゃんと準備してありますから、楽は楽ですね。この間も、自動車の置き場がないですね。あそこにちょうどあいている所があるから……萩の家のほうに行こうという角ですね。あそこに低い地所がある。四〇〇坪くらいで、登山会社が持っているんですね。それから、安く買いたいと思って、「美術館ができるとお客が来るから、日に一〇〇〇人以上来るとしても登山会社はたいへんな儲けになる。あの土地を寄付してくれ」と言った。そうすると、寄付ということはできないが、お貸ししようと言う。こっちは、貸せば一円も出さずになお結構です。借りることにしましたがね。箱根は神仙郷が今年の夏までにはできるつもりです。その次には、知らない人もあるでしょうが、反対のほうの……神仙郷のほうはケーブルを左側に降りるんですが、右側の反対のほうに半町ほど行くと、大きな家がありますが、あそこに本山を造るんです。神仙郷というのは地上天国の模型です。だから仮にあそこを本山としてますが、結局宗教的の本山を作らなければならない。それがいま言ったケーブルを右に降りて半町ほど行った所です。これは二、三年前に買ってあるんです。これがかれこれ一万坪近くあるんです。ここに行くには、どうしてもケーブルが邪魔なんですよ。あれを取るわけにはいかないので、ケーブルに地下道を作ってね。地下道を作ろうと思っている。会社のものだが、むしろ会社は喜んで許すと言うので、さっそく掘ることにしますがね。その掘った土で、いま言った低い所を埋めようと思っている。神様はうまく準備してある。話はそのくらいにして。
 これは、ちょっとおもしろいのですが。

(御論文「力」朗読)〔「著述篇」第一〇巻四五五―四五六頁〕

「岡田茂吉全集 講話篇 第七巻 昭和二七年(続) 御教え集 『御教え集』八号」 昭和27年04月20日