昭和二十七年四月二十日 『御教え集』八号(4)

三月七日

御伺い T・K(三二歳)。昨年八月三度日のお産後五日目より出血が止まり、二週間目より家の用事をボツボツいたしておりましたところ、一〇月初めごろ頭の具合が悪く、心臓の動悸激しく、一晩腰がたいへん痛み、左半身の感覚がだんだん鈍り、脳血栓と言われ、以来メタボリン三〇本、強心剤三〇本射ち、マッサージニカ月いたし、脊柱より水を一回取り、少し快方に向かってまいりましたが、再発し、二月五日T大病院にて脳腺塞と言われ、その後右半身より全身不随となり、寝返りもできなくなり、御浄霊をいただくようになりまして三日目より、尿の回数、四、五回が七、八回となり、少しずつ下りものが始まり、右腕関節と鼠蹊部および関節が痛み、一回ひどく発汗いたしました。頭を御浄霊いたしますと、たまらなくおかしくなり、笑いたくなります。話が思うようにできず、断片的で呂律がまわりません。祖母の子供に先天的梅毒にて、身体が不自由のまま死亡(五八歳の女)しております。お骨は新潟のお寺に預けてあり、埋骨いたしておりません。今年が年回りに当たっております。霊的に関係がございましょうか。御垂示のほどお願い申し上げます。

御垂示 これは、霊的と両方ですがね。産後五日目に出血が止まったと言う、これが困ですね。ですから、古血が出きれないんですよ。なにか……頭を使ったんじゃないかな。そのために古血が頭に行った。それが脳溢血症状になったんですね。それから、あとは注射だとか、いろんな薬ですね。

 それから、笑いたくなるのは狸が憑いているんですよ。狸というのは、きっと笑うんですからね。けれども、これは気長にやれば治りますよ。古血が脳に行ったんだからね。あんがい早く治りましょう。なにも心配はいりませんよ。

御伺い T・G(昨年一〇月入信。六三歳)。胃が悪く、入信により楽にさせていただきました。二月八日、四一度五分の高熱が三日ばかり続き、御浄霊いただき熱も下がりましたが、そうとうきつい咳が出ます。せき始めますと二、三時間続きますので、良く眠れません。御浄霊の箇所につきまして御垂示お願い申し上げます。

御垂示 咳はいろいろな所から出ますからね。これは身体を見なければ判らないですね。痰は出ないですか。

御伺い 良く出ております。右側耳下腺に固結がございます。

御垂示 そこから一番出る所ですから、熱いですね……熱がありますね。じゃそれでしょう。そこが治っても、まだ出るようだったら、他から出るんだから、調べてみれば分かります。それで、そういうときには、ここだなと思った所を浄霊して、それで、あと具合が良かったら、急所に当たったんです。それでも良くなかったら、違うんだから、また違う所をやる。そうすれば、じき急所は分かります。そうすれば、じき治ります。

御伺い Y・Y(昨年一〇月入信。二〇歳)。両親も家もなく、光明如来様はお祀りいたしておりません。口中、鼻腔、鼻の下より顎一面(以前は頸部淋巴腺、耳下腺より)膿汁が一○分間に盃に一杯くらい出ます。鼻の付近に非常な激痛を伴いますが、御浄霊いただきますと少し楽になります。一時は身動きもできず、食事も五日間ほどできませんでしたが、いまは食事もでき、痛まないときには縁先に出られるようになりました。御浄霊の箇所につき御教示のほどお願い申し上げます。

御垂示 これは、その膿汁が出る近所ですね。そこをやれば良いんです。膿汁の出ている所と痛む所……これは簡単に分かりますね。それから鼻。顎は額……前頭部ですね。それが溶けて鼻に来る場合と、後頭部から延髄にかけてが、こっちに来る場合と、これ(額)が溶けてくる場合とあるから、その三カ所を調べてやれば良いんですね。

御伺い H・K(昨年一一月入信。三〇歳)。五年前湿性肋膜炎にて、少量の排水とカルシウム注射一五本で、一時良くなっておりましたが、昨年風邪が因で再発し、肺結核と言われ、絶対安静をいたしパス一〇日分服用いたし、そのころより御浄霊をいただくようになり、一時たいへん良くなり外出もできるようになりました。本年二月再浄化をいただき、吐痰激しく、食も進まず衰弱してまいりました。発熱はあまりありませんが、激しい咳と多量の喀痰にかなり苦しんでおります。喉頭に痛みを感じ、声も出ず、食事もできかねますが、咽喉が乾くと言い、水はかなり飲みます。盗汗や痔も出ますが、衰弱はほとんどその極に達した感がございます。兄は喉頭結核で、母は胃癌で死亡しております。御屏風観音様はお祀りさせていただいておりますが、御神体はまだでございます。御浄霊の急所につき御教示のほどお願い申し上げます。

御垂示 やっぱり胸です。胸から横腹、背中にかけて、触ってみると、熱の一番強い所に毒がまだ残っている。肋膜の水が固まってね。そこを浄霊すればわけなく治るんです。これは、教団の教師の人にはやってもらってないですか。

御伺い 支部の教師がときどきまいっておりますが、他は主人がいたしております。

御垂示 主人じゃ無理だな。やっぱり、商売人……と言っては変だが、浄霊の商売人がやらなければね。グズグズしていると、これは死んじゃいますよ。万一、商売人がやって、ある程度までいったら、素人で良いんですがね。なんでもないんですよ。肋膜の水が固まっているんで、それが溶けきらない。溶け方が悪いんだ。それで衰弱しているんです。それと、食欲がないしね。まあ、一週間くらい商売人にやってもらうんですね。

御伺い K・K(昨年一一月入信。六三歳)。昨年春ごろより食欲がなく、右肋骨下に拳大の固まりがあり、癌ではないが、レントゲンで見ないと良く分からないと言われましたが、そのままで過ごしました。一月一一日支部の月並祭より全身がだるくなり、床に就きました。御浄霊をいただいておりますうちに、右肋骨下の固まりが上下左右に移動するようになり、鈍痛があり、血便が出始め、そのための貧血か立つことができず、床の中で用便をいたしておりました。血便は一五日ほどで止まり、食欲も少し出てまいり、床の中で起きることもできるようになりました。その後、起きるときに全背面に激痛があり、しばらく静かにしておりますと、楽になります。なお、右肋骨が波打つようで、苦しみましたが、四日ほどでなくなり、起きるときの苦痛もほとんどなく、食欲もございます。三月二日朝突然悪寒があり、全身震動し、意識も一時なくなりました。御浄霊一時間で元になりましたが、その後食欲がほとんどなくなり、茶碗に七分くらいでございます。衰弱もだいぶびどくございます。御浄霊は右肋骨下の固まりを中心に、背面の鈍痛のある肩甲骨の下部と鳩尾などを主にさせていただいております。舌の中ほどに小指の先ほどが黒くなっておりますが、別に痛みません。家庭的には、三回結婚し、初めは都合で生き別れいたし、先妻はまだ生きております。その間にできた子供は半年ほどで死亡しており、祀っておりませんが、お話を聞き先日よりお祀りいたしております。二度目の妻は胃痛で死亡し、子供はありません。なお、現在の妻にも子供はございません。屋敷内に古井戸がありましたが、埋まって庭になっております。御屏風観音様はお祀りさせていただいておりますが、御神体はまだでございます。御浄化の原因ならびに御浄霊の箇所につき御教示のほどお願い申し上げます。

御垂示 これは、霊的が絡んでますからね。光明如来様をお祀りしなければ駄目です。固まりというのは龍神ですよ。だから、光明如来様をお祀りして、やっぱりできるだけ祝詞、御讃歌を奏げて、ふだん御神事をできるだけ読むようにする。そうして龍神に改心させて離脱させるようにする。そうすれば治りますよ。そう難しいものじゃない。つまり龍神が……こういうのは怨みと……だいたい最初は怨みですが、そのうちにだんだん執着が取れて、今度は救ってもらいたいということになりますからね。いま言ったようにしてやると、それで離脱しますからね。光明如来様に、龍神が早く人間に生まれ変わってくるようにお願いする。それだけで治りますがね。

(御論文『結核信仰療法』「肺炎と肋膜炎」「結核付随病」朗読)〔「著述篇」第一〇巻六八―七四頁〕

御教え 今日の新聞を見ますと、アメリカで、肺病に馬鹿に効く薬が発明されたとか出てますがね。なんだと言うと、たちまち黴菌は死んじゃうというんですね……その薬を服むとね。だから結核なんて、じき治っちゃうと言う。私は良く読みませんが、この間ラジオで言ってましたがね。たちまち結核は治ると言うんですがね。これが、ぜんぜん間達っているんです。結核菌を殺すなんてことはできるものじゃないです。というのは、結核菌を殺すカのある……まあ毒ですからね。結核菌を毒殺するんですからね、それが、肺なら勝に行くとして、口から飲み、注射し、これが身体中グルグルまわっている間に、薬の……毒殺するだけの力はなくなっちゃいます。だから、殺すなんてできやしない。もしかして殺すだけの強い力だったら、人間のほうがやられちゃいます。まず、針を肺にズブッと入れて、チュウとやったらその付近のものだけは死にますよ。仮に、全部殺すことができるとしても、私の説いてある通り、霊の曇りから結核菌は湧くんですからね。あとあと湧いてきます。やっぱり、戦争みたいなものですよ。戦争で敵を殺したと言っても、そこの国民全部を殺せるものではない。一部を殺すんですからね。戦争で死んでも、たいてい二、三年くらいで回復していますね。だから、いずれあれも駄目だということは、薬を売り出さないうちに分かってますよ。これだけは絶対にはずれないからね。だから医学者なんていうのは、頭の悪いものだと……こっちが頭が良過ぎるのかもしれないが。

 これは科学封建という、ちょっとおもしろい書き方です。

(御論文「科学封建」朗読)〔「著述篇」第一○巻四三五―四三八頁〕

 再軍備について書いたけれども、まだ書き足らない所があったので、それを加えたから、もう一遍読ませます。

(御論文「再軍備に就て」朗読)

 この間、いま評判の三越の興福寺の展覧会ですね。あれに行ってみましたが、阿修羅という、あれが評判で、あの仏像ですがね。仏像のような格好じゃないんですがね。つまり阿修羅が……阿修羅というのは、まるで鬼のような凄い顔だと思ったんです。ところがさにあらずで、十七、八の処女の顔ですね。優しい、実に惚々するような顔です。良く考えてみると、阿修羅が改心して、仏様の顔になって、その姿を呪わしているんですね。それが、いまから一二〇〇年前ですね。天平ですからね。その時代に、そんなすばらしい彫刻ができとといっのは、実に驚くべきものですね。いかに日本人の美術に対する感覚が秀れているかが分かるんですね。新聞に時価一億円とありますが、客引きに……宜伝になってます。前に教団のことを『読売』が一日一〇〇〇万円の収入と書いたが、これは一〇倍より、もっとですね。それからいまのも等身大ですが、もう一つやっぱり等身大で烏天狗と了供……童子ですね。童子の菩薩ですね。そういうのが三つありまして、実に立派なものです。実に良いですね。やはり、その時代の作品です。あとは見るべき物はないです。一番おかしいのは鎧ですね。兜、刀がずいぶんありました。それで、仏像は一つもないですよ。私は、せめて観音か阿弥陀か、釈迦、薬師如来、弥勒菩薩があると思ったら、そういうのは一つもないんです。だから、いまの阿修羅と四体の童子を除いたら、あとは見るべき物はないですね。ただ、泥細工みたいな、釈迦の十人弟子というのが一〇体並んでましたが、乾漆という漆を固めた物ですがね。上等のは漆が薄いんですね。泥細工のようになる。おまけに釈迦の一大弟子というんですから、異様な顔で、現代離れした顔で、気持ちの悪いようなもので、ちょっと見ると泥人形というようです。そんなようで、お寺の展覧会に出て、仏像がないんですからね。良く考えてみると、いままでに売っちゃったんでしょう。いま並んでいるような物は、道具屋が買わないですからね。仏像でないからね。

 阿修羅はいろんな働きをするというそれを表徴しているんですが、その作を見るとロダンよりか上です。日本の仏像の彫刻というのは、実にたいしたものです。私は、この間も、国宝と奈良の仏像を……写真の何冊もある本を、すっかり調べてみたが、実にすばらしいものですね。断然世界一ですね。ですから、これは世界で知られたいから、注目をされていませんが、いずれ私はそういうふうな彫刻の大展覧会をやろうと思っている。そうして世界的に知らせようと思っている。できないことはないんです。この間、サンフランシスコの展覧会で、仏像も七、八体くらい出ましたが、それは国宝以外の民間の物です。それでも、アメリカでは非常に驚いたんです。そのくらいのもので、この間アメリカから美術展について行った人が、あっちの……アメリカの美術館を調べて帰ってきましたが、その人はふだん日本の骨董品の貿易をしてますから、土く事情を知っているんです。日本人の美術における優秀性ですね。それはたしかに世界一だと言ってますね。この間美術館をまわつてカタログを集めて持ってきて、二、三日前に私は見ましたが、品物はなかなか良い物があります。支那の周時代の銅ですね。周銅からそれから宋時代の陶器ですね。そういうのは、なかなか日本にないような良い物があります。日本美術ときたら、多少ありますが……絵なんかありましたが、ほとんど贋物です。それから絵だけで、他の……蒔絵とか、陶器はぜんぜんないと言ってよい。そうしてみると、大いに日本の美術品を海外に紹介する必要があると思う。ちょうど箱根の美術館はそれに当てはまるわけですから、おもしろいと思ってます。そんなわけで、いままでなくてはならないもの……日本美術を紹介する……そういう機関がなかったんです。そうでしょう……終戦前までは、みんな財閥とか、旧大名の土蔵の奥深く納めて、人に見せないですからね。たまたま見せる場合は、親戚知人とか、そういう前の少数の人に、御白慢で見せるだけですね。大衆の目には見せないですね。またできるだけ見せない……秘密にしているのが良いとしている。茶器ですが、お茶の会をするときに、いままで人の目に触れないようにしておいた物を出す。アッと言わせるんです。おもしろいことには、いまでも……有名な茶人ですが、一品良い物が入ると、そのために茶会をやるんですからね。そのくらい珍重されているから、大衆の目に触れることは絶対にしない。私はそれは、嘘だ。そういう物こそよけいに大衆の目に触れさせなければならないと、型破りをやるんですがね。私はふだん見ることができないような物を出します。琳派展覧会でも……博物館で光悦の有名な不二の茶碗を借りに行って、あれは酒井忠正という人が持っているんです。博物館で借りに行って、二日間貸す……皇太后陛下がおみえになるというので、それなら二日間貸すというのを、また三日間に延びましたが、二日間というのを一日延ばしてもらったんです。これは光悦の茶碗では第一等の物ですがね。それを博物館では人民には見せないですからね。皇太后陛下のために出したんですから、それほどたいへんなものです。私は不二の茶碗を大衆に出します。神様からは、それを独占するというのはいけないんです。できるだけ多くに見せるというのが本当のやり方ですから、そういう点も大いに型破りをしようと思ってます。だいたいその茶碗なんかも、了解はされてます。最初からというわけにはいかないが、いずれ時期が来たら、琳派展覧会をやろうと思っている。

「岡田茂吉全集 講話篇 第七巻 昭和二七年(続) 御教え集 『御教え集』八号」