昭和二十七年三月十日 垂録07 (2)救世教への入信は命の継ぎ足し

(前節の続き)
 

〔 質問者 〕ただいまおおせられました古い芸術家の霊が、明主様のお手元まで持ってくる。そうした霊が霊界で……生まれ変わった者がありますが、その癖というのは、霊界に残っていて、ほんの一部カスみたいなものが、この世に出てくるということを、浅野和三郎さんか、だれかの本に出ておりましたが。

【 明主様 】ちょっと違うな。いったん生まれた人間は……霊界で籍みたいなものがある……生まれ変わってきても、それと連絡がある。それと神様が連絡している。そういう意味はあるが、この世に出てきたら、そういうことはぜんぜん忘れちゃって……忘れちゃってじゃない。ぜんぜん知らないんです。霊界にいる癖が働くということはないんです。いまのところは持ってくるには、生まれ変わった兄弟とか親戚が来るんです。それが、御用させていただきたい。それから持ち主ですね。殿様とかが、あれをこれをというので……そういう意味です。それで祖先がやっぱり……偉い人なり、持っている人なりの子孫がありますから、守護神が子孫にさせるということもあります。

 

〔 質問者 〕人間が、まだ死ぬ資格がないのに、突発的事故で死んだ場合に、まだ霊界に行く資格がないので、向こうで苦しんでいるか、ということを聞かれましたのでございますが。

【 明主様 】おかしいですね。資格も五角もないですよ。殺されるというのは、霊の資格と言うんじゃなくて、霊の状態ですね。曇っているとかですね。だから、霊が汚れているとかね。それで、御守護がないと言うんでね。それで、殺されたりする。本当に魂がある程度浄まっていれば、そういうことはないんです。奇蹟的に助かるんです。だから死ぬ信者が奇跡的に助かるというのは、霊的に助かるべき状態になっているんです。

 

〔 質問者 〕死ななければならないというのは、御経綸で生まれてきたということで。

【 明主様 】生まれてきたというんでなく、現にあるんですよ。命のない者ばかりですよ。危なくてね。もう生きているのが不思議なくらいですよ。その中で、祖先のうちで良いことをしたのもあるしね。いろんな者があるからね。そういうのは、わずかにね。

 

〔 質問者 〕だいたい、メシヤ教に入れていただくというのは、お許しがなければ入れませんので、そのとき……命をいただくということで。

【 明主様 】そうです。だから、命の継ぎ足しですね。それは、祖先の骨折りで……一生懸命、助けたいのでね。ちょっと入っただけでも、何年ものだがね。

 

〔 質問者 〕仏教では親子は一世、夫婦は二世と申しますが。

【 明主様 】でたらめです。仏教じゃなくて、武士道で言ったんです。親子は一世、夫婦は二世、主従は三世……忠義をさせるために、ああいった都合の良い道徳を作ったんです。主従は三世で一番深いから、親子は一世だから……忠義をしろと言うんですが、あべこべですよ。主従が一番浅いですよ。生まれてきて、予期もしないところと主従になるんですからね。常識で考えても解りますよ。親子はなんだが、夫婦はとても強いですからね。主従とは違いますよ。武家時代の道徳は、そのときの権力者の都合の良いものに作ったんです。だから、本当の道徳じゃない。人間としての道徳じゃない。階級としての道徳ですね。間違ったものはいかんと、いま廃止になって民主的になったのは……間違ったものが壊れたのは……それで良かったんですね。

(次項に続く)

「『御垂示録』七号、講話篇第六巻p22~24」 昭和27年03月10日