昭和二十七年一月十六日 教集06 (4)

〔御伺い〕 K・H(四三歳)。六歳のころ右眼に打撲傷をし約一カ年翳んでおりましたことがございます。二六年一一月二五日夜、籾摺りのとき、にわかに目が翳み、目薬をさしても思わしくなく、町の眼科医の診察では視神経と言われ、二、三日通い、はっきりしないのでO市立病院へ行き、左眼黒底翳、右眼白底翳と言われ、一〇日ほど通い、毎日両眼に眼球注射しましたが、なんの変化もなく、N大学病院で診断の結果、網膜炎と言われ、入院を奨められ、O市立病院へ入院し、毎日眼球注射および油薬を腕、胸、股に摺り込みました。手術して牛の脳を股に入れよと言われましたが、手術直前にお道を知り、さっそく退院いたしました。このときは両眼に三四本の眼球注射をうち、両眼ともに失明状態となり、一二月に妻とともに入信させていただき、御浄霊をいただくようになってより、寝汗が出、気分もたいへん軽くなりました、両眼にはあまり変化がありませんが、多少充血し、一間ほど近づけば、黒くぼーっと見え、言葉を聞いて、人と思うくらいの状態でございます。御神体はまだ御奉斎いたしておりませんが、今後いかように進ませていただきましたらよろしいでしょうか。また御浄霊の箇所を御教えのほどお願い申し上げます。

【 御垂示 】 視神経障害とか、視神経麻痺とか言うんですがね。視神経というのは……病名じゃないですね。網膜炎と底翳はたいへんな間違いですね。網膜炎は眼球の外面ですからね。底翳というのは、裏面ですからね。医者の診断はそんなものです。解らないと言えば良いんですが、解らないと言うと値打ちが下がると思うんですね。あれが困る。要するに不正直なんですね。人間の命を預かる者が、正直でないというのは、はなはだ困るんですね。

 股に摺り込み……これは水銀軟膏ですね。黴毒の疑いがある。これも、別に難しいのじゃないんですよ。これは、最初打撲症受けましたね。このとき内出血してあった。それが固まったんです。そこで、いったん見えるに差し支えなかったんですね。それが、浄化が起って内出血が溶けて、眼の裏に溜まったわけですね。それで見えなくなった。こんなのは、ほったらかしておけば、もう治っているんですよ。お医者に行って、一生懸命に悪くしてもらったんですね。悪くされたんですね。

 ですからこれは、底翳には違いないです……裏に溜まっているんだからね。しかし、ふつうの底翳とは違う。内出血が溶けたものですからね。だからこれは、ほおっておけばだんだん出てきて、目脂になって治ったんですが、良いあんばいにお医者さんに悪くされたんですね。眼球注射というのは悪いんですよ。だいたい、常識で考えても分かるんですよ。目の玉に直接入れるのは悪いんですからね。ですから、目の玉に注射して、治るのは一人もありませんよ。実に、医学という代物は困ったものです。

 それから、油という……水銀なんかをこするが、これはたいしたことはないが、勿論、良くはないですね。気長にやれば治りますが。眼球注射というものは、だんだん目脂になって出ますからね。その代わり何年か経って出るんですがね。それから、どうしても光明如来様をお祀りしなければなりませんね。そうして、その部屋に寝なければいけませんね。こういうのは、わずかずつ治ってきます。黒くぼーっと見えるというのは、いくらか効き目があったんですね。気長に、いま言ったようにやると、だんだん少しずつでも見えると、希望が出てきますからね。まあ……結構でしたけれどもね。

「『御教え集』六号,講話篇第六巻p387~388」 昭和27年01月16日