昭和二十七年一月三日 教集06 (4)

 それから、私がいまやっている仕事は、六年目ごとに変わっていくんです。最初私が始めたのは昭和三年ですが、その前から……三年から急激にやったわけじゃなくて、その前からだんだん……大本教信者なんかで、いろいろ研究したりやってましたが、そのうちに、私が、昭和元年の一二月……これは私の本に書いてありますが……神懸りになって、いろんなことが分かったんですね。それから、他にもいろんな奇蹟があって、いよいよ決心して始めたのが、昭和三年の節分からです。そうして、いろんな不思議なことがたくさんあって、昭和九年まで六年間、神様の修行というようなわけですね。そうして、病気を治すことやなにか、やっとできるようになって、九年に麹町に民間治療の店を開いて、それから六年経った昭和一五年の一一月に止めて、それから翌年の一六年から、今度は……まだ宗教的にはできないけれども……その時分にはやかましかったから……半宗教、半治療ですかね。病気治し……そういうようなことをやって、二二年ですね……そこで、本当の看板をかけて、宗教というようになったわけですね。二一年が六年になる。それで、二一年から地上天国ですね……箱根、熱海に始めたんです。終戦が二〇年ですから、終戦後すぐに、いろんな計画のもとに着手したわけですね。そうすると、今年がちょうど、また六年目になるんです。今年は非常に変わるわけなんです。

「『御教え集』六号,講話篇第六巻p356~357」 昭和27年01月03日