昭和二十六年十二月二十五日 地天31 「教えの光」(8)

--昭和二二年から、妻が肺結核にて就床し、同二四年に少し良いほうに向かいましたので、二五年一月三日より住宅の建築に取り掛かり、三月完成、新宅に移り別状なく暮らしておりましたところ、八月一五日より妻の病気が再発し、しだいに病状は悪化し、九月一九日死亡いたしました。その後長男が九月二七日より肺結核にて通学もできず、自宅にて療養いたしておりました。そのころより家庭内に争い事が多く、不和の日常でございました。昭和二六年二月、親戚より再婚の話が持ち上がり、二月二六日現在の妻を迎えました。長男は妻の御浄霊にて御守護をいただき全快いたしました。四月二一日、御屏風観音様を御奉斎させていただきました。その後家庭内に種々浄化をいただいております。妻が祖先さんをお祀りしております部屋の真ん中および一番上座に行きますと、頭が重くなり、眼がまわり、意識不明となり、御浄霊を受けますと恢復いたします。子供もこの場所に行くと「Tを連れてこい」と言って殴ったり蹴ったりして怒ります(Tは先妻の末子にて先妻の実家に預けてあります)ので、一〇月二三日に連れてまいりましたが、長男は前記の場所に行きますとやはり怒り出します。また長男だけでなく、他の子供も同所に行きますと、必ずすねたり怒ったりいたします。妻が前記の所に寝ると横腹が床に吸いつくようになり、取ろうとしてもなかなか取れず、苦しみます。六月一八日に私が入信させていただきまして間もなく霊が出まして、昔旅の武士が大井川川越しの際「くもすけ」に殺され、私の屋敷に埋没されていると申します。古い人たちの話によりますと、私たちの町内には昔から種々な災難が非常に多いので、私の近くの池に水神様をお祀りしてあると申します。私が入信させていただきましてより災難も少なく、町内の人たちの気持ちもたいへん明るくなってまいりました。

 妻の浄化および子供の怒るのは、その武士の霊のためでございましょうか、また妻は一二月中旬出産予定日になっておりますが、私の家は二部屋しかなく、出産は前記の部屋にてもよいものでございましょうか、同部屋に床の間がございませんので、据床にして、光明如来様をお迎えさせていただきたいのですが、霊的の部屋に御奉斎させていただきましてもよろしいものでございましょうか、御垂示賜りたく謹んでお願い申し上げます。

 そういう悪霊のいる部屋こそ、一日も早く光明如来様をお祀りすべきである。無論その所には苦しんでいる死霊が祀ってもらうか、救われてもらいたいという執着から、知らせようとしてやっているのである。しかし御神体をお祀りするのは勿論、常にその位置に向かって、祝詞、善言讃詞、御讃歌を奏げてやれば、救われて解決するから、なんら心配の必要はない。お産もその部屋で差し支えない。

「『地上天国』三十一号、岡田茂吉全集講話篇第五巻」 昭和26年12月25日