昭和二十六年十二月二十一日  『御教え集』五号 (2) 

 あんまり結核の話ばかりも、気持ちの良い話ではないからね。この間、ピカソの批判はしましたが、あれについて、ああいった変な絵ですね。ピカソという人でも、別に精神病ではないんだから、なにかああいう絵を画くには理屈がなくてはならないですね。その理屈はどういうわけかということを話してみようと思う。この根本は、西洋文明と東洋文明の異いさです。そのためなんです。元々東洋文明は静なんです。西洋文明は動……動くんですね。そこで、これは芸術によく現われているんです。音楽にしろ、東洋のほうは静ですから、実に静かですね。聞いていて、気が落ちつくんですね。西洋のほうは動ですから、実に爽快で、身体が自然に踊るようになります。じっとしていない。踊るようになります。これが極端になったのがジャズです。これは動的の極致になったわけですね。ですから、あのくらい身体の動くのはないですね。最近のは、またもっと動くようですね。この間映画で見ましたが、アメリカのジャズなんていうのは、音楽のリズムに合わして、踊るより……踊り方が細かいですね。一つのサーカス的の……芸みたいですね。あれはいよいよ動の極致になってきたんですね。そこで、踊り……舞踊でも、日本のほうは、舞うですね。静かに落ちつくようなわけですがね。西洋のほうは、いま言ったジャズ的になる。これは、静と動の異いさですね。で、これは日本としても、いまの文化の形体からいっても、その静か……静は守っているわけにはいかない。やはりある程度動にならなければならない。服装からいっても、和服というのは静の服装ですから、これは活動のできない服装になってますから、どこまでも……静かに歩くとか、立ったり座ったりするようにできてますからね。西洋の服装というのは、動的で……活動的だからしかたがないですね。そこで、これからは静と動と偏らないものができていくんですね。やはり一つの結びですよ。

「『御教え集』五号、岡田茂吉全集講話篇第五巻」 昭和26年12月21日