昭和二十六年十二月十五日  『御教え集』四号 (1)

御伺い S・K(二六歳)六年前肋膜にて入院、三カ月後医師の診断の結果、異状なく会社に復職、一年半後に脊髄カリエスとなり灸、鍼にてだいぶ楽になり、二カ月間休んだだけで、一年六カ月勤務しておりますうちに、右腎臓部が腫れて痛みが激しくなり、また鍼、灸に頼りましたが効果なく、一カ月後に多量の血尿が出ましたので医師に診せたところ、腎臓結核と診断され摘出手術をいたしましたが、その傷はいまもふさがらずにおります。その後膀胱結核、副睾丸結核(片方摘出)腹膜などになり昨年一二月左腎臓部が腫れ上がり、切開して膿を取り、今年五月退院し、現在軽微な腰痛と右切開部より少量ずつ膿が出ております。発病時より最近まで、多量の服薬と注射(主にブドウ糖、カルシウム、ビタミン、ペニシリン七、八十本、マイシン二〇本、パス七〇〇グラムなど)をいたしました。現在体重は五一キロ、平熱で食欲はあります。ただいまのところは御浄霊をいただいておりますが、一二月に入信を希望している者でございますが、御救いいただけましょうか。御浄霊の急所を御垂示のほどお願い申し上げます。

御垂示 これはどうも、あまりいじくりすぎちゃったんで、確実なことは言えませんがね。まあ、御浄霊して、それこそ無理をしないように、ふつうでやっていくんですね。別にいけないとも言えないし、請け合うこともできない状態ですね。いままでの経路を話してみますと、最初肋膜のときに固めたんですからね。それまでに、水が下がって脊髄に固まったんです。それを、脊髄カリエスと、こう間違えて……鍼、灸でしょう……また固めたんですね。それから腎臓部に肋膜の水が下がって固まった。そこに浄化が起ったんだから、うっちゃらかしておくと良かった。腎臓から滲みて小便になって出ちゃう。効果がない……というのは、浄化が強かった。固まらなかった。一カ月後に多量の……というのはそれが溶けて小便になって出るので、非常に良かった。それを……これはほったらかしておくと、みんな治ったんですがね。医者が、みんなこしらえたんですね。気の毒なものですね。傷はいまもふさがらず……ふさがらないほうが良いんです。出るだけ出たほうがね。これは、消毒薬中毒ですね。そのために容易にふさがらないんです。副睾丸結核……それは、腎臓摘出のときの消毒薬ですね。それが滲みて、下がっていった。これは、よく生きてますね。右を摘出したので、左のほうに毒が寄ってきたんですね。なんにもならない。結局両方取らなければならないが、両方取っては命がないから、しようがないですね。どうも、しようがない。一番恐ろしいですね。自然に出るということを医学は知らないんですね。なにも取らなくても良い、自然ということをぜんぜん無視してますね。小量ずつ出ているから非常に結構なんです。平熱で食欲があるから生きているようなものですね。一週間に二回くらいにね。気長にやっていると、どうやら生きているだけには治るでしょう。これはどうとも……請け合うとか、いろいろなことは言えませんね。というのは、薬をどのくらいやっているか、切開手術をどういうふうにしているかでね。私がやったわけではないから分からない。

御伺い 入信は差し支えないのでございましょうか。

御垂示 結構ですよ。差し支え……なんて。どっちにしろ、入信しなければ駄目ですよ。入信したら、少し生きるかもしれないが、入信しなかったら数年ですよ。だから、たまに……浄霊を一週間に二度くらいで良いというのは、入信しての話ですよ。入信してなかったら、一週間に二回でも駄目ですよ。

「『御教え集』四号、岡田茂吉全集講話篇第五巻p160」 昭和26年11月18日