昭和二十六年十二月十一日  『御教え集』五号 (7) 

 それから、話は違うけれど、一昨日……日曜の日に、ラジオの放送討論会ですね。この間、朝日講堂で三日の日に、「汚職官吏は何故後を絶たないか」というような題で……演説した人は、岡崎官房長官と阿部真之助、蝋山政道……この三人が担任者になってしゃべりましたが、いろいろな……根本はどうだ。なんだかんだ……いろいろなことを話し合って……質問もそうとうありましたがね。それで、結局において、つまり道義の低下という結論になったんですね。道義の低下……道義心の低下、それはどうすれば良いかというと、法律……法規をもっと厳重にしろとか、刑罰をきびしくしろというようなことを話し合っていたですね。ところが、法規を厳重にしろなんてことは、いままでにいくどとなくやっているんですからね。また、法規というのは、出した当座だけは馬鹿にきびしくても、だんだん時が経つに従って、グラグラになっちゃうですね。また、それを狙って、また悪いことをする。それは、なによりも ……熱海は忘年会の申し込みは一つもないですね。東京の花柳界なんかも、昨今非常にさびしいのだそうですが、というのはなにしろ、いまは問題がやかましくなってうるさいから、当分慎んでいたほうが良い、というので行かなくなったんですね。ところが、ほとぼりの冷めるまでは、行かないほうが良いというわけで、ほとぼりが冷めれば、だんだん元の木阿弥になっちゃう。だから、道義心の低下はどこに原因があるということは、ぜんぜん……宗教とか神とかに結びつけるのは、一人もないですからね。 だから問題なんです。さっき読んだように……この間の「無神迷信」と今日の「悪は何故暴露するか」ということを書いたんですがね。なかなか、こういうことを読ましたって……それでも、いくらかは……人によっては、これも理屈だなと言う人も、無論あるに違いないと思いますからね。できるだけ読ませようと思っている。この論文なんかでも、最高裁判所、特審局、法務庁……そういう所にも送るつもりですがね。なにしろいま言う犯罪といい、医学といい、農業といい、実に間違ったことをやっているんですよ。それで世の中が悪いとか、なんだかんだみんな苦しんだりやっているんですが、実にわれわれから見れば滑稽なような、かわいそうなような……悲喜劇ですね。至る所に悲喜劇が出ている。だから、これを救うには、どうしても宗教よりない。そうかといって、ただ宗教でやれば良いかというと、おそらく他の宗教で本当にそれを解決する力のあるものは、おそらくないだろうと思うね。だから、どうしてもメシヤ教がやらなければならない。そのために神様が私に力を与えられ、いろいろなことを知らされるんですからね。結局解決はつくんですが、そこでつまり、神は在るかないか、神が在るということを知らせれば良い。神が在るということを知らせるには、神が在ることを見せれば良い。見せるという宗教がなにしろないからね。私のほうでは……「神を見せる宗教」というのを書いたんですがね。

(御論文「神を見せる宗教」朗読)〔「著述篇」第一〇巻三三三-三三四頁〕

「『御教え集』五号、岡田茂吉全集講話篇第五巻」 昭和26年12月11日