昭和二十六年十二月八日 『御垂示録』五号 (10)

〔 質問者 〕夜の時代の罪と昼の時代の罪は、多少違って。

 多少どころか、ぜんぜんだ。だいたい、夜の時代がなくなると、そんな大きな罪は犯せない。順序が決まっているからできないんです。罪が違うとか違わないとかいう比較でなく、不可能になる。
  

〔 質問者 〕キリスト教の、女を見て色情を催したのは、姦淫と同じだ、ということがございますが、その時代はそうだったのでございましょうか。

 つまり、キリスト教の中にも大乗と小乗がある。いまの解釈は小乗善なんです。小乗善を説かなければならなかったわけなんですね。小乗的人間は、やっぱり小乗善を説いてないと、大乗でばかりだと危ないんです。しかし、思うのはしようがない。それでなければ神様に苦情言って良い。ああ、あいつは良い女だ。ああ……という心というのは、神様が作ったので、そんなら神様がそういう想念を作らなければ良い。
  

〔 質問者 〕東洋の道徳はみんな。

 全部そうです。

「『御垂示録』五号、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年12月08日