昭和二十六年十二月六日 『御垂示録』五号 (6)

〔 質問者 〕本教の教師をしており、大光明如来様と光明如来様をいただいており、新しい宗教に迷い、大光明如来様を表装からはずし、今度もらってきた御神体を掛け、その表具屋は本教信者で、そこの家に大光明、光明如来様はいらないからと言って置いて行き、表具屋で預かっておりますが、どういうふうにいたしましたらよろしいでしょうか。

 取っておきなさい。
  

〔 質問者 〕表具屋にでございますか。

 そうです。どうせいまに、その人はじたばたするから、そのときに返してやれば良い。
  

〔 質問者 〕他の人で、いただきたいと言うのに。

 それはいけません。いまに詫まってきたら、先の通りにやってやったら良い。どうせ……みててご覧なさい。たいへんなことになる。下手なことをすると、命をなくすることになる。命をなくしないうちに気がつくと仕合せだがね。新宗教に悪く言われるんですよ……いろいろね。それで迷っちゃう。しかし、珍しい話ですね。邪神にやられたんですね。しかし、そういうのは、あながち非難することはできないです。というのは、他の宗教をやってみて、ひどい目に合って、それから目が覚めて熱心になるということもありますからね。中途で止めるということも、あながちそれっきりになることはないから、メシヤ教以上のものはないから、いずれは目が覚めるに決まっているから、そういうのはうっちゃらかして時期を待つんです。邪神は……どうも、いろんなことをやってますよ。邪神といっても、邪神はだれに憑るかというと、信者に憑るんですね。邪神としては、一番効果があるんですね。未信者に憑ってもたいして効果はない。メシヤ教が一番脅いんだからね。邪神のほうで、腕のあるやつはメシヤ教の信者にくっついていろいろやろうとする。すごいものですよ。

「『御垂示録』五号、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年12月06日