昭和二十六年十二月六日  『御教え集』五号 (5) 

御伺い 私の父(六一歳)は一七年前のある夜、就寝中急に危篤状態となり、医師が来ても診察させず霊憑り状態となり、食塩水のみで一週間ほど過ごし、その後は平常になりましたが、翌年五〇日ほど同様の霊憑りとなりました。その後六年ほど異状はありませんでしたが、昭和一六年ごろより高野山にお参りして弘法大師のお姿をいただいてきてより、二一日間家におり、弘法大師が出入りするのが良く判る。この二一日間に病気治しやお経の読み方を良く教えられた、と申します。その後病人を大勢集めて、良く治しました。また紛失物を当て、しだいに熱中し、弘法大師、不動明王、千手観音様の御像をお祀りするようになりました。三、四年前より私どもも父も、このお道に入信いたしましたが、御守り様は外しております。二四年一二月ごろまたもや霊憑りとなり、大声で説教をし暴れましたが、毎月二一日にお祀りすることにして収まりました。また本年一一月、三八度余の熱が数日続き、熱が下がりますと憑霊いたし、苦しんで怒ったり暴れますので、私が謝りますと、「俺が勝った」と言って喜び、静まります。また、家族を集めて説教をし、恐れ多いことでございますが、御屏風観音様を焼いてしまいました。最近は弘法様より、不動様を拝み、弘法様の上に不動様がおられると申し、不動様(大日大照不動明王)を拝めと言います。現在、私も家族も御守り様を外して集会所にお預けいたしてあります。また、父に対しては家中充分に心遣いして大事にいたしておりますが、今後いかがいたしましたら、よろしゅうございましょうか。

御垂示 御守り様を外しております……これはしようがない。それじゃ、入信したんじゃない。形だけの入信です。第一番に御守りを掛けることですね。それでなければ御守護いただけない。こういうことがあるということは、家中の人にも罪がある。こういうことがあると、苦しみますからね。苦しむというのは、罪穢れがあるからですね。それを減らさなければならない。減らすためには、御守りを掛けなければならない。それが第一番です。そうして、光明如来様をお祀りしてありますね。

御伺い まだでございます。

御垂示 じゃ駄目です。まだ信仰に入ってないですね。光明如来様をお祀りし、御守りを掛けなければ、救われっこないですよ。とにかく、それが根本ですよ。そうして、良くお願いするんですね。光明如来様をお祀りして、祝詞を奏げますね。善言讃詞とか……あれが、そこの一家を浄めるんですからね。これは、俗に神狂いと言ってね。宗教で狂いになるんですね。昔、神狂いと言ってね。それで、いろんなでたらめなんです。無論霊ですがね。こういう霊は、人間の霊と動物霊と両方です。それで人間のほうは、元光明如来様の熱心な信者かで、それに霊が憑って、霊がいろんな……からかったり、いたずらするんです。これも、そこの家の霊界が浄まってくると、萎縮するんです。それには、いま言ったようにしなければならない。それが根本です。

「『御教え集』五号、岡田茂吉全集講話篇第五巻」 昭和26年12月06日