御教え この間、東京に行ってピカソの展覧会を見たんですが、その感想を書いてみました。
(御論文「ピカソ展を観て」朗読)〔「著述篇」第九巻六〇八-六一三頁〕
いま読んだ通りで、ピカソの絵なんかを、こういうふうにコキ下ろした人は、絶対にないと思いますがね。というのは、本当から言うと、いまの人は解らないんです。まだ、美術を批判するだけの眼ができてない。できてないということは、秀れた良いものを見る機会がないから……見ないからです。本当に良いものを見れば、頭ができちゃうから、ピカソの絵なんかぜんぜん問題にならなくなるんです。ピカソが偉くなったというのは……偉くなった、と思われるようになったというのは、わけがあるんです。というのは、アメリカの金持ちが、東洋美術を手に入れようと思っても、日本は売らないし、日本から買えば、贋物ばかりですから……イギリス、フランス、ドイツも少しありますね。そういうのを買ったんです。金持ちは大いにいばっていたが、アメリカには、後々金持ちができますからね。後からできた金持ちは買うものがないんです。しようがないから、現代の美術家ですね……現代の偉い画家に目をつけた。フランスで一番偉いというのは、ピカソかルノーとかね。その人の絵を買おうとね。マチス、ピカソのほうでも、絵が……油絵なんかだんだん変わってきて、印象派以来、非常に変わってきたですね。後期印象派に至っては、偉い……ゴッホとかゴーガンとか出て、良いものをこしらえた。ところが、あれでも駄目だ、もっと変わった新しいものを作らなければならないというので、だんだん新しく新しくで、結局行きすぎたんですね。行きすぎたのが、いまここに画いた轢死者や爆弾で殺されたような格好になったり、わけも分からない……まるで子供が画いたような……あれなら変わってますしね。そうすると、アメリカの新しい金持ちは、旧式の絵……旧派ですね……持っている富豪に対して……どうだ、俺のほうはお前たちが持ってない新しいのを得たと、大いに誇ったんです。ところが、マチス、ピカソのほうは、そういった営業的な考えはないが、なにかアッと言わせるような新しいものを作ろうとして、あんなことになった。それが金持ちの考えと一致したわけですね。そこで、たくさん買うんです。注文がたくさんあるし……高くしちゃった。ピカソなんか非常に高いですね。大衆は変なもので、ピカソの絵はあんなに高いので、良いに違いない。良いか……というと、その良い悪いが解らない。良いんだ、値打ちがあるんだ、とこう思って……お経と同じです。
お経が、解らないからありがたがって奏げるんです。お経が解ったら、ありがたがるのはずっと減る。なんとかいうお経なんですが、飜訳してみると、男女関係のことを書いてある。実に猥褻きわまるものです。それをありがたがるんですからね。結局人間はあんなものですね。だから、私は逆に、はっきり判るように書いてますが、だからそういった意味においては、ありがたがれないんですが、しかし、ありがたがる、ありがたがれないということじゃなくて、こっちは人間を……人類を救うんですから、解ることが主ですから、お経や……『バイブル』もあんまり解らないですが、お経よりは良いです。解らないことというのも良いが、そのために迷いを生ずる。迷いを生ずるから、仏教でもキリスト教でも、派がたくさんできる。だから、人類を本当に救うことはできない。ただ、なんとなく救われるというので、徹底しないですね。もっとも、力というものが不足していた点もあるから、いままでとしてはあれで良いんです。こちらは、そういう曖昧な点などは、はっきりさせるというんで、これがいままで夜の時代であり、私は昼間の文明の根本をつくるんですね。これは、そうなるのが当然の話です。そんなようなわけですから、絵にしてもそういう解らないようなものが大騒ぎをやられるというんで、それを見た日本の画家はまね始めた。実におもしろいですね。だから、これはちょうどブランコと同じで、古いのは行きすぎたため、反動的にこう行って、こう行ったのが、いまの油絵ですから、それがやがてまた、こう行くんですね。そうかというと、このごろ、『源氏物語』がはやってきた。石川五右衛門だとか、これは反動の反動ですね。それでだんだん行き詰まってきて、今度は本当のものが生まれるんです。いままでの文明を見ると、みんなそういう系流を通っているわけですね。それで、今度美術館ができたら、いま読んだ通り、西洋のはどうせかなわないから、ぜんぜん手を出さないようにしてますがね。
それからもう一つは、西洋のも美術的に見て、良ければ私はなんとかしますが、本当に美術から言えば、どうしても東洋美術よりも下なんです。これはしようがないですね。ですから、アメリカ辺りでもイギリス辺りでも、マチス、ピカソの絵よりも、支那の宋時代の絵を、ずっと欲しがって高く買います。なぜなら価値があるんです。西洋の絵でも、なぜいけないかと言うと、第一番の条件が欠けている。品位ですね。美術の最高のものは、品位ですね。人間でもそうです。偉いとかなんとか言うが、結局品位ですね。高さですね。高さがなくちゃいけないですね。高さということは、つまり神様に近いんです。一番高いのは神様で、その次が人間で、その次が獣です。人間は、神と獣との間、といつか書きましたが、西洋の絵は高さがないんです。この間、ピカソの絵を見て……ああ、どうも品格がある、と思えない。品格のある芸術は、天国的芸術です。それを観て、それに引き上げられる。そうすると、精神的に天国に引き上げられるんですね。それで、美術の価値がある。私が、西洋の美術が下だと言うと、どうかすると、どういうわけですかと言うから、品格がないと言うと、それでギャフンと言うんです。ですから、私は美術館に並べるものを、東洋美術のうちの古いのも、新しいのも……それは問わず、名人……その時代の名人の傑作品を並べるつもりです。私の買ったのもあるし、そういうものを持っている人の連絡も、だいたいついたことになってますからね。これは神様がやっているから、実にうまくいくんですから、いよいよ美術館ができてみたらびっくりするだろうと思います。どうしてこういうものが集まったかというよりも、どうしてこんな立派なものが、昔できたかと思うものがたくさんありますね。
いま、私設美術館はほとんど見ましたがね。大阪、京都、東京でも、この間、根津美術館、長尾美術館……ワカモトのね。毎年春、秋……長尾のほうが二日間、根津のほうが五日間ですがね。これはつまり、私設美術館は展覧会を一年に二回は開かなければならんと、つまり財団法人ですからね。財団法人はそういう義務があるんですね。さもなければ……財産保護の税金をかからないようにするというだけに終わりますからね。二つとも見ましたが、本当に遠慮なく言えば、ほとんどゴミみたいなものです。根津美術館の一番良いものは、私の家の一番悪いものと、ちょうど同じくらいなものです。それから、長尾美術館には、有名な藤の壷という……これは立派なものですがね。あとは、場末の道具屋でも……私の所に持ってきてもぜんぜん買いませんね……値段にかかわらずね。実に驚いた。それから、いつも言う通り、博物館の美術品は実にひどすぎます。あれを外国人に見せるのは、実に情ないくらいですね。ですから、今度私のほうで並べるものは、こんなものが世の中にあるのだろうかと、驚くに違いないですね。外国の人が見たら腰抜かすくらいに驚きます。それでまた、やっぱり、人間業でないんですからね。神様がやっているから、不思議にすごいものが手に入ってくるんです。ですから、奇蹟的に集まってくるんですね。ですから、私の所に来るのは、割合値段も安いんです。たいてい、財閥とかいう人たちが、急に金がいって、そういうのがパッと来るんです。私は、いま売ればずいぶん儲かるんですがね……そういうわけにもいかないからね。そういう場合には、やはり神様がそういうことを、大いにやられているということが良く分かる。そういう話になると、つい油がのっちゃってね。