昭和二十六年十二月一日 『御垂示録』五号 (23)

実に、この表装(床の間の御神体をお指しになられ)は合っているな。私は、自分で言うのはおかしいが、このくらいの絵は日本人にはないですね。もっと下手なんです……日本人のはね。支那の牧谿、梁楷は、約このくらいある。観音さんとしては、牧谿のもありますが、これより下手です。これは実際……自分で言っちゃおかしいが……このくらい良く書けたのはないですね。だいたい、他の人のはお顔が駄目です。これくらいの品位を持っているのはないね。

 姿は朝鮮ですね。朝鮮のほうが良いですね。スマートですよ。法隆寺の夢殿にありますね。百済観音ですね。東洋一ですね……姿の良いのは。いまの人でも、観音様は、あれをモデルにしてますね。
  

〔 質問者 〕インドのアジャンターの。

 あの時代には良い物ができたんですよ。壁画で、有名なものですね。アジャンターよりか、もっと前に観音様とは違うが、仏画がありましたね。仏教は二六〇〇年だから、観音さんだね。いまに手に入るんですが……二〇〇〇年くらい前ですが、チベットと支那の間で、絵画としては古いんです。そういうのがお手本になって、インド辺りに発達したんですね。

「『御垂示録』五号、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年12月01日