昭和二十六年十二月一日 『御垂示録』五号 (13)

〔 質問者 〕私も家内の先祖も鹿児島県で、神道です。仏壇の中にお迎えし、親類の位牌を最下段にしておりますが、神道と仏は中心から別けるようにとの御教えいただきましたが、最下段に仏をお祀りしてもよろしいでしょうか。

 そうですね。この間言ったのは、神道と仏と別けて、真ん中に観音さんをお祀りするんでしょう。いまの……上に神道を祀って、下に仏でしょう。変えるのは良いじゃないですか。
  

〔 質問者 〕神道の御簾が下った、大きなのと変えても。

 仏壇は止めて、全体をか……そいつはまずいです。あんまり仏を侮辱する。
  

〔 質問者 〕もう一体御屏風様をいただき、別々に。

 それもおかしいね。この間言った通りにしたら良い。
  

〔 質問者 〕元は仏で四、五代前に強制的にされた神社神道でございます。
 強制的と好んでやったのは違いますからね。強制的にやったのなら、神道のほうが下じゃないか。そうしたら、神道のほうは止したって良い。仏のほうだけにしなさい。強制的だったら止して良い。先祖だって快くそこに行きません。
  

〔 質問者 〕そこのお嬢さんが嫁に行き、戦争中に焼けて実家に帰り、浄化いただき亡くなりました。主人は東京のアパートで、日蓮宗で。

 日蓮宗はまずいな。日蓮宗はそれだけの……なにがないんです。日蓮上人が救われたばかりなんだからね。日蓮上人は、自分を拝めということは遠慮してできないんですよ。だから、日蓮上人の霊界というのは、ごく低級なものが行っている。

「『御垂示録』五号、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年12月01日