昭和二十六年十月十八日  『御教え集』三号 (3)

 御教え 今日は教団に関した話をする前に、その参考として、これを読ませます。それから、その話をします。

   (御論文「経と緯」朗読)

 これはいままで、よく書いてあるから知っている人はたくさんあるでしょうがね。あとで話しますけれども、それがやっぱり、良く出ている。それから、もう一つ、仏教ですね。『文明の創造』の「宗教篇」ですが、仏教における大乗小乗も、ちょっとおもしろいですから、参考のために読ませます。

   (御論文「仏教に於ける大乗小乗」朗読)

 つまり、いま両方読んだが。根本は経<たて>と緯<よこ>ですね。これを結んだものが、いままでないんです。それで救世教も最初観音教時代には、経と緯だったんですね。経は……これはみんな知ってますが、天国会だったですね。緯が五六七<みろく>会だったですね。ですから、信仰の状態も、天国会のほうは非常に厳粛だったですね。簡単に言えば、厳しかった。窮屈でもあった。それから、五六七会のほうは、まことに自由で気安かったけれども、まただらしがないということが言える。両方とも極端と極端です。これはやっぱり経と経で、つまり結んでなかった。伊都能売<いづのめ>になってなかった。

 そこで、結局において、天国会は大きな手柄を残したけれども、失敗した。五六七会のほうも大きな働きをしたけれども、失敗した。そうして去年の事件によって……事件というのは、とにかく五六七会の失敗なんですね。

 五六七会は緯ですから、非常にどんどん発展した。一時は不思議なくらい発展しましたが、これは緯の働きですから、いくらでも拡がったんですね。それが良く出ている。そうすると、経と緯の観音会というのはそうなんです。今度メシヤ教になってから、緯が失敗する時期になったんですね。で、以前はほとんど、五六七会というのは、教団の八割くらいに発展したんですからね。ちょうど、五六七会が観音教団のような形になったんですね。それが去年失敗すると、それから後は、経のほうの観音会系統の人が・……大草さんとか、阿部さんにしろ……すべてが経営の中心だった。ですから、非常に教団はがっしりしてしまった。堅実というような感じですね。けれども、これではやっぱり発展性が乏しくなる。ですから、どうしても発展性は緯の拡がりでなければならない。そこで、今度渋井さんが、その働きをしなければならない。ちょうど、事件当時……事件が起るや否や……渋井さんが脳溢血で倒れた。中風ですね。ふつうだったら、いまもしようがないんだけれども、なにしろ一時はフラフラになって、やっと旭町から歩いてくるような……ものにつかまって、やっと歩いてくるくらいだった。口もきけなかったし、頭もぼっとして、どうにもならなかった。最近は私の浄霊によってほとんど治ってきた。この間京都に行ってみたところが、どうやら活動できるようになったということで、いよいよ時期が来た。それで、渋井さんが大いに働くことになったんです。この間、渋井さんが言うことには、自分が教修をしたのは十何万……一〇万以上ある。それが、あとがまことに育たない、と言うんです。本当に順調に育っている人は、何分の一だと言うんです。ところが自分がああいうような病気だからしかたがない。新しい信者を作るのも肝腎ですが、復活させるのも肝腎で、手っ取り早いと言うんです。それで、私も大いに結構だからやりなさいと言った。そうすると結局、どういう意味になるかと言うと、天国会系の経と、五六七会の緯が、今度結ぶことになる。ですから、渋井さんも、以前の緯に経が加わる。それから、天国会系の人も、今度は緯が混じる働きもするということになって、両方とも、ちょうど結ぶ働きになるわけですね。それではじめて伊都能売の働きになっていく、ちょうどそういう動きが来たわけですね。渋井さんという人は、発展する……拡げる力は非常なものです。なんというか、腕があるというか……そんなようなのがあります。そうかといって、拡げるのを締めていくというのがない。いままでなかったですね。拡げっぱなしなんです。それで、自分も懲りたと言っている。

 以前には変な人間が入ってきて、いろいろかきまわしたり、教団の金を、なんとかうまいことを言って引き出したりする。渋井さんは非常に良い人ですからね。世間の人がそんな悪いことをしないと、気を許したからで、今後は絶対にそんなことはないと言っている。結局は経の働きが出るわけですね。ですから、これからは本当の伊都能売になってきたわけですね。

 それから、「散花結実」ですね。あれはだいたい……教団の去年の事件までというのは、花を咲かせたんですからね。花というものは、つまり体になります。霊ではない。ですから、体だけは非常に花を咲かせた。五六七会が花を咲かせた。そうして、五六七会が散らした。ですから事件の動機というのは、五六七会が起した。これから実を結ぶというのは、やはり五六七会がやらなければならない。これから、実を結ぶという時期になります。ですから、体ですね。体の働きですね。それから、天国会は霊の働きです。これからは、中島さんも霊界で活動します。そこで霊、体の力が出ますから、要するに伊都能売の力ですね。ちょうどその時期になったので、それを知らせたんです。ですから、これからは教団のいろいろな形も違ってきます。どう違うかというと、非常に発展していく、拡がっていく。

 これで、いろいろくわしく話すると……なかなかいろんなことがありますが、だいたいはいまお話したようなのです。ちょっとあれはどういうわけなんだという、いろいろな疑問が起ったようですが、それはいま言ったような、神様のほうの御経綸によって、いろいろなわけがあるんです。例えてみれぼ、こんなにお蔭があって……だんだんお蔭がひどく大きくなっていく。病気も早く治り、感謝する人なども、前からみると非常に違ってきている。病気が早く治って、違ってきている。感謝が強いですからね。その割に発展しないんです。おかしいですね。それはなんだ、というと、いま言ったように緯のほうが休んでいたからで、これから緯の働きが始まりますから、なるほどというようなことになっていく。ですから、これからは経でもいけなければ、緯でもいけない。伊都能売ですね。そういうふうになっていく。だから、やる人も、どこまでも伊都能売式でやらなければならない。教団全部がそうなるんです。以前のように天国会と五六七会が一つの対立するような系統のものができて、ああなったというのは、これはやはりしかたがないんです。それが世界の型なんです。で、型ということは、よく言いますが、そういうことも、世界の型をやっている。つまり、東洋文化と西洋文化ですね。それが、いままで別々だったんですね。東洋はどこまでも精神的に、西洋はどこまでも物質的と、両方偏っていた。これから、それが結ぶんですが、その前に救世教が結んで、それが世界的になるんです。ですから、いわばこっちは、その模型をやっている。

 また、地上天国の模型なんてのは、そういうわけなんです。将来世界はこうなる。というその一番始まりをやっているわけです。教団のいまの型も、世界の型をやっている。いずれ世界は結ぶんです。神様が経綸しているんですから、その頭をもって見れば判ります。

 今日は、西南アジアの方面が非常に変わってきましたが、あれは世界の整理のためなんです。いま、英国が一番やられてますが……植民地なんかがね。あれは一つの清算ですね。というのは、英国は長い間、ああいう国を武力で圧迫して、そこから出るいろんな利益を搾取していた。それはもう許されない。ですから、今度エジプトなんか、条約ですが、まだ期限が来ないのに、期間はまだ一〇年近くあったんですが、その条約を破棄しようとしたですね。その口実は、先には武力によって結んだ条約だから、破棄するのは当然だ。と言うのです。それには違いないがね。イランあたりからやられて、それにつけ込んで、やるわけなんです。というのは、一番目はインドの植民政策ですが、インド独立運動のために英国が譲歩してしまった。そのために、それを契機としてイランの石油問題が起り、エジプトに問題が移ってきて、今度はまたイラクあたりもやっている。要するに、武力や、力によってそれを押えて、そこから出る富を搾取して、英国が大きくなったんです。そういう間違ったことは許されないという時期になったんですね。

 やはり、大きく言えば、一つの五六七の世の現われですね。一つの現われと言っても良い。しかしそうかといって、英国がそういった欲張ったばかりでもない。良いこともあるんです。というのは、そういうアジアの未開の国を、そうとう開発しましたからね。イランの石油にしろ、もしイギリスが来て出さなかったら埋もれたからね。エジプトとか、あそこいらの文化を進展させたというような点は良いほうなんですね。やはり、良いほうと悪いほうと両方あったが、良いほうは、どこまでも残しておき、悪いほうは、間違っているから整理していくという……神様は整理をしているわけですね。それは非常に結構です。まだまだいろいろなことがあります。神様はすべてを整理しているんです。共産主義といい、アメリカの資本主義といい、ああいった全体主義的なやり方と、自由主義的なやり方とが闘っているというのは、大きな経綸なんです。それを、良く見ていると判るんです。判るということは、こっちに智慧証覚がそこまで進んでいなければならない。智慧証覚が進むように一生懸命修行するんですね。そういう、世界のいろいろな変化する型というのは、私は始終神様から見せられているので見当がつくんです。以前には小さな型ですが、このごろの型は大きくなった。いまお話した天国会、五六七会のなんかは、いままでの教団の流れを見ていくと、やがて世界はこういうことになっていくということが分かる。

「『御教え集』三号、岡田茂吉全集講話篇第五巻p60~68」 昭和26年10月18日