御教え この間、東京に行ったところが、「ピカソ展」を高島屋でやっているというので……わざわざ、見に行くつもりもなかったが、そういう話なので、ついでなので見に行ったが、その批評をここに書いてある。この間、マチスは……話だけだったか、これは、おそらく私のような見方をした者はないだろうと思いますね。
(御論文「ピカソ展を観て」朗読)〔「著述篇」第九巻六〇八-六一三頁〕
いま読んだ通りですね。マチスにしろピカソにしろ、みんな一遍は見なくてはいけないというわけで、ヤンヤと押しかけて、あれでそうとう入場料を取るんだから、デパートなんか儲けたろうと思いますがね。そんなことは、どっちでも良いが……あれを観ても、解る人はありっこないんです。私が解らないんだからね。それが、ああして大騒ぎをされているというのは、批判力がないからです。人が良いと言うから良いと言うので、なぜ世界的名声を博したかというと、こういうわけです。アメリカの富豪が美術館を造ったり、自分の家に並べたいと思っても、東洋美術はほとんどないんですよ。だから近ごろ、アメリカ人なんかでも、ずいぶん熱心に、買おうと思って、代わる代わる来てますがね。しかし、本当に良いものはなかなか買えない。また日本人は売らないようにしてますからね。そういう点は、日本人は国家思想が強くある。そこで一等品……一級品は手に入らない。それから支那のほうも、以前はあったけれども、イギリスの富豪……デイビッドとかホップレスとかいう金持ちが、ほとんど買っちゃった。アメリカでも、ボストンの博物館あたりが、前から買っちゃってある。それで、アメリカの金持ちが手に入れることができない。そこで、ヨーロッパの絵ですね。ああいうのも……同じ白人ですからね。そこで目をつけたのが、新しい……生きている人で、見渡したところフランスあたりが、一番偉い画家がいる。それでその絵に目をつけた。マチス、ピカソだとかね。ああいった人たちが……だんだん世の中の絵の傾向が変わってきて、後期印象派だとか立体派、後世派だとか出てきて、新しくなにか書いていった。で、その結果とうとう行き過ぎちゃった。その親玉がピカソですよ。ちょうどブランコと同じで、こっちに来ているのに、いまあっちの端にいるのがピカソですね。そうすると、アメリカの富豪が変わっているところ……変わっているために、他の金持ちが持っている絵と違いますからね。他の金持ちが持っている絵は旧式だ。駄目だ。こっちが新しいものだ。すばらしいものだと思っちゃった。しかしアメリカの富豪だって目がきかないんです。美術眼なんかない。すると、他の富豪が、あいつがああいう物を持っているというので、だんだん競り合っていった。いま一番高いですね。だから、ピカソの絵は、あんなに高いから良いものに違いないとなった。それが、日本に来て、フランスやアメリカで大騒ぎをやっているから、世界的の大名人だ。見ずんばある可からず。というようになった。要するに、そういうようにこしらえあげちゃったんですね。私は本当の白紙になって、冷静に批判したんです。見ると、なにもないんです。絵としては、ただ人を驚かすような……ただ、奇ですね。奇によってアッと言わせるというんです。あれが絵としてやられたらたまらないですよ。一番良いのは……あの絵を飾ってみてご覧なさい。ああ良いと思う人は、おそらくないですね。ちょうど、銀座通りあたりに行って、若い女が歩いてます……毒々しい化粧をして、派手な衣装をしている……派手な格好をしていると、みんな見るでしょう。美人じゃないんですがね。見るだけは見ますよ。有名になった音楽家とかは、ははあ偉いんだなと思う。だから、そんなものはある時期が過ぎると、ガタッと落っこちます。ピカソを私のように見る人や、言う人はおそらくないですよ。しかし、それが本当なんだからしかたがないですね。まあ、これが他のことにも共通しているんですよ。いま、大学教授の……良い博士という……お医者さんですね。たいへんな腕前を持っていて、たいていな病気は治してしまうと、思いますよね。ところが、本当の値打ちは、われわれのほうでは分かってますからね。それとちょうど同じようなものですね。この間なんか、ユナイテッドのニュース映画ですが、英国の皇帝が手術をするので、有名な博士が自動車に乗って、降りるところが写ってましたが、まるで神様のように扱われてましたね。皇帝の手術をするんですからね。われわれから見ると、からっきし問題にならないがね。ちょうど、ピカソの絵もそんなようなものだろうと思いますね。