御教え 霊憑りのために、ときどき問題を起したり、いろいろあるんですよ。霊憑りというのを、ぜんぜんいけないというわけにはいかないけれども、まず九割まではいけないのが多いですね。だから、それについて、いったい霊憑りというのはどういうものかということを、良く知ることですね。霊憑りでも、邪霊と本当に正しいのと両方ありますからね。その関係なんかを、はっきり知っておけば安心ですから、それについて精しく書いたものです。
(御論文「霊憑りに就て」朗読)〔「著述篇」第九巻五八七-五九一頁〕
これに書き忘れたが、正守護神が人間になにか知らせる場合に、狐霊を使ってやることがあるというのは、狐霊は人間にしゃべったりすることが、非常に上手いので、そういう場合に正守護神が狐霊を使うと狐霊が憑っていろいろしゃべるが、ところが正守護神の命じたままを言えば良いが、狐は……なにしろ狐ですから、地金が出るんですよ。それで、よけいなことをしゃべる。そういうのをみると、狐霊だか本当の正守護神だか分からないことがある。これは狐だから本当にしちゃいけないと思うこともあるし、これは正守護神だから本当だと思うこともある。だから、しゃべる言葉によって、正しいか正しくないかを判断する。そして正しいところだけを取れば、正守護神の思う通りになる。その見分けが難しい……とも言えるし、常識的な判断をすれば、そう難しくない。それをはっきり見極めるのが審神という。審神というのはそう難しくないです。言うことが正しいか、正しくないかを判断するんですね。正しいか正しくないかを判断するにも意味がある。小乗か大乗かですね。小乗で良くてもいけない。大乗から見て正しいということが、本当の正しさですから、その見別けですね。その点を、解るようにいつも書いているんですよ。大乗と小乗もね。ですから、どこまでも、信仰は大乗と小乗を基本として考えていくと間違いないですね。ところが、ちょっと聞くと、小乗のほうが本当のように思えるんです。正しいようにね。