昭和二十六年十一月十五日  『御教え集』四号 (7)

 それから、話術……術ではないが、話したり聞いたりする処置ですね。これは大いに勉強しなければならない。というのは、間ですね。間が非常に肝腎なことです。先方で……話なら話を聞くことがありますが、なかには間髪を入れずに聞くことがあるし、それから順々ということがあるし、その……一つの調子ですね。まあ、芸術みたいなものですね。これは大いに勉強するんですね。どこまでも簡単明瞭に言う。それから、急所をつかむんですね。ですから、相手の様子ですね。興が乗って、耳をそばだててくるか、あるいはたいして……先が聞きたくない……興が乗らないときは止してしまう。それで、趣味とか聞きたいことを洞察してしまう。こういう煩悶があるというのだから、こういう解答をする。この人には、こういうしゃべり方なら解るだろうとか、インテリならインテリ……普通人ならふつうにと、立て別けなければならない。これは、たいへんな芸術なんです。そこで、環境、空気、一人対一人、二、三人と話すときに、多勢に言う場合、土地の習慣あるいは、一つの色がありますね。九州の地方の人と北海道の人は違いますね。九州は、昔から古い人がいて……なかなか、九州魂というのがありますからね。

 それから、北海道というのは、移民ですからね。移民というのはおかしいが、地つきの人というのが少ない。地つきというのはアイヌですが、みんなこっちから渡った人ですからね。そういう人は、色がありますからね。東北の人、上方の人、江戸っ子……みんな違いますからね。それに対する、いろんな言い方……やり方があるわけだからね。そうなると難しくなるが、そんなに難しく考えなくても……そんなのがあるわけですね。

 それから、物事を難しく考えてもいけないし、単純に考えてもいけないですね。どうしてかと言うと、考えすぎて結果が悪いことがあるんですね。だから、できるだけ単純にですね。私なんかも難しくなることがあるが、ごく単純に考える。そうして、あとは神様に任せるんですね。だから始終気が楽です。人間は、気が楽だと良い考えが浮かぶんです。気が楽でないと、良い考えが浮かぶ余地がないんです。ですから、始終頭の中をからっぽにしておくと、良い考えが浮かびやすいです。

 それから、良い考えというのは、正守護神がヒントを与えるんです。神様は、人間に直接ということはない。正守護神に知らせて、それから来る。ところが、頭にいっぱいあると、知らせても……アンテナが、働きが悪いんです。だから、良い考えが浮かばない。というのは、そういうわけですね。これは、一種のインスピレーションみたいなものですが……始終、ゆったりした気持ちでね。ところが、いろいろな心配事や、気にかかることがあると、そうはいかない。ところが、やりようによって、そうではない。私は、昔はよく気になることが、いろいろあると、他のことは頭に入らない。ところが、だんだん信仰に入って、そういうことは、神様にお任せしてしまうというと、忘れちゃう。これは、そういう癖をつけちゃうんです。一種の修行ですね、よく他の人が、いろいろな心配事を言うが、私は笑っているので、びっくりしてしまう。ふつうの人では、それができませんよ。それについて書いてある。

(御論文「御任せする」朗読)〔「著述篇」第九巻五八二-五八四頁〕

「『御教え集』四号、岡田茂吉全集講話篇第五巻」 昭和26年11月15日