昭和二十六年十一月八日 『御垂示録』四号 (1)

〔 質問者 〕このお部屋にお住みになっておられましたことを考えますと。

【 明主様 】やっぱり、資格者もなんとなく増えていくんでしょうね。しかし霊的のほうでは、だいぶ発展の段階に入ってきているんですね。実りかけてきたですね。いままでは棒だったんですからね。いくらか実の形がね。いくら良いものでも、やっぱりそれだけの年数を経なければね。でも、われわれのほうは早いんですよ。キリストなんか……死んで、どうやらして一〇〇年くらい経ってからでしょう。それと、お釈迦さんみたいに目出度く死んだのなら良いですがね。キリストなんか、ああいう死に方ですからね。「よほどあいつは悪い人間に違いない。太い野郎だ」というので、そこでみんな本当のことが分からないからね。

 

〔 質問者 〕小浜の新聞に出たことは、まことに。

【 明主様 】いま、邪神もだんだん小さいところよりか手が出ないようになってきたんです。やっぱり、ああいうことは最後まであります。しかし、だんだん小さく弱くなってくるからね。

 

〔 質問者 〕本日の「善と悪」の御論文で、自己保存のための本能は与えられますが、逸脱しただけは。

【 明主様 】逸脱というのは。

 

〔 質問者 〕護るというような。

【 明主様 】護るというのがおかしい。というのは、保存じゃありません。進歩です。競争がなければ進歩……しないんです。

 

〔 質問者 〕自己なり、団体に許される。

【 明主様 】いや、許されるじゃなくて、必要がないんです。一つの……固まりがあるから……泥棒があるから……護るので、泥棒がなければ開けっぱなしで良い。

 

〔 質問者 〕悪はそういう所から生まれてきたので。

【 明主様 】生まれてきたのではなく、神様が……必要があるからつくったんですよ。仮に、地球がまだ固まらない時分にはマンモスとか、いろんな龍神を……暴れさせて固めたでしょう。そういったものがいまあったらたいへんですからね。こんな家なんか、ぶっつぶされちゃう。しかし、それは必要だからあった。悪というのは、人間の形をした動物です。ところが、動物の形をした人間はもういらなくなった。だから、家畜のようなおとなしいものは残して、虎や狼はだんだん減っていく。蟒<うわばみ>なんかなくなってくる。昔、俵藤太秀郷が松の木と間違えたくらいだからね。しかし、人間の形をした動物はなくなるんです。

 

〔 質問者 〕人間に必要だったので。

【 明主様 】神様がつくったんだからね。だから、必要と言うのもおかしいくらいなものです。副守護神というのは、そういう役をしていたんです。獣ですからね。そしてまた、人間は堕落すれば獣になると言うでしょう。獣と言っても、家畜じゃない。獰猛なものです。いま、ほとんど獣で……ただやり方が小慧<こざか>しくなっただけですね。

 

〔 質問者 〕我と執着は副霊が起させるものでございましょうか。

【 明主様 】それが、そうきめることはできないんです。執着にも、善と悪があるんです。世間の執着は、悪のほうがずっと多いんです。私が善で救済する。どうしても、世の中を良い世の中にするというのは、良い執着です。毎日朝から晩まで考えているから、たいへんな執着です。しかし、それは良い執着です。いままでの執着は悪だったから、執着が悪いようになるんです。

 

〔 質問者 〕布教上、執着がかえって障りになるようでございますが。

【 明主様 】ところが、その執着が本当の執着じゃない。小乗なんです。だから、小乗の善は大乗の悪になると言うでしょう。一生懸命で、熱心な人がかえって危ないようなことが良くあります。お邪魔になるようなことがね。それは小乗だからね。ちょうど、終戦前の忠君愛国ですね。楠木正成、吉田松陰だとかね……ああいう祖先の思想を受け継いだために戦争を起した。してみるとああいうのは、小乗の善なんです。そこで私は「世界人たれ」と、論文を出したでしょう。世界の人間みんなが同じように見なければならない。そうすれば、そんな侵略戦争なんか起す必要はない。つまりいままでの戦争や国際間のことは、世界中が小乗の善だったからです。自分の国民だけを仕合せにしようとした。自分の国民だけと思うから、みんな喧嘩になった。支那人だって、そう思い、朝鮮人だってそう思う。日本が人口が増えた……拡がっていかなければならないから、支那が広いから入ろうとすると、入っちゃいけないと、武力をもって防ぐでしょう。日本は、武力をもって入り込もうとする。これが戦争になる。反対に三国のうちで、人口が増えたら、あなたのほうは人口が増えてお困りでしょうから、私のほうはあいているから、お入りくださいと言う。それが、本当の大乗の善です。

 

〔 質問者 〕執着を取ろう取ろうというのが、一つの執着になるということが。

【 明主様 】あります。取ろうということが執着です。なぜなら、取ろうと思っても取れないのは、いかに執着が強いかということです。簡単に取れれば、そう思わなくても良いがね。

「『御垂示録』四号、岡田茂吉全集講話篇第四巻p305~309」 昭和26年11月08日