昭和二十六年十一月五日 『御垂示録』四号 (8)

〔 質問者 〕『地上天国』第二九号の「教えの光」に、応神天皇のことが出ておりましたが、どういうことでございましょうか。

【 明主様 】解答はそれで良いじゃないですか。

 

〔 質問者 〕前に応神天皇が明主様の御前世と。

【 明主様 】関係があります。

 

〔 質問者 〕邪魔するのがおかしいと言うのでございますが。

【 明主様 】そんなことがありますよ。私だって、生まれてから、いまのようではなかった。無神論のカチカチだった。金が儲かったから、共産主義を助けようと思って、共産主義のシンパ(同情者)あれをやろうと思った。だから、神様なんか信仰しているのは癪に障ってね。ああ馬鹿な奴がと思っていたけれど、私は悪いことはしなかった。良いことはしたかった。良いことをするのが本当だと思っただけで、神ということは……神なんかあるものかと思っていた。

 だから、反対者というのは、解ると割合良いんですよ。強い反対者は強く解ってくる。どっちでも良いと言うのは、一番困るんです。反対なら反対するのは、一つの信念を持っているんだからね。相手が間違っているから反対するという、その意志の強さですね。それが、くるっと変われば良いんですからね。反対も賛成もしない、どっちつかずの奴が一番困るんです。そういうのに限って、信仰しろと言うと、信仰は結構ですね、結構ですねと言う。

 

〔 質問者 〕なんでも素直にというのが。

【 明主様 】それもあります。要するに、世渡りの修業が積んだ人がそうです。それから、そんなに立派な信仰があり得べきものではない。どうせ、気の弱い者がつかまるものだと思っているからね。

「『御垂示録』四号、岡田茂吉全集講話篇第四巻p294~295」 昭和26年11月05日