昭和二十六年十一月五日 『御垂示録』四号 (5)

〔 質問者 〕大光明如来様を御奉斎の一信徒の家で、仏壇の向きが、構造の関係で東と南で、北にならないのでございますが。

【 明主様 】どこでも良い。向きは差し支えありません。

 

〔 質問者 〕出張所をやらせていただく場合に、着きましたと同時に、お参りさせていただくべきでしょうか。信徒が一番集まるのは、一時か二時ですが、そのとき一緒にすべきでしょうか。

【 明主様 】それは、そこに着くと、そこの家に行くんでしょう。そうしたら、すぐやったら良い。できるだけ早いほうが良いですよ。祝詞を奏げてね。

 

〔 質問者 〕信徒と一緒にするのは差し支えありませんでしょうか。

【 明主様 】差し支えないじゃない。結構です。それは意味が違う。着いたときは、これからの御守護と御礼で、信徒と一緒のときは、信徒の御守護と御礼です。神様のことは几帳面でなければならない。

 

〔 質問者 〕帰りには。

【 明主様 】帰りは、無論御礼と……そこに滞在中の御礼と、信徒の今後の御守護と、それでかまいません。来たときも、信徒が集まっているなら一緒で良いが、そうでなく、行ったとき自分だけだったら、切り離すのが本当です。

 

〔 質問者 〕私の教会は、豊川稲荷のすぐ際ですが、傍に五社稲荷もあり、信徒の中に、元豊川稲荷、五社稲荷の壇家の者がおりますが、この場合、この人々が参詣したり……出入りするために、私の教会に禍いするということはございませんでしょうか。

【 明主様 】とんでもない。そんなことを考える必要はない。狐より光明如来様のほうが、ずっと上です。一時は邪魔しようとしますよ。しかし、あるときにいくと、徹底的にやられますからね。狐だって、改心したら立派なものです。なかなか働きがありますからね。狐でも神様の御用をしているのがありますからね。そういう狐にすれば良いんです。

「『御垂示録』四号、岡田茂吉全集講話篇第四巻p290~p292」 昭和26年11月05日