御教え 昨夜、福井県のほうの信者で、そうとう古いらしい信者なんですが、なんでもそこに来る、やっぱり信者らしいんですが、最近龍神が憑って、いろいろ邪魔したりするとみえ、浄霊すると、龍神だかなんだか知らないが……精神病的に暴れたんじゃないかと思いますが、それを一五人の人間が抑えつけて、無理に腕力でやったとみえて、怪我したらしいのです。
それはそれとして、「憑っている龍神といま闘っている。だからそれを屈服させるべく御守護願いたい」と、頼んできた。運転手の米谷君から私に手紙の依頼をしてきたんです。それで米谷に、こういうふうにしろと教えてやった。これはあり得ることで、心得ておかなければならない。それは「先は……暴れた人間に憑いた龍神は邪神だ。これをやっつけなければならないと思った。私の神力で……お力でやっつけてもらいたいという意味なんですが、それは逆で、あなた方みんな……十何人かの信者みんなに邪神が憑っている。暴れるという龍神は、神様なんだ。手紙には、どうしても勝たなければならないということを書いてあるが、勝たなければならないと思う気持ちは、それは邪神なんです。だから、あっちに行ったら、負けなさいと言え」と言った。負ければ、先が良い気持ちになる。負かそうとするから、先が怒ってくる。負かそうという気持ちそのものが、ぜんぜんメシヤ教ではない。昔から言う通り、負けるが勝ちです。負けなければならない。勝とうとする気持ちが、ぜんぜんメシヤ教の気持ちとはあべこべになっている。それは、行者かなにかがやることです。よしんば邪神でも、負ければ良い。
しかし、私は悪に負けてはいけないということを言いますが、悪に負けないということと、邪神に負けないということは違うんですよ。それで私は話したんですが、善とか悪とかいうことは、その道理ですね。理屈にはずれていることは、悪ですから負けてはいけない。邪神というのはそうではない。ただ、邪魔するというんだから、そういう邪魔する人間は、無抵抗にして収めてしまえば良いんだから、そんな善悪なんて考えることはもったいないから、相手によっては……事情によっては、負けるほうが良いんですよ。第一、日本の戦争が、日本が負ける気になったから、あれで収まった。降参したからね。もし降参しないで、まだやっていたら、まだまだどんな犠牲をはらったか分からない。実は降参の仕方が遅かった。もっと、半年も早く降参していたらどんなに良かったか分からない。負けるが勝ちですね。フィリピンを攻めたとき、マッカーサーが逃げたですね。そのとき私は、マッカーサーというのは偉い人だと褒めましたがね。というのは、マッカーサーは逃げるから偉い。日本の軍隊は逃げないからいけない。戦は逃げれば勝つんです。徳川家康は逃げ逃げ天下を取った。いったん負けても、あとを勝てば良い。私はいままでも、最初は負けろと言うんです。で、いつかは勝ちますね。最初から勝とうとするからいけない。
この人たちは信仰が間違っているから、神様がこの人たちをいじめたんです。警察問題になって、いま調べられてますが、これは邪神が信者に憑ったんです。そうして、懲りさせたんですね……神様がね。だから、結局龍神のほうに神様が、かえって憑った。そういうわけです。