昭和二十六年十一月一日 『御垂示録』四号 (7)

〔 質問者 〕京都で、書画御観覧のとき、大燈国師の看読真詮傍<かんどくしんせんぼう>〔看経傍<かんきんぼう>〕のときですか、疲れる疲れるとおっしゃっておられましたが、大燈国師の高い霊が、明主様の霊と、なんと言いますか、相搏つと言いますか、一つの霊的現象 が起っているのではないかと思っておりますが。

【 明主様 】あれはね。文字自体から霊気が出るんですからね。それからの圧力を感じるんです。私の所に宋の青磁があるんです。九〇〇年前のですね。それを見ると疲れるんです。名人の霊が入っているんです。それが、いつまでも入っているんです。だから、それを見ると打たれるんです。それですから、がっかりするんですね。あれは不思議ですね。あれを見ると、私は打たれるんです。陶器ですがね。

 

〔 質問者 〕大燈国師のなんかも、霊がこもっているのでございましょうか。

【 明主様 】そうです。良い霊……強い霊がですね。私なんか、強く感じます。

 

〔 質問者 〕真善美が完全に宿ったのかと思いまして。

【 明主様 】真善美ということは、霊が高いからです。

〔 質問者 〕御観賞しておられます真剣さには、側の者が疲れます。

【 明主様 】自然ですね。

 

〔 質問者 〕鋳物の仏像に作者の霊が入っているものでございましょうか。

【 明主様 】同じことですよ。鋳物だって、あとで磨いたり、いろいろしますからね。

 

〔 質問者 〕疲れるという、そういう場合には「真善美全き」とは言われないのではございませんでしょうか。

【 明主様 】それは、疲れ方が違う。変なもの見たって疲れます。良い気持ちに疲れたんですね。喧嘩して擲<なぐ>り合って疲れたと いうのとは違いまよ。

 

〔 質問者 〕心憎いほどの芸をやると同じで。

【 明主様 】そうですね。

 

〔 質問者 〕白鶴にはなかなか良いものが。

【 明主様 】ありましたね。すばらしいものですね。

 

〔 質問者 〕白鶴という家には、まだそうとう良いものを持っているのでございましょうか。

【 明主様 】この間出ていたものが大部分で、あとはたいしたものはない。

 

〔 質問者 〕たいへん難しい字が書いてあるんですが。

【 明主様 】器物の名前ですね。あれは日本の字がないんですからね。支那の字ですからね。なにしろ花生けでも、一字で現わしている。分からないですよ。私はそういうことは見もしないからね。良いものがありましたね。

 

〔 質問者 〕宮田という人の字はいかがでございましょうか。

【 明主様 】たいしたものですね。あれはそうとうな地位にいって良い字ですね。あれによく似たので、中村不折<なかむらふせつ>というのがありましたが、不折よりずっと上です。世に出さなかったので、天下に埋もれていたんですね。脱俗的な字で、俗的な臭みがないですね。

 

〔 質問者 〕私らにはぜんぜん分かりません。

【 明主様 】それは、たくさん観て、頭を養わなければね。

 

〔 質問者 〕ロシアの芸術品というのは、日本にもありますのでしょうか。

【 明主様 】ロシアというのでなく、東洋ですよ。チベットですね。あっちの、なんとか言う……ヨーロッパに行かないほうですね。

 

〔 質問者 〕黒海の北のほうで。

【 明主様 】そうそう。

 

〔 質問者 〕ロシアには、そういうものはないのでございましょうか。

【 明主様 】なにもないです。ギリシアの文化で、それから、だんだん支那、インド……インドはちょっと系統が違うが……支那に行ったんですね。いっぽうは、別に分かれてインドに行ったんですね。結局世界の芸術はギリシアですね。

「『御垂示録』四号、岡田茂吉全集講話篇第四巻p266~p270」 昭和26年11月01日