昭和二十六年十一月一日 『御垂示録』四号 (6)

〔 質問者 〕箱根の族館の女中が、メシヤ教の方はみんな眼が澄みきっていると言うので、あたりまえだと言いましたが、またこんなにたくさん、しかもたびたびお出でになっているのに、お道の話をしないのは、どういうわけかと言いますので、なんのために九州の端から来るかということだ。そっちで聞かないのが不思議だと言ってやりましたが、やはり、目つきを見れば、他の者にでも分かるので。

【 明主様 】私なんか、往来を歩いていて、電車道なんかに、五人や七人は立っていますが、顔を見ると、みんな悪相ですね。

 とにかく、嫌な目つきですね。メシヤ教には、それがないですからね。どこか、みんな親しめるような……違うんで すね。感じが良いですね。だから、メシヤ教信者になれば、いままで嫌われていたのが、好かれるとか……好感を持たれるんですね。

 

〔 質問者 〕お道について、いろいろ話しても、すぐ入りませんが、それは神様のお許しがないので。

【 明主様 】そうです。分からないのを無理に入れようというのは、ごく悪い。ほったらかしておくんです。すらすらと行って分かるのが一番良い。

「『御垂示録』四号、岡田茂吉全集講話篇第四巻p265~p266」 昭和26年11月01日