〔 質問者 〕今日の御教えに、後醍醐天皇のお話がございましたが、強大な僧兵とか、武力をつくるために利用していたので、信仰心はないと思っておりましたが、間違いでございましょうか。
【 明主様 】間違いですね。本当に大燈国師に師服したんです。
〔 質問者 〕王子<皇子>を坊さんにして、北条氏にあたったと言うことは。
【 明主様 】そうじゃないでしょうね。家来の中にはそんなことがあったでしょうが、そうでないですね。大徳寺に行ってみると、実際に大燈国師に師服したんですね。大徳寺というのは、後醍醐天皇の力でできたんですよ。バラモンというと、物質的になりますが、それは後醍醐天皇は悟らなかったでしょう。信仰しながら天皇になろうと思っただろうが、そこまで悟りきれなかったでしょうが、霊的にそうなっているからしようがない。だから、そこはまた、ちょっと難しいところですね。信仰するそのものによって救われて、そうして自分が、また別の欲望を抱いてやるというのが矛盾するんですね。よくアメリカあたりが、キリスト教を利用して、日本をどうすると言うが、そんなことはないんです。牧師は、本当にキリスト教でやれば救われるというのでやっているんですがね。しかし政府は利用するか分からないですがね。しかし、宗教自体はそんなことはないですね。戦争中だって、日本の神道を軍部が利用したが、神官というのは別に、侵略戦争を助けようという観念は少しもない。ただ軍部で……ああせい、こうせい……と言ったので、それをやらないと、圧迫されるので、して来たにすぎないんですね。
「『御垂示録』四号、岡田茂吉全集講話篇第四巻p257~p258」 昭和26年12月10日