昭和二十六年十一月一日 『御垂示録』四号 (2)

〔 質問者 〕京都に榊原という人で、弟子もなければ、師匠でもなく、一人で絵を画いて甘んじておりますが、一般でも貧乏の中に甘んじているのがありますが、そういうのは、社会的な人間としてはいけないのでございましょうか。

 片方では、一面そういうのは許されるべきものでございましょうか。

【 明主様 】少しは良いですよ。みんな融通のきく者ばかりでも困るからね。それから、女なんかも修道院に入るでしょう。せっかく与えられてあるのに、子供もできなくなる。せっかく神様は……恋愛とか性欲とか与えてあるんです。しかし、少しは良いんです。どうしても我慢ができない人や、前生に人を孤独にしたという罪のある人とか、そういう人は、ああいう所で安住ができるんだから良いんです。絵かきも本当じゃないが、少しは良いんです。それと、一つは本当に上手くないんです。本当に上手くなれば、そんなにほっとかないんです。

 『路傍の石』という小説があるが路傍の石だって、必要なんです。あそこに転がっている石がなにもならないようだが、なにかになっている。たくさん集まれば砂利になりますからね。それから、草なんかも、実も花も、なんのたしにもならないようなものがありますが、あれが枯れると堆肥の原料になりますからね。人間だってそういう必要の者があるんです。神様はうまくこしらえてあるんですね。

 「悪というものは必要だ」と論文書いてますが、けれども、そればかりじゃないんです。あと、ずっと読めばなるほどと分かりますがね。それから、世の中の、人間の文化が発達してくる……野蛮時代からね……その時代時代に必要なものが生まれて、役をするんですからね。地球を固める時代には、恐竜とかマンモスとかがいて、踏み固めたが、いまは必要じゃないんです。悪人だって、いままでは、必要だったんです。これからは必要はないんです。いままでは、善人と闘って、文化が進歩したんですからね。これからは必要はないんです。かえってないほうが良いくらいです。時代で違ってくるんです。宗教だって、いままでは……神道、仏教とあるが、これからはいらない、もうお役がすんだんですね。

 

〔 質問者 〕ごはんと水の関係と同じで、できあがったらいらないものを、いると思っておりますので。

【 明主様 】それを知らないから、いつまでも必要だと思ってかじりついているんですね。時代が変わっていくについてのあらゆる変化ですね。そういうことが分かれば良いですね……なくても良い。なければならない……というのをね。それが、つまり「見真実」なんです。

「『御垂示録』四号、19511210、19511101、岡田茂吉全集講話篇第四巻p255~p257」 昭和26年11月01日