御教え ちょっと話しておきますが、私がいつも言う通り、経<たて>と緯<よこ>ですね。これが、やっぱりいろいろなことに現われているんで、これは私の本にも書いてある通り、大きく世界をみると、いままでの東洋文化と西洋文化ですね。東洋文化は経で、西洋文化は緯ですね。経は、霊的……精神的で、緯は物質的……現代の科学ですね。そういうような具合で、世界というものは、最初経の東洋文化で失敗し、それから今度は緯の西洋文化で失敗した。私が現代の文明というのは、そういうわけですね。それで、経と緯の両方を結んだものが伊都能売<いづのめ>です。経にあらず、緯にあらず、これは始終言っていることです。そうすると教団もそうなっている。最初天国会が経でいった。それで、天国会の中島さんがああなったわけで、結局失敗に終わった。その次の五六七<みろく>会が緯の働きですから非常に発展した。ほとんど教団を背負って立つくらいに発展したが、これも結局渋井さんが病気になり、いろんな事件が起ったりして、失敗に終った。そうすると今度は伊都能売にならなければならない。ちょうど、その時期が来た。渋井さんの病気もほとんど治って、試験的に、今度京都のほうに行ってやってみると、立派に働けることができるまでに、立派になった。そうすると、ずいぶんひところ信者をつくった。十何万かつくったですが、それが渋井さんの病気のためや、いろんなために堅まらないで、要するにまだ「なまこ」みたいな……堅いような軟らかいょうな……ふわふわですね。そういう信者がかなりいる。それで、渋井さんとしては、そういう信者をちゃんと生かしてやることが一番手っ取り早くて良いというようなわけで、そういう方針で、これから大いにやることになった。というのは、去年の事件以来、この教団の組織を改めて、今日までやったということは、こんなに緯になるというか、ただ拡がりっぱなしになっていたのをキュッと縮めて、いったん経で締めたんですね。今度は、経と緯を結ばなければならない。それが今度渋井さんが、そうやろうという状態になったのがそれなんです。経と緯を結ぼうというんです。今度は緯が活動されると、はじめて経、緯になる。
以前は天国会と五六七会が対立していた。両方が一致しないで、一種の競争的であった。これも神様の御経綸なんです。競争させるというのは、大いに発展させる刺激になりますからね。あの当時急激に発展させるためにうまいやり方をされた。それだけでは本当のものではないから、結ばなければならないということは、これからなんです。そこで、いまの経の堅実なやり方ですね。今度は緯の軟らかい水の当たりで拡がるのと両方になる。その結果としては、天国会の系統の人のやり方は、つまり緯が足りなかった。それから五六七会のやり方は経が足りなかった。今度は両方が、そこで結合密着して伊都能売の働きになる。それがこれからです。やはり、神様の大きな経綸なんです。だから、人によっては、天国会のああいった堅苦しいやり方ではいけない。という人もあり、五六七会はただ拡げるいっぽうで、だらしがないということを、暗に私に注意めいたことを言ったことがありましたが、それはそれで良いということはないが、それをやらなければ、どうしても経綸がいかない。世界が、東洋文明が一時発展して、次に西洋文明が発展している。西洋文明の爛熟期になっている。それで、両方相一致した結びの文明……伊都能売の文明ができるんです。つまり、メシヤ教はその型をやるんですね。大本教のお筆先にある「大本は世界の型であるから、この中を見ておれば、世界の事は何うなるか分るぞよ」ということは、私は良くみてましたから、よく分かる。大本教の最後の弾圧が昭和一〇年一二月八日で、それから六年目の一二月八日に、日本が太平洋戦争を始めた。ちょうど六年先の同月同日になる。ここに神様の経綸が非常にある。やっぱり、五六七になるわけですね。三が二つで五六七になり ますから、やはり五六七の経綸です。そういうようないろんなことがありますが、大本は、つまりメシヤ教の準備ですね。準備のために現われたんですね。それだからして、今度私のほう……メシヤ教がやることがやがて世界に写るわけです。これが大きな、神様の経綸というのは、そういう意味もあるんです。ですから、人間が、ああだこうだと、平気で批評なんか決してできるものではない。お筆先に「神界が分らないと思う人は分りたるのであるぞよ」とある。分かったというのは、分からない。分からないというのは、分かったという意味ですね。それからまた、お筆先にこうある「神の奥に神があり、その奥に奥のある仕組であるぞよ」というのがあるが、うまく言ってある。そういうわけで、神様の御経綸は深いんですからね。だんだん時日が経つに従って分かります。あれは、あれで良いんだ。あれが、この準備だとね。ただ上っ面を見て、ああだこうだと言うのは、上っ面の……ただ上の上です。こういうことを話しているときりがないが、そういうわけですから、みなさんも、これからの教団の動きを見ていくと良く分かるはずです。