これは、大宅壮一という、あの人は別に問題にはならないですが、霊写真について、怪しからん事を書いてありましたから、信者でも見たら首をかしげる人があるかもしれないので、そういったことを書いたんです。
(御論文「大宅壮一という人」朗読)〔「著述篇」第九巻p561~562頁〕
(御論文「祖霊祭りに就ての注意」およびお蔭話朗読)〔「著述篇」補巻二、三九二―三九四頁〕
よく、宗教を替わった場合に、特に神道ですが、神道に祀るのが良いとして、また先生にもそういうふうに勧められますが、それが、祖霊にとっては非常に有難迷惑なんです。それを霊が出て言うんですから、一番はっきりしているんですが、以前から私が、やたらに改宗してはいけない。一軒の家族でも、揃って改宗することはめったにないんですからね。ところが、やっぱり祖霊さんでも同じことで、天理教の信者になっても、俺は嫌だ。昔からの仏界のほうが良いという祖霊のほうが多いですから、それを気づかせようと思って、天理教に入ってから、重い病気になったり、苦しんだりするというのは、そういうわけなんです。またキリスト教に入って先祖を祀らなくても良いと、祖霊を祀るのを止めますが、祖霊は悲しんだり怒ったりします。ところがメシヤ教は違います。信者になったというだけでも喜びますから、不賛成という者はないんです。これは霊が憑ってよく言います。それでも、中にはこういうのがあります。御嶽教、豊川さんと、いろんなのがありますが、そういうので、役員になったりしたのが、霊界に行ったのは、メシヤ教は良い宗教には違いないが、癪に障ってしようがない。邪魔してやれというのがいる。また狐が憑って邪魔する場合もありますからね。すぐに祀り替えや、そういうことはしないようにして、以前通り祀ってやって、何年か経ってから、メシヤ教が分かってくるから、ぜひ祀られたいという気分が起ってきますから、これが一番安全なんです。稲荷なんかそうですね。狐ですから、悪いほうが多いが、メシヤ教というと、とんでもない。邪魔してやれというのがいる。この間の『地上天国』の質問応答に、そういうのがありました。これは、先生が知らないんです が、要するに指導者の失敗ですね。光明如来様をお祀りするや否やすぐに処分してしまった。それで狐が怒って……というのがあった。それで、処理の仕方が早かった。ということを答えた。そんなわけで祖霊さんを祀り替えるというときも、慎重にしなければならないという生きた実例なんです。それで、いずれメシヤ教のほうの祀り方……形式をこしらえますが、いまのところは、こっちのほうで、そういう形式になってないんだから、いばって言えませんが、そういう点はメシヤ会館ができてからです。本部の形が一通りできてから、そういう冠婚葬祭のやり方について考えます。やはり順序からいって、本部の形ができてからでないと、順序が違うんです。それで、それまでは待ってもらうとして、いまのお蔭話も、祖霊さんについてのこういう実例を見ると、たいへん参考になりますから、それで読んだのです。