(御論文「大宅壮一という人」朗読)〔「著述篇」第九巻五六一-五六二頁〕
これは、ちょっとお笑い草に書いた。大宅壮一という人が、『日々新聞』に三日間続けて……まあ悪口ですね……書いてあった。この人は昔から、私を親の仇のように思って、よくやるんですが、それについて少しばかり書いた。今度の新聞に出そうと思う。いろいろとメシヤ教を邪魔するんですね。ところが御本人ではないんです。つまり邪神ですね。邪神界では、私というのが出たので恐がって、なんとかしてやっつけなければならないというので、あらゆる計画をして努力しているんです。こういうのは、邪神の中のインテリですね。それが憑いてゆすぶるんです。お前、こういうふうに書け、岡田というのはけしからん。こうだ。こうしなければいけないと言って、しきりにその人の心を動かす。そういうことは、邪神の少し力のあるのに遭ったら一溜まりもないんですからね。二カ月ばかり前に書いたのを名誉毀損の訴えをしたが、それ以来、『栄光』新聞も配っている。それも、読んだか読まないんだか分からないが、なにしろ恐ろしくて読めないんですね。邪神は、あれを読まれるのが恐いので、読ませないようにする。しかし、妻君だとか読みますから、だんだん心が動くのと、新聞が家にあると、新聞から光が出ますから、その家がだんだん明るくなりますから、それに反抗的によけいこっちに妨害しようというんです。今度の現われもそうです。しかし、結局だんだん改心して頭を下げるか、結局お陀仏になって、あの世に行くか、どっちかです。
裁判官、検事、警察官などにも、半年ほど前から『栄光』新聞をやってますが、これも例の邪神が抑えて放さないから、まだまだ改心するどころではない。ますます悪を逞しくしている。なにしろ、邪神のほうではたいへんなんですからね。そういうことをいま書いているが、これは非常におもしろい記事ですが、この次あたりにね。邪神のどんなやつでも私の側にも寄れませんからね。そこで、私の周囲の者にですね。これはちょいちょいやるが、それも長くは憑けない。たいてい数分くらいですね。何時間も憑けない。これは良く判るので……なにか、お祭りがあるとか、重要な人と面会するとき、私に腹を立たせようというんです。自分には分からないんですが、邪神がやるんです。それ以上は憑けないんです。それから、信者の人でも、ちゃんと信仰の固まった人にはどうすることもできないから、新しくやってくる人とかを邪魔しようとして、あの手この手でやるんです。だから、信仰に入ろうという人が入らなかったり、来る人が来なかったりするんです。昔は、邪神のほうもだいぶ強かったが、このごろは年々弱っている。だから信者も増えていくんですがね。
戦争も同じことです。いまアメリカとソ連が戦争してますが、あれと同じです。
そういうわけで、邪神が一番眼をつけるのが官憲、役人と新聞ですね。これは、邪神の頭目がみんなそうです。頭目が憑って……なにしろ、いま社会で権力を持っているのは役人と新聞ですね。これが一番の権力を持っている。これの勢力を、頭目は始終狙っている。そうしてメシヤ教をやっつけよう、やっつけようと狙っている。しかし今日は民主主義政治になっているので、めちゃくちゃなことはできない。しかし去年の事件のように拷問のようなことをやったんですね。けれども、それが現在の状態ですからね。勝ったり負けたりしているうちに、だんだん神様のほうが勝っていくんです。つまり、神様と悪魔の闘いですね。私は神の総大将になっている。また、悪魔の総大将がありますからね。これは以前から始終狙っている。そのやり口を始終見ていると、おもしろいものです。このごろはだいぶ神様が勝っちゃったんでね。悪魔のほうで教団を狙って、ずいぶん入り込んで来ました……昨年の事件を契機として……邪神のほうはほとんどいまは逃げちゃったり、窒息したりした。そんなわけで、だいぶ楽になりました。結局、こっちが全部勝っちゃったのが五六七の世なんです。もう一息というところですね。まだ、邪神のほうの小童がやっているのがね……先にもそれだけの力があるんですね。それで、邪神が本当に悪いことを思わせるのは、そう恐くはないが善の仮面を被るのは恐いんですね。新宗教は全部インチキだ。戦後の社会に乗じてうまく瞞して……金を儲けてやっている。その親玉がメシヤ教で、その親玉が岡田茂吉だ。と、邪神が思わせるんです。それで、そうかな……と思ってやるんです。大宅壮一というのは、新宗教というのは、敵みたいに思って書いていますが、かわいそうなものですね。いずれ地獄の苦しみをしなければならないがね。