昭和二十六年十月八日 『御垂示録』三号 (8)

〔 質問者 〕二カ月前から体が悪く、四人の医師にかけて病名は判らず、注射を打ち、近くで浄霊のことを聞き、浄霊をいただいてより少し楽になり、娘が八月二三日に入信し一生懸命に御浄霊し、責任教師も毎日ではありませんが、浄霊しており、一時良かったのですが、腹部が膨って以来、反対する親戚の者が医師を連れてきて、診せたそうですが、あとで水を取らなければならないが、取っても命は責任持てないと言ったそうです。九月二七日御神体御奉斎。その晩は喜んでおりましたが、二九日の午後帰幽し、医師が来て、御神体を焼かなければ診断書を書かないと言うので、申し訳ないことですが、反対者が焼きました。

 神様をお祀りするのが早過ぎるんです。病気が治ってからお祀りするんです。まだ、治るか治らないか判らないうちに、お祀りさせるのは、教会の先生が間違っている。つまり、原則としては病気が治ってありがたい。だから、今後病気にならないように、また人を助けたい、というのでお祀りするんです。お祀りしたら早く治るという考え方は本当じゃない。御神体を治療機械みたいに思ってはね。だからお祀りするのは慎重にしなければならない、と言うんで、神様が焼かしたんです。焼く人が正当なんです。だから、礼に行って良い。

  

〔 質問者 〕診断書は滞りなく取れました。

 それで良かったんです。こういうことになるんですね。神様をお祀りまでして、助かるかと思ったら死んじゃった。神様はいい加減なものだと、信用を毀つける。そうすると、結局御神業のお邪魔になる。たまには、早くお祀りしてお蔭をいただくことがあるが、それはこういうふうに考える。命にかかわりのない病気なら早くても良いが、命にかかわるのは絶対に早くしてはいけない。先にもよく話したがね。そういうことなんです。実はそういうものなんです。だから命にかかわる病気なら、治ってこれなら安心というときにお祀りする。そうすると、親類でも賛成して邪魔しないんですね。もし邪魔するとしたら、先が悪いから、それは神様に、それだけの成敗をされる。

「『御垂示録』三号、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年10月08日