〔 質問者 〕このごろ病気になって医者に行くと、救世教に行こうかと言っても反対しないで、むしろ推奨するようでございます。いままでは、ひたむきに反対していたのが、自分の手に負えないのは、よろしいと言うそうです。
そうです。長い間一生懸命に金を使っているでしょう。それで治らない場合に、先生どうしたら良いでしょう、というときに、逃げ場がないので、逃げ場として……責任解除として言う奴がいます。中には良心的な医者もあります。助けてやりたいという気持ちのもおりますよ。結局、だんだん世の中に分かる人が増えていくというわけですね。そうすると、空気が違ってくる。
それから、こういうことがたいへんある。去年の事件で、あのくらいやられたら、たいていぶっつぶれちゃう。ところが相変わらず、びくともしないでやっている。そうすると、馬鹿にしたものではない。そうとうに値打ちのあるもの……権威のあるものだ、と、見直すという空気もだいぶありますね。長い間の例から言っても、たいていな新宗教であれくらいやられて、新聞にもやられたら、萎びるか、復活するのに年数がかかる。ところが、びくともしないで、むしろ発展の気勢さえ見える。そこで、考え直すんですね。だから、去年の秋に大祭をやったのも良かったです。謹慎するとか、萎びるとかすると、やっぱり臭いところがあるのかな……と思いますからね。平気でいると、そんなに悪いことはないんだ、と言うようになりますからね。また、事実そうなんだからね。
「『御垂示録』三号、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年10月05日