(御論文「弥勒三会」朗読)
御教え ここにはわざと書かなかったが、弥勒三会というのは、弥勒が三人会うということで、弥勒というのは、釈迦、阿弥陀、観音ですからね。それで、大本教の教祖の出口なおという方は釈迦になる。つまり稚姫君尊<わかひめぎみのみこと>という神様ですね。阿弥陀は法身<ほつしん>の弥勒で、出口王仁三郎先生ですね。聖師様ですね。それで、私が応身<おうしん>の弥勒で、ちょうど三人が会ったわけですね。二〇世紀の今日にですね。これが弥勒三会ですね、弥勒三会がすむと、いよいよ五六七の世が始まることになる。これは、大本教でも……だれも知らない。教祖様も聖師様も知らなかったかもしれないですね。
それについて……こういうわけなんです。すべて、神様は型でやるからして、いろいろな型がある。ちょうど鋳物を鋳るみたいです。世界の型をやることは、最初は真ん中ですから、真ん中にちょっと神様がやられる。いまのソ連とアメリカですね。世界の二大勢力が、いまのところ冷たい戦争をしている……ちょっとあたたかいのは朝鮮だけですがね。そうすると、二大勢力は、最初小さい型があり、それが変化すると、世界的になる。その型を私は神様から見せてもらうばかりでなく、いろんなことをやるんです。ですから、小さいことが非常に大きいことになっていくんです。信者さんが、一人ひとりいますが、この中で、一人で何百万、何千万の型をやっている人がいる。私が最初始めたとき、数人の型が集まって、その人たちがある民族を代表し、一国を代表し、地方を代表する……何億、何千万の代表をしている。だから、以前に私は、イギリスの型、インドの型とよく言ったものです。その人を救うと、その系統の人の数が、ずっと多くなって救われる。その次に、そのまた一人ひとりが救われる。そういうふうに世界はできている。神様の経綸というものは、そういうふうにやっていくものです。だから、非常に神秘でおもしろいものですね。東京で最初にやり始める時分には丸の内ですね。丸の内の中央亭という西洋料理屋があるが、私があそこで始終やっていた。あれが、霊界でいうと中心になるんです。だから、名前で言っても「マル」の「ウチ」の中央亭でしょう。ですから、ここでしゃべったことは……言霊で、言霊界に一つの波紋を起すんです。言霊が世界に拡がって、それが具体化してくる。だから、そのときに話した通りに実現しつつあるんです。ですから、いま私がやっていることも、もっとだんだん拡がっていって、結局世界的に拡がる。そうして、それが具体化してくる。丸の内でやる前にも、小さくそういうことをやっている。そういうことは非常に神秘なんです。
で、いま言う「弥勒三会」ということも、大本教というのは、その型をやっているんです。お筆先に「大本教とは世界の型であるから、この中を見て居れば世界は何うなるかと言う事は、見当がつくぞよ」というのがある。教祖というのは厳格な……経<たて>なんです。東洋は精神文明なんです。ですから、始終ちゃんと座っておられて、実に厳格そのものなんですね。だから、みんなその行いには感心するんです。お筆先に「なおは経であるから真直であるぞよ」とある。それに引き替え、聖師様は緯<よこ>ですから、年中寝ているんです。ですから、大本教では聖師様の部屋は年中蒲団敷いて、枕をしている。で、そこに入るとすぐに寝てしまう。どこの部屋にも蒲団敷いているんです。それで、警察が来たとき、出口というのは、変な……信者の女をそこに寝かせてけしからん、と、変に取られたんですね。『霊界物語』という、長い著述をしたが、寝ながらしたんです。教祖様は経、聖師様は緯なんですからね。東洋は経、西洋は緯です。ところが、教祖様はそういった厳格なためにうまくいかない点がいろいろあった。それで、聖師様が出ると、緯ですから、非常に発展したが、そのために非常に失敗した。そういうわけで、経でいけない、緯でいけない。経にあらず、緯にあらず。これが伊都能売になる。五は経で、三は緯ですからね。そこで、教祖さんは経でいけなかったし、聖師さんは緯でいけなかった。その中間ですね。経であり、緯であり。経にあらず、緯にあらず。経緯結んだ真ん中ですね。これが伊都能売です。私が伊都能売で、伊都能売が応身弥勒です。応身弥勒が観音様です。そこで、観音さんというのは男であり、女であり。男にあらず、女にあらずというんです。応身の弥勒というのは、いかなることでも自由自在……千変万化ですね。
それが分かると、実に良く解る。先方が堅苦しかったら、堅く。女なら柔らかく。頑固なら頑固に……私はそういうように性格に変化があるので、変だなと思っていたが、応身の弥勒の働きが判ると、良く分かります。ですからメシヤ教のあらゆることが……決してなんにでも捉われない。宗教のようなところもあるし、それからいま私は鉱山をやっているが、金儲けもあるし、芸術もあるし、なんでもあるんですね。いままでは、宗教といえば馬鹿に堅苦しくなっていた。これも伊都能売式なんです。あらゆる、いろんな様相を備えているんですね。これによって初めて、一般人類が救われる。民族にもいろいろありますからね。ですから、あらゆる病気……肉体の病気も精神の病気も……それから貧乏、経済に関係しますが、経済も政治もあります。政治のことは触れてはいけないと、法務庁から言ってきているので言わないが、本当は言いたい説もあります。無論、論文なんかも私は始終書いている。いまは伊都能売の働きなんです。これが本当のものです。真理ですね。ですから常識を尊ぶ。常識というのは、偏らない考え方ですからね。ですから、宗教的に非常に厳格なところもあるし、また非常にくだけた点もある。ということも、そういうことなんです。弥勒三会というのは、つまりそういうことなんで、つまり経で失敗し、経で失敗し。そうして経にあらず緯にあらずという……一つの思想ですね。それが出て初めて人類は本当のことを知るんですね。ですから、どうしてもこの考え方……やり方によって本当の世界が生まれるというわけです。それで、本当の世界というのは、どういうものかというと、こういうものだ。というのがいま書いている『文明の創造』なんです。だから、いま言ったことが本当ですからね。それが、本当に腹の底に分かれば、いろんなことに対する考え方というものが、まず正しく、間違いなくいくわけです。