昭和二十六年九月二十四日  秋期大祭御教え(1)

 ちょうど、去年の第一回のお祭りより、約倍くらい来る人が多いそうです。なんだかんだいろんな圧迫をされながらも、ずんずん発展しつつあるわけですね。去年はあの事件の後だったので、よほど……押さえつけられたような感じがしたが、今年はよほど明るくなったような気分がするんです。それで、神仙郷がご覧の通りですね。美術館も建築の運びになったわけです。それと、裏のほうにある庭園も、とりかかったわけです。これは来年の夏までに両方とも仕上がるつもりです。そうして、裏のほうは「もみじ」を植えるつもりなんです。それから、水の流れをちゃんと良くして、両岸に「もみじ」を植えて秋という感じを出すんです。萩があって、「もみじ」があることになる。それが紅葉したらきれいだろうと思います。今年は紅葉が非常に後れています。いまごろは、ふつう三分通りくらいは紅葉するんです。なるべく紅葉するような「もみじ」を見つけてあります。それから美術館に並べるものですが、少なくとも日本一の美術館ができるつもりです。ほうぼうの美術館を調べてみたが、なるほど一種類のものは良く集めているが、全般的に集めているのはほとんどないようです。それを具体的に言うと、博物館なんか……考古学的なものは良く集めてありますけれど、美術的に見てこれはと言うのはごく少ないんです。仮に、光琳なら光琳、雪舟なら雪舟、の本物には違いないが、その中のごく低いものですね。見てもたいして感じないものが多いんですね。私の方針は、だいたい審美眼から見て、価値のあるもの、すなわちその時代の名人の傑作を集めるつもりです。急に集めるということはできないから、どこにどういうものがあるということを調べてあります。そういうものを出品させるんですね。出品させる方法というのもいろいろあるんです。その方法も研究してだいぶ解ってきました。出品させるように了解させつつある。そういうような、人間や品物は神様がちゃんと連れてくるんです。大名とか、財閥とかありますが、先方が承知するんです。そういうようなことも神様が遺憾なくやっているのでおもしろいですね。それから、東京では根津美術館ですね。春秋二回ありますが、周銅はすばらしいものです。あとは別に、これはと言うのはないですね。通り一遍ものですね。美術館としては根津と大倉集古館には行ってみたが、たいしたことはない。あとは大阪の白鶴ですが、春に行ったとき見たが、支那陶器はたいしたものがあります。これも交渉した結果先方も了解した。物によっては、先方がいくらかお別けしてもいいという希望があるのですから、出品するのに借りるというのは、もう承知するに違いない。大阪では、白鶴だけですね。あとは、京都、大阪の博物館です。京都は、この春行ってみたがたいしたことはない。今度大阪を見ることにしている。あとは岡山県の大原美術館。それから今度普請している、石橋ビルです。大原もあるにはあるが、西洋の油絵が主なんです。日本、支那のはごくわずからしい。それから大阪にも、近畿鉄道が美術館を造ろうとしている。いままで買い溜めているのを調べてみたが、これは日本のものばかりで、最近雑誌を発行しましたが、これを見てもたいしたことはないらしいですね。と言うのは、雑誌に紹介する絵が、自分のものと、他の有名なものが写してあります。そういうようなわけで、日本における美術館らしい美術館はないと言っていい。私の計画は、箱根の美術館は日本一のものを造ろうと思っている。それから、熱海の美術館は世界一の美術館を造ろうと思う。大きなことを言うようだが、可能性はある。外国としてはワシントンとボストンに美術館があり、ロンドンに博物館があり、世界的なものですね。フランスは分かりません。日本にカタログが来てますが、雑誌や人の話でもそうたいしたことはない。だいたい支那美術はありますが……ロンドン博物館は支那陶器ですが、これはほとんど世界一と言っても良いくらいのものがあります。アメリカのほうは周銅ですね。これは世界一です。日本のものは見るべきものはない。支那の絵画もないですね。

 熱海のほうも、土地のほうは一部は今年いっぱいにできるわけで、ほとんどできているでしょう。これから木を植えるんですが、真ん中の山はツツジ山にしようと思っている。ツツジを二〇〇〇本植えるんです。これは当然日本一ですね。そんな山はないですからね。有名な館林のツツジというのは、大きなツツジで、人間の背より大きい。これは野原に植えてある。こっちはお盆の逆立ちをしたような所に植える。これは三年くらい前に、芦ノ湖の傍に岩崎の別荘があるが、そこにあった。そのときにはツツジが一〇〇〇本ばかり植えてあるということで、なんだか欲しいような気がして買ったんですが、やっぱり神様に知らされたんです。それを抜いて見ると、二本三本ずつ寄せ植えになってますから二、三千本くらいある。そういうように、神様はちゃんと準備をされるんだが、人間のほうは、そのときの調子でひょいひょいとやる。それから桜を一〇〇〇本植えるつもりです。吉野山をこっちに移したようなものです。吉野山より地域が非常に狭いから、こみ合うので美しいですね。それから、会館も来年初めに始めるつもりです。そんなにおおげさにして金はどうなるかと言うだろうが、それは神様がやるに違いないから、万事神様にお任せして、仕事だけをしていれば良い。

 いつも言う、病貧争絶無の世界ですね。病気のほうはふだんから始終言ってますから、いま説明しなくても分かっているに違いないけれど、貧ですね。貧は病気が一番の原因になっています。あとは食糧ですね。食糧は自然農法の原理をいろいろ知らしてあります。それで、今年の収穫から……無論年々良くなるんですから、今年はすばらしい成績になるだろうと思います。その例を材料にして、論文と両方で、本をこしらえて、それによって大々的に宣伝しようと思う。無論地方地方で講演会、座談会をやるつもりです。いまの自然農法の本は、日本中の農会とか、そういった方面に、何千という数があるそうですから……それに、無料で配布しようと思う。そうして大いに宣伝しようと思っている。というのは、なにしろ、いま二〇〇〇万石足りないんですからね。これは金にしてもたいへんです。少なくとも一千億円以上ですね。だから、これが日本で自給できたらたいへんな利益になる。自然農法で、五年続けたら、五割増産は大丈夫です。今年は六四〇〇万石だと言うんですね。それが五割増産だと九六〇〇万石になる。人口は八〇〇〇万人ですから、一〇〇〇万石以上あまるわけですから、それを輸出するか、他の原料に使えば良い。たいへんなものです。それで肥料はいらないし、虫害もずっと少なくなるし、風水の被害もずっと減ります。そういうことを、分かっていながら実行しないということは、実に間違っている。ちゃんと、神様は日本を救うべく教えられたのだから、それを力の限り弘めて、まず日本を救わなければならない。しかも農民の現在は……日本の人口の七、八割は農民ですから……その大部分の農民が、近ごろ非常に金に困っている。この間も、預金……貨幣ですね。その分布状態の調査をみると、いま農民階級は五番目かです。終戦後は一番目にあったが、いまはかえって商工業のほうが、ずっと良くなっている。だから、よほど金に苦しんでいるわけですね。そういう意味において、一番救うべき階級は農民ですね。工業は朝鮮問題のためにかえってだいぶ良くなってきてますね。商工業のほうは良いですが、いま一番困っているのは農民です。これを早く知らして、農民の経済……懐を楽にするということも、一日も早くしなければならない。という意味で、大いに宣伝しなければならない。幸いなことにはアメリカのほうでも……これは新聞のほうでも出しましたが……酪農農場のロデールという人から、今度返事が来て、日本に自分の説の共鳴者ができたということは大いに嬉しい。これから提携してやりたい。という手紙が二、三日前に来たが、結局世界的に、こういうことが分かってくる。

 それから「病貧争」の「争」ですが……戦争ですね。第三次戦争、これをいまは引き延ばしているが、一生懸命に、アメリカを主にしてほうぼうで軍備をして……日本なんかでも、今度は再軍備を、どうしてもしなければならないことになるでしょうが……そんなような具合で、いま一番困っているのは戦争ですね。これも毎日ラジオ、新聞で言ってます。中共軍と連合軍との停戦協定……これはまるっきり虚々実々、どういう了簡でやっているか分からない。引き延ばし政策……つまり時を稼ぐんですね。ソ連のほうでは時を稼ぐし、アメリカのほうでも時を稼いでいる。両方の意見が一致しているから、ああいうような生ぬるいことをやっている。これではなかなか、協定は結ばれるはずがない。根本的に違うんだからね。そうすると、両方で時を稼いで、軍備を充分にしているのだから……以前にも書いたが……勃発すれば、延びたことは大きな戦争になるわけですね。そこで、いま平和をつくろうとしているやり方が、戦争を大きくし、戦争を延ばすという話で、根本的なことではないですね。いまの文明というのは、みんなそうです。ちょうど、医学で、浄化作用が起ると止めて、一時苦痛を緩和する。それと戦争が同じですね。戦争はつらいからというのは、苦痛はつらいから薬で押さえつけるというようなやり方ですね。それから犯罪者ですね。悪い者ができるというのは、魂が悪いことに気がつかないで、法律やなにかで、押さえつける。みんな共通したものです。医学でも、犯罪でも、戦争でも、肝腎な中味が分からない。だから、いつまで経っても苦しんでいるんです。その中で、戦争ですが……いままでは言わなかったが、いまは知っておく必要がありますから。

(御論文「第三次戦争は免れる事が出来る」朗読)〔「著述篇」第九巻五二一-五二四頁〕

 最近聞いた話ですが、アメリカ人……進駐軍に関係してますが、その人たちが七、八人でメシヤ教研究会のようなものを作って、『栄光』とか『地上天国』とかを飜訳して読んでいるんだそうです。それは共鳴しているんですね。それですから、そのためにこの論文を書いてみたんです。つまり、こういうことも飜訳されるだろうと思います。こういうことは、むしろ外国人のほうに、よけい知らせたい論文です。いずれは、戦争が延びるとすれば、こういうのは、飜訳して世界各国に宣伝するようになるだろうと思います。とにかく医学でも犯罪でも、戦争でも、内面的に気がつかない。気がつかないで、そうして外部的にばかりやっている。それも、無論必要です。原子爆弾やら新しい兵器を発明して対抗するのは結構ですが、それは、ある時期まで、永遠に戦争をなくするまでにはいかない。いっぽうそういうことにすばらしい軍備を調えるとともに、いっぽうではこういった、宗教的の……要するに霊的のですね、魂を改善するということもやらなければならない。むしろ、このほうが肝腎ですね。戦争をなくすることですからね。その一歩としての論文なんです。結局、病貧争を絶無にするという、その想念部になるわけですね。

 例の『文明の創造』ですが、だいたい「科学篇」はできたんです。「科学篇」と言ったところで、医学です。あとの科学は、世の中でさかんに出てますから必要はない。科学の中で、一番の誤りは医学ですから、これが肝腎で、これはだいたいできた。いま「宗教篇」を書いてますが、これができてから「天国篇」ですね。五六七の世の状態ですね。これは非常に興味がある。「宗教篇」の中にもあると思います。仏教の起源ですが、仏教は日本から出たんです。日本の神様がインドに行ってできたんです。

「『御教え集』二号、岡田茂吉全集講話篇第四巻p538」 昭和26年09月24日