昭和二十六年九月十八日 『御教え集』二号 (2)

御伺い 私の妻は九月九、一〇、一一日と毎晩一二時ごろより急に結核的症状を起し、いかに浄霊してもあまり効果なく、夜の明けるとともに平常に戻りました。特に一一日のごときは喉頭結核的症状となり、何回も息が止まるかと思ったこともありました。そのときふと頭に浮かんだことは『明日の医術』第三篇中に明主様の奥様が、突然結核症状となられ、結局霊的であったとのこと、さっそく夜が明けてから妻を調べてみましたが、なかなか口がきけません。奉仕者中に霊媒的素質のある者がおりますので、その者に呼び出してみましたところ、やはり霊的にて、妻の三歳のとき、実母が他家に再婚して、その家で喉頭結核で死亡していることが分かりました。霊の希望としては、他家に再婚している関係上、妻の実家の祖霊の中に入れぬため、祖霊様にお願いしてほしいとのことでした。さっそく紙片に俗名を書き大光明如来様に御守護をお願いし、仏壇に入れてお供えものをし、善言讃詞、御讃歌を奏げて祖霊さんにお願いしましたところ、さっそく御礼に出て、今日ただいま離れると申しました。すると家内もケロリとして平常になりました。右の場合、霊的と感じたら霊媒などを使って呼び出すことはよろしいことでしょうか。また、気がつかずにいた場合はいかなる結果になりましょうか。なお当時出る痰は憑依霊の曇りの物質化でしょうか。本人のも出るものでしょうか。

御垂示 良かったですね。これは霊媒を使ってもかまいません。結構です。霊媒でも悪いんじゃない。良いことができれば結構です。この霊が早く救われますからね。そうすると、霊媒は良いことをしたことになる。ものは使いようですね。悪いことに使えば悪いし、良いことに使えば良いんです。霊媒がいないで霊的と思ったときには「私が言ったことが合っていれば、首を縦に振って、違っていたら横に振ってください」と言う。そうすれば、口のきけない霊でも、それだけはできるはずです。あなたは女ですか、男ですかと聞く。また最近亡くなったのですか、古いときにかと言う。またそれなら何年前ですか、と言うと、だいたい見当がつきます。

 この質問のははっきりしてます。肺病で死んだので……祀ってもらいたいとすると、どこに祀ったら良いかと、だんだんやっていると分かる。これは幸いに霊媒がいたから良かった。病人の当人の状態になるんです。痰は憑霊の曇りです。だから憑霊も救われますからね。しかし、痰はたくさんあるから、少しくらい出てもたいしたことはない。その人の痰もいくらか出るがたいしたことはない。こういうのはお医者にかかると、分からないからさんざんやられて、霊のほうも離れないですね。分からせるのが目的ですからね。ところが、霊はこれは駄目だ……どうも分からないということが分かると、ある程度離れますが、肉体はもう駄目です。その身体を医者が結核の二期とか三期とかになっているから、安静にしなければならない……注射をしなければならないと言う。霊が離れても、医者につかまった以上死ぬまでやられる。これが恐いですね。霊的に救われるとたいしたものです。霊が憑ると急激に重症になります。霊は死ぬほどの重症ですからね。同じ苦しみになる。ふだん達者でいても、急に悪くなって、間もなく死ぬというのがあります。こういうのが多いです。

「『御教え集』二号、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年09月18日