〔 質問者 〕以前霊憑りで、関ケ原の戦いで、逃げ込んで匿まわれていたのに、親父が訴えたため、処刑にされ、霊が出て跡取りができたら取り殺すと言っております。
そういう執着は何百年も祟ってますからね。まあ三〇〇年くらいは祟ってますからね。
とにかく来年からは本当になりますね。箱根が完成しなければね。ここが完成すると、霊界に一つの中心ができたわけになる。神様には順序があるからね。だから無理が一番いけない。それから、人間が計画を立てて、ここをやろうと言うとき、為悪いのは止せということです。ところが、最初に目的を立てると、ついそこをやりたがる。いままではそうだが、昼の世界になると違う。だから、骨の折れることなんかはいけない。楽な所が良い。そしておもしろい所は良い。嫌だと思う所はいけない。嫌だと思った所は止せということです。それこそ、歌でも唄っているようなことでなければいけないですよ。だから、私でもちょっと厄介だなと思うと諦めて、時日を待つんです。そうして、時節が来ると、きっとうまくいく。土地なんかもそうですが、熱海の地上天国の所にも、ずっと以前から欲しくてしようがない所があり、交渉してみるがまだ早い。いくども交渉したがね。放任しておいたら先方から、どうかと言ってくる。そうするとこっちは気が強いからね。勝手なことを言える。神様はうまいことをするんです。相手の土地を袋の鼠にしてしまった。そうすると、他に売れっこないんです。結局メシヤ教に買ってもらうよりしようがない。それで、買ってくれと言ってきたが、こっちが想像したよりか安い値になった。そういうわけですからね。神様のほうは、ちょっとやってみていけなければ手を引いて時節を待つんです。そうすると、ちゃんとうまくやってくれますからね。とてもひどいと思ったり、とても困難と思っても、ほったらかしておくとあんがい楽にいくものです。実に、言うに言われないおもしろさがありますね。私なんか、美術品を欲しいなと思うんですが、思っているだけで良い。ふと転がり込んでくる。これが如意宝珠の働きなんです。「如意」というのは「意の如く」というんですからね。すべて思う通りに行くんですね。ところでおもしろいことがありました。昔ある信者に額を書いてやった。「如意」と書いてやったんですが、すると落としてしまった。私が書いたものを落とすことがあるかなと思っていると、ふつうの人のに「如意」とは言わないんです。だからそれっきり「如意」という字は書かない。が、邪神のほうがまだ勢力があるから、「如意」を邪魔する。だが、もう「如意」の働きになる。ただ、いまのところは「如意」が暇がかかるんです。
〔 質問者 〕早くなりますと恐くなります。
悪人に言わせると恐くなるが、善人は嬉しいんです。
この前に言ったが、寄書ですね。論文書くのに、みんな同じような論文の書き方です。それで興味がないから、なるべく多方面に……お蔭話や奇蹟は結構ですが、その他は、自分の実際の経験とか、興味あることを混ぜてもらうと良いと思うから、そのつもりで。
それから座談会がないですが、座談会をやると良いですね。この間も言ったが、奇蹟の座談会ですね。お互いに奇蹟を語り合うということですね。