昭和二十六年九月五日 『御教え集』二号 (10)

御教え 『文明の創造』の医学だけはだいたいできたわけですが、今度は「宗教篇」に入ってきたんです。「科学篇」、「宗教篇」と「天国篇」ですね。で、「宗教篇」もふつうのお説教的な説き方ではおもしろくもないし、分かるのに手間がかかるので、できるだけ分かりやすく興味のあるように書いたんですが、最初は霊的の病気ですね。それを説いて、だんだん宗教的にやっていって、そうしてだんだん深く徹底するように書こうと思っている。

(御論文「精神病と癲癇」朗読)〔「著述篇」第一〇巻二六九-二七八頁〕

 人という字の「ノ」ですね。これは天から神の分霊が降った形です。下でつっかえ棒をしているのは、下から支えている。上は神から来たので、下は獣から来たのが支えている。これが善と悪で……これが人になっていれば間違いない。悪は横棒です。物質欲……体欲です。悪がなければ人間は活動力がなくなる。そこでこれが勝つと間違う。これが勝つと「×」になる。「×」は物を消すのですからね。消すとすれば滅びてしまう。だから「×」にならないように……「人」の形になっていれば間違いないのですから、これ「ノ」の上を抜かないようにするんですね。しかしこれ「ζ」がなかったらたいへんなんです。仏教や、キリスト教なんかで禁欲主義……仏教では山に篭もったりするんですね。

 これ「ノ」は善です。ところが「ζ」の悪のほうが勝つから「×」になる。文字は神様がつくったので、実に良くできている。ついでだから言いますが、「正」という字の上下に棒があるが、この上下を上、下で押えている。上下を止めてある。上と下があって、それを止めてある。つまり偏ることがいけないので、両方同じでもいけない。つまり善のほうが少しでも勝っているんです。

 この間女の作家で、大庭さち子が来ましたが、男女同権論の話が出て、先に「男女合権論」を書きましたが、結局男が五分五厘で、女が四分五厘なら、それで良い。五厘違えば良いです。しかし、それに非常に攻撃をしましたがね。ひどいことには女のほうが上だと言うのです。上か下か……第一人間の根本の姿を考えてみると良い。第一人間は、最初は腹に宿るんです。その種はどこから来るかと言うと、それは男の種です。女はそれを養育するんだから、根本は男にある。話をして非常におもしろかったですがね。つまり、それさえ心得ていれば良いわけですね。いまの意味はそれを書いたんです。

 ここ(御論文)にも私の書いたり説いたりしたことがそうとうあるが、だいたい第三者に見せるのですからやむを得ない。つまり宗教ですね。宗教の説き方はこういうふうに説いて行くと良い。飽きずに読めます。一番、だれにも読みやすい。手近な例を説明して行きますから分かりやすい。

 こういう説き方でだんだん説いていくつもりです。そうして初めて、人間は悪いことをしてはいけないということが分かってくる。いままでの『バイブル』なんか……「汝こうするな」「汝なにせよ」と言ったところでピンとこない。こういう意味も書いてあります。要するに、新しい宗教の説き方で、それをだんだん説いていくうちに神様ということになる。神様を科学的に説明するんです。これも非常に大胆な、新しい試みです。驚くだろうと思ってます。いままで神様なんてことは、みんな恐れ戦慄いて触れることを避けているが、無理もない。それを書く人のほうが神様より下だから恐いが、私の場合は、私より上の神様はないんだから、大いに知らせるんです。またそれでなければ五六七の世はできないんです。「見真実」というのは、一人の専売ではなくて、みんな「見真実」になれば、悪い……間違ったことはなくなる。これも時節です、いままではそういうことができないがね。いままでは悪が実際に必要だったんです。悪がなければ物質文化は発達しないんです。悪がここまで発達すれば、かえって悪があっては困るんです。それで、悪を打ち切りにするんです。そのためにメシヤ教が出たんですから、すべてはっきりしなければならない。これから宗教に入るに従って、そういうことを徹底して書いてます。非常にためになるものです。

「『御教え集』二号、岡田茂吉全集講話篇第四巻」 昭和26年09月05日